まさか萱野権兵衛で泣くとは思わなかった。
柳沢慎吾だからって油断してた。
大殿からの手紙だよーって照姫は?と思ってたらちゃんとあった。史実だと手紙と和歌と両方あるんだけど、和歌だけか。
いまなら京都でやってる「八重の桜」特別展で本物が見れる。
これで松平容保はほぼ見納めか。残念だ。
綾野剛演じる容保公は自分史上1位だ。2位は風間杜夫。
この先出るとしたら、時尾の結婚、日光東照宮、容大と同志社、八重が会いに来ようとしたけれど、死亡時くらいか。
榎本孝明と土方歳三が出るとは思わなかった。
少しだけど五稜郭を描いて戊辰戦争をきちんと終わらせたことは良かった。
頼母「薩長のやつらがどんな国を作るのか見てやるぞ」って聞き覚えがある。
そういえば「生まれ変わるときはまた会津で」も聞き覚えがある。日テレ白虎隊とテレ東白虎隊は見てて、テレ朝白虎隊は見てない。テレ東白虎隊は今年見たので記憶ははっきりしてる。ということは、日テレ白虎隊で聞いた台詞か?そのうち気が向いたらレンタルで借りてこよう。
斗南を描くのは尚之助のことがあるから。
新史料が発見されて行方不明説や逃亡説や八重が逃がした説が使えなくなったから、尚之助の最期を描いておかないと八重は新島襄と再婚できない。でなけりゃカットだったろう。個人的には嬉しい。
斗南藩の名前の意味、両方ともやってくれた。
何でお家再興が許されたか説明してない。
慶三郎(容大。容保実子)が生まれたから。斗南藩主は容大。容大の役者を用意するとは思えなかったけど、ナレーションで説明くらいしろ。
そういえば、容保の側室2人は影も形もなかったな。双葉社の八重漫画では「お子がお腹に」ってやってくれたのにな。
この時期の八重は「米沢に行ってた」という史料があるだけ。
なのでオリジナル展開。ここで会う女性の話自体は良かった。この大河ドラマには珍しく名前のあるオリジナルキャラ。
八重「恨みを支えにしていては前に進まない」って今のお前が言うな。
同志社で薩長出身者を良く扱わなかった、というエピソードがあるんだから、今はまだ「薩長憎い」で良いのに。そんで新島襄に出会って「恨みを支えにしていては~」って諭されて、その発想はなかった、と衝撃を受けて、惹かれて結婚する、という流れで良いじゃないか。
頭では分かっていても、薩長出身者を快く思えなくて、みたいに描けば自然。そんで時間はかかったが、薩長出身者を家に招いた。
という展開になると思ってたのに。
千代を見てそう考えただけで、薩長憎いままなら良いんだけど。
会津を侮辱されて殺すつもりでいたシーンは大変良かった。
みね、プライド高いな。
かぶを断ったり、無礼を言うなと言ったり。そこが良い。武家の娘としてきちんとした躾がされてる。うら、本当に頑張ったんだな。
まさかこづゆで泣くとは思わなかった。
八重の婚礼でも振舞われてた、お祝い事やハレの日の会津の郷土料理。具が足りない。揃えられる材料だけで作ったのか(泣)。
でもよく米沢で豆麩が手に入ったな。豆麩は会津以外じゃ基本売ってないぞ。突然こづゆ食べたくなって、作ろうと豆麩買いに行ったら売ってなくて衝撃を受けた思い出(笑)。
八重が斗南に行かない理由が分かりにくかった。
斗南に行ったらある意味、戦いになる。そんな環境では薩長を恨んで後ろばかり見て、前には進めない。今のささやかな幸せな暮らしを大事にしたい。
でいいんだよな?
主人公なんだから、視聴者に分かりやすい理由にして欲しかったし、斗南に行くつもりでいて欲しかった。行かない理由は。
尚之助からの手紙に「食えるかどうかまだ分からないから八重さんは連れて行けない」とあった。
佐久が病気で動かせない。
あたりが妥当なところじゃないかと。両方が良かった。そしたら、佐久の病気が治ったので斗南に行こうとしたら、尚之助から離縁状が送られてきた、みたいな展開に出来るじゃないか。
八重はいきなり離縁状送られてきて訳分からん状態だが、尚之助にも事情があって、視聴者はそれを見て涙する、という展開に。なるかな?
というか、八重は尚之助のこと気にしてるのかな。大蔵と会って一番に尚之助のこと聞かないし。
尚之助が江戸から帰ってきて一番に覚馬と三郎のこと聞いたときと違いすぎる。
あんな別れ方で気持ちが離れたなら、説明してくれないと。
大蔵はいまだ八重に未練があるのか。本気で斗南に来て欲しかったら「尚之助も行くから」って説得すりゃ良いのに、それをしないってことは夫婦別に暮らして欲しいとしか思えん。
登勢、本当に報われないな。もうこの設定いらない。
次回「離縁のわけ」は「覚馬からの手紙」から変更。
変更して良かったと思う。離縁は2組なんだな、と予告見て気が付いた。覚馬の方は頭になかった。うら、報われないな。
ところで、冒頭、明治2年2月、とあるんだが、その直後、March,1869とある。ん?と思ったが、明治5年までは旧暦か。あーびっくりした。
しかしどちらにしろ、会津戦争終結から半年ではない。新暦なら4ヶ月後、旧暦なら5ヶ月後だ。
柳沢慎吾だからって油断してた。
大殿からの手紙だよーって照姫は?と思ってたらちゃんとあった。史実だと手紙と和歌と両方あるんだけど、和歌だけか。
いまなら京都でやってる「八重の桜」特別展で本物が見れる。
これで松平容保はほぼ見納めか。残念だ。
綾野剛演じる容保公は自分史上1位だ。2位は風間杜夫。
この先出るとしたら、時尾の結婚、日光東照宮、容大と同志社、八重が会いに来ようとしたけれど、死亡時くらいか。
榎本孝明と土方歳三が出るとは思わなかった。
少しだけど五稜郭を描いて戊辰戦争をきちんと終わらせたことは良かった。
頼母「薩長のやつらがどんな国を作るのか見てやるぞ」って聞き覚えがある。
そういえば「生まれ変わるときはまた会津で」も聞き覚えがある。日テレ白虎隊とテレ東白虎隊は見てて、テレ朝白虎隊は見てない。テレ東白虎隊は今年見たので記憶ははっきりしてる。ということは、日テレ白虎隊で聞いた台詞か?そのうち気が向いたらレンタルで借りてこよう。
斗南を描くのは尚之助のことがあるから。
新史料が発見されて行方不明説や逃亡説や八重が逃がした説が使えなくなったから、尚之助の最期を描いておかないと八重は新島襄と再婚できない。でなけりゃカットだったろう。個人的には嬉しい。
斗南藩の名前の意味、両方ともやってくれた。
何でお家再興が許されたか説明してない。
慶三郎(容大。容保実子)が生まれたから。斗南藩主は容大。容大の役者を用意するとは思えなかったけど、ナレーションで説明くらいしろ。
そういえば、容保の側室2人は影も形もなかったな。双葉社の八重漫画では「お子がお腹に」ってやってくれたのにな。
この時期の八重は「米沢に行ってた」という史料があるだけ。
なのでオリジナル展開。ここで会う女性の話自体は良かった。この大河ドラマには珍しく名前のあるオリジナルキャラ。
八重「恨みを支えにしていては前に進まない」って今のお前が言うな。
同志社で薩長出身者を良く扱わなかった、というエピソードがあるんだから、今はまだ「薩長憎い」で良いのに。そんで新島襄に出会って「恨みを支えにしていては~」って諭されて、その発想はなかった、と衝撃を受けて、惹かれて結婚する、という流れで良いじゃないか。
頭では分かっていても、薩長出身者を快く思えなくて、みたいに描けば自然。そんで時間はかかったが、薩長出身者を家に招いた。
という展開になると思ってたのに。
千代を見てそう考えただけで、薩長憎いままなら良いんだけど。
会津を侮辱されて殺すつもりでいたシーンは大変良かった。
みね、プライド高いな。
かぶを断ったり、無礼を言うなと言ったり。そこが良い。武家の娘としてきちんとした躾がされてる。うら、本当に頑張ったんだな。
まさかこづゆで泣くとは思わなかった。
八重の婚礼でも振舞われてた、お祝い事やハレの日の会津の郷土料理。具が足りない。揃えられる材料だけで作ったのか(泣)。
でもよく米沢で豆麩が手に入ったな。豆麩は会津以外じゃ基本売ってないぞ。突然こづゆ食べたくなって、作ろうと豆麩買いに行ったら売ってなくて衝撃を受けた思い出(笑)。
八重が斗南に行かない理由が分かりにくかった。
斗南に行ったらある意味、戦いになる。そんな環境では薩長を恨んで後ろばかり見て、前には進めない。今のささやかな幸せな暮らしを大事にしたい。
でいいんだよな?
主人公なんだから、視聴者に分かりやすい理由にして欲しかったし、斗南に行くつもりでいて欲しかった。行かない理由は。
尚之助からの手紙に「食えるかどうかまだ分からないから八重さんは連れて行けない」とあった。
佐久が病気で動かせない。
あたりが妥当なところじゃないかと。両方が良かった。そしたら、佐久の病気が治ったので斗南に行こうとしたら、尚之助から離縁状が送られてきた、みたいな展開に出来るじゃないか。
八重はいきなり離縁状送られてきて訳分からん状態だが、尚之助にも事情があって、視聴者はそれを見て涙する、という展開に。なるかな?
というか、八重は尚之助のこと気にしてるのかな。大蔵と会って一番に尚之助のこと聞かないし。
尚之助が江戸から帰ってきて一番に覚馬と三郎のこと聞いたときと違いすぎる。
あんな別れ方で気持ちが離れたなら、説明してくれないと。
大蔵はいまだ八重に未練があるのか。本気で斗南に来て欲しかったら「尚之助も行くから」って説得すりゃ良いのに、それをしないってことは夫婦別に暮らして欲しいとしか思えん。
登勢、本当に報われないな。もうこの設定いらない。
次回「離縁のわけ」は「覚馬からの手紙」から変更。
変更して良かったと思う。離縁は2組なんだな、と予告見て気が付いた。覚馬の方は頭になかった。うら、報われないな。
ところで、冒頭、明治2年2月、とあるんだが、その直後、March,1869とある。ん?と思ったが、明治5年までは旧暦か。あーびっくりした。
しかしどちらにしろ、会津戦争終結から半年ではない。新暦なら4ヶ月後、旧暦なら5ヶ月後だ。