現在ゲームをプレイ中~ドラゴンクエスト9星空の守り人

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「八重の桜」49話「再び戦を学ばず」

2013-12-12 01:32:31 | 八重の桜
アリス先生、襄と対立してたのに、襄の演説を英語教材に使うことで襄の考えを教えるとは。そういえば襄危篤のときも祈ってたっけ。意見が対立しても、それはそれ、これはこれなんだな。

健次郎が覚馬に京都守護職時代のこと聞きに来てたけど、浩に聞け。覚馬に聞く必要ない。
覚馬が長崎に行ってたときは、浩はロシアに留学してて、ほぼ同時期に京都に戻ったんだし。鳥羽伏見の最中に薩摩に捕まった覚馬よりも浩の方が詳しいだろ。
覚馬に「戦にならない道があったはず」というのを言わせるためだけに、この場面作ったとしか思えん。

覚馬のこの台詞も唐突。
ずっと「戦にならない道」を考えてたって描写があったのならともかく、ないんだもんな。まあ、この作品、いっつも途中経過を描かないんだが。

さらに健次郎に「戦にならない道があった」って言わせるんじゃないよ。それも容保の前で。
覚馬が言うなら、西郷隆盛や木戸孝允と交流あったし、まあしょうがないか、と思えるんだが、健次郎が言うわけない。

あの戦は避けられなかった。
と「八重の桜」資料提供してる野口信一氏も公式サイトで書いてる。
恭順嘆願書が握りつぶされた。容保の首を要求した。武力決着を図ろうとした。武士は攻撃されたら受けて立つのが当然。幕府の代わりに生贄にされた。といったあたりを要約して健次郎に言わせても良かったんじゃなかろうか。
個人的には、守護職時代に長州の恨みを買いすぎた、そして世良修三が死んだのが決定打だった。

公式サイトで思い出したけど、最近全然公式サイト行ってねえ(笑)。明治京都編が始まってしばらくは行ってたのになあ。

覚馬「戦を身をもって知る私」って、鳥羽伏見も鶴ヶ城籠城戦も西南戦争も不参加じゃないか。
参加したのは八月十八日の政変と蛤御紋の変だけだろ。説得力がない。

覚馬「やっと帰れんな」は泣けた。
「帰ってきたぞ、会津に」もセットで泣けた。このころの覚馬はよく走ってた。

卒業式で思い出したけど、覚馬が発注した銃が間に合わなかったのも負けた理由の一つ。
そういえば、この銃の行方はドラマじゃやってない。
間に合わなかった銃は明治政府が買い取って、西南戦争で使われたという、歴史の皮肉というか、めぐり合わせというか。これやって欲しかった。そしたら1話の「南北戦争で使われた銃が幕末日本に入ってきて、それが戦の流れを左右した」というのが生きたのに。

御宸翰を世に出さなかった理由。
幕末京都では、勅を得たものが正義になった。御宸翰が再び戦の火種になるのを避けたかった。

なるほど。この作品だとそういう解釈か。
なにせリアル容保は御宸翰持ってることも、何を考えて行動したのかも、なんにも話さず書き残さず死んだから、想像するしかないんだよな。言い訳がましくても何か残して欲しかったよ。

会津松平家現当主の解釈は、私信を公表するのは不敬に当たる。帝との思い出を汚したくなかった。(「歴史街道」2013年7月号)

「武士の忠義を貫き通した代わりに、わしは会津を死地へと追いやった」とずっと思ってた容保に、「あのとき会津までもが徳川を見捨てていたならば、この国に真の武士などはいなかった」と浩が言ったことで、容保の心は救われたんだな。
予告で心配してたけど、思ったよりは良い場面だった。

御宸翰が、くるくると巻き戻るのが気になった。本物と同様に、折り目入れて欲しかった。

襄の幽霊は良かった。はっきり映してないところが良かった。

徳富蘇峰と蘆花の対比は良かった。

八重と大山巌の話し合いは、すぐに結論出すんじゃないほうが良かったな。
この場では話し合い決裂。後日新聞で大山の言葉を知り、八重は意見が通ったことを知る。そこに捨松から手紙が来て。
みたいな。

予告。次回最終回。
慶喜が一番楽しみ(笑)。
個人的には会津に謝らないで欲しいが、「会津にはすまぬことをした。しかし、わしは間違っていなかった」だったら問題ない。理由は慶喜だから。
明治以降の慶喜が出るのって、珍しいんじゃなかろうか。大河ドラマ「徳川慶喜」の最終回は江戸無血開城だった。そんで会津は?五稜郭は?戊辰戦争終わってないよ?と思った記憶がある。

しかし、このサブタイトル「いつの日も花は咲く」。復興支援ソング「花は咲く」を連想するなあ。


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