現在ゲームをプレイ中~ドラゴンクエスト9星空の守り人

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「八重の桜」50話「いつの日も花は咲く」

2013-12-18 01:41:26 | 八重の桜
本編終了後の八重の桜紀行。
今回ほど「本編でやれ!!」と強く思ったものはない。どうして勢津子妃のことやらないんだよ。喜んだ八重が歌を詠むのをやらないんだよ。
浩に「会津が名誉を回復する日は必ず来る」と言わせておきながら、京都守護職始末出版を直接描かないし、勢津子妃も描かないっておかしいだろ。出版妨害を描いたのは良かったけど、出版はナレーションじゃなく、映像で見たかった。薩摩娘に土下座なんていらない話やってるから時間が足りなくなるんだよ。紀行で補完するな!

と思ったので、本編がどんなラストだったか一瞬忘れてしまった(笑)。思い出したけど。
しかしあのラストはなあ。どうだろうなあ。
狙撃手が弾を一発残しとくのって自分を撃つためだから、まさか自分を撃つのでは?そしたら籠城戦で戦ったこと全否定だ、史実の八重と反する、と考えてたら、空に向かって撃った(笑)。
えー。なんか違う。
八重の心象風景場面だとは分かってるけど、弾自分に落ちてくるだろ。結局自殺かよ。まあ、素直に考えると、暗雲を撃ち払うってことだろうけど。

ラストにOPを持ってくるのもなんか違う。
ちゃんと冒頭にやって欲しかった。OPが一年の総集編だったのは綺麗だったけど、これは来年放送の総集編に使って、今回は12月分のOPを使って欲しかった。
「私は諦めねえ」ってまるで「俺たちの戦いはこれからだ」と言って終わる打ち切り漫画のようだ。物語がきちんと終わってない感じがする。

反戦思想一歩手前の八重vsまさかのラスボス徳富蘇峰なんてやってないで、素直に京都守護職始末と勢津子妃と八重死亡をやればいいのに。

ナレーション(以下ナレ)「明治44年11月、京都守護職始末が出版された」京都守護職始末を読む八重。本を閉じる。八重「やりましたね、健次郎さん」ナレ「このときの出版は会津藩関係者のみに配られた。しかしこれをきっかけに幕末会津藩の記録を残そうという機運が高まることになる」
以上2分。
ナレ「昭和3年、会津藩主松平容保の孫、勢津子と秩父宮の婚礼が執り行われた」喜ぶ八重。喜ぶ会津の人々。和歌を詠む。ナレ「鶴ヶ城籠城戦を戦った者で、会津復権を見届けることが出来たのは少数だった」
以上3分。
ナレ「昭和7年6月、八重はにわかに体調を崩し、死去。波乱の生涯は静かに幕を閉じた。享年86」布団に寝ている八重。ナレ「葬儀は同志社栄光館で執り行われた。参列者は2000人の盛大なものだった」紀行に出した写真をそのまま使う。
以上2分。

みたいな感じで。
時間はあったはず。茶をたてて蘇峰に出す場面から「私は諦めねえ」まで10分以上あるんだから描けたはずなんだ。
頼母との会話で本編終わらせて、エピローグ的に京都守護職始末出版と勢津子妃御成婚と八重死亡やればいいのに。復興大河と銘打ってんだからやってくれると思ってた。やらなきゃおかしい。

清国兵に日本語しか使ってないのに何で通じるんだ。清国兵、実はインテリか?

佐久、登美(襄の母)、久栄が死んだのをナレーションで済ますとは。
登美と久栄は出番はあまりなかったからまだいいとして、佐久は1話からずっと出てた主人公の母親だ。病床の佐久の手を取って、「おっかさま」(涙)だけで良いから、ちゃんと映像で見たかった。
山川浩の死亡もナレーションか。
前回の容保死亡もナレーションだった。時間がないのは分かるが、色々おかしい。

慶喜が出てきて「わしは会津を見捨てた」と言いだしたときは、謝るなよ、絶対に謝るなよ、と思った。謝らなくて良かった。むしろ理不尽な理由で会津のせいにしてて安心した。
慶喜にも春嶽にも薩摩にも長州にも謝って欲しくない。絶対に。
慶喜「わしには会津のような忠臣はいなかった」(意訳)と2度も聞かされる勝海舟がちょいと気の毒。勝の本心は確かに慶喜の言う通りだろうが、明治になっても30年以上仕えてくれてんだから、少しは感謝すりゃいいのに。いや、そこで感謝したら慶喜じゃないな(笑)。
というか、慶喜に忠臣いただろう。3人くらい。まあ、上から下まで容保に忠実に仕えた会津と比べりゃそう思うのも仕方ないが。

健次郎「名誉を雪ぐ」って名誉を雪いでどうすんだ。雪ぐのは不名誉とか汚名だ。NHKなんだから日本語は正しく使え。
紀行は「汚名を雪ぐ」だな。ノベライズも「汚名を雪ぐ」だな。役者の間違いを指摘しないスタッフが悪いんだな。

容保が御宸翰を公表しなかった理由を前回説明したのは失敗だった、と今回の放送で思った。
説明したばかりに、健次郎が捨松に説得されてしまった。ここはやはり逸話通り、死後に発見されて容保が何を考えていたか分からなかった方が、健次郎が京都守護職始末を出版する原動力になると思う。
京都守護職始末の出版を一度断念するのを逸話通りに描くと色々複雑になるから、こういう形にしたのかもしれない。

ちなみに逸話の流れ(「観樹将軍回顧録」三浦梧楼著「松平家救助事件」参考)
会津松平家の困窮を健次郎が三浦に相談。三浦が会津松平家を訪問。御宸翰と御製を見る。これが世に出たらまずいと判断。会津松平家に下賜金を出す代わりに京都守護職始末を出版しないよう交渉。健次郎はこの条件をのむ。北原雅長(神保修理弟)が「七年史」を出版。御宸翰と御製のことが記載される。これを見た健次郎は京都守護職始末を出版しない理由がなくなったと考え、京都守護職始末を出版。

捨松は、あれしか台詞無いのに大根役者だと分かったのがすごい。
この時点で(明治31年2月以降)捨松が帰国してから15年経ってるんだぞ(明治15年11月帰国)。帰国直後は日本語たどたどしくても、母語は日本語なんだから流暢に話してなきゃおかしい。津田梅子と違って日本語完全に忘れてたんじゃないんだから。
「鹿鳴館の華」で悪くないかもと思ったのは、帰国直後で日本語たどたどしいっていう設定のためだったことが良く分かった。
「八重の桜」の役者陣は明らかなミスキャストはいなかったのに(萱野権兵衛と日向ユキは心配したけど悪くなかった)、捨松は失敗だった。よりによって会津にとって重要な人物で(泣)。

明治になってから何度か「賊軍の会津が」って言われたけど、何度も言って欲しかった。
1話に1度どころじゃなく、何度も。「お前会津出身だから」と出世できないのも多く入れて欲しかった。いや別に自分マゾじゃないんだけど(笑)、何度も言われた方が「御宸翰で名誉回復」というのに説得力があったと思う。

この作品、テロップでマメにいま何年何月か書いてたし、季節の移ろいを桜や雪や紅葉で描いていて、とても分かりやすくて好きだったのに、最後はほとんど分からないようにしてたのは、わざとだろう。
ちなみに、山川浩が死んだのが明治31年2月。

なんだかんだ文句付けつつ、久しぶりに大河ドラマを1年間全部見た。不満点はいっぱいあるが、良いところもいっぱいあって楽しかった。
関連本はまだ全部読んでないので、もう少し楽しむつもり。



来年の「軍師官兵衛」は軍師で戦国だから面白そう。「この男がいなかったら戦国の世は終わらなかった」とか「戦国の世を終わらせる」とかが不安要素だが、とりあえず初回は見る。
再来年の「花燃ゆ」は視聴率的に面白そう。「平清盛」の下を行きそう。見る気はないが、幕末政局だけ見るかな。「八重の桜」が会津目線幕末だったのに薩長を中立的にわりとかっこよく描いていたのに対し、これは会津をどう描くのかが気になる。完全悪役として描いたら笑う。


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