Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

トンデモ教官

2021年11月26日 06時30分07秒 | Weblog
イデオロギー対立は戦前もあった!?【大正時代②:天皇機関説VS天皇主権説】 美濃部達吉×上杉慎吉×高畠素之
 「美濃部が提唱した「天皇機関説」では統治権を法人である国家が所有するということを前提とし、よって天皇は統治権を行使する国家の最高機関であるとします。同時に、内閣や議会、総体としての国民も国家機関であるので、これらの諸機関の間には、「国民→議会→内閣→天皇」という拘束機関が存在します。天皇は最高機関であるけど、社会情勢上、内閣の意思を無視できない。内閣は議会に対して責任を負う立場であるため、議会の意向を無視できない。そして議会は国民の意思を代表するものである。この拘束関係をより有効的に機能させるためには、内閣は政党内閣となって議会に連帯して責任を負うことが求められるという考えです。だから、普通選挙を通じて、国民全体から選ばれた議員によって議会は構成されるべきとした説です。
 「ところが、これに真っ向から異を唱える人物が現れます。「天皇主権説」を唱えた憲法学者の上杉慎吉です。
 上杉慎吉は福井県出身。大聖寺藩医・適塾門下の医学者である上杉寛二の長男として生まれます。1903年(明治36年)東京帝国大学法学部政治学科を首席で卒業します。同大の助教授となり、1906年から3年間ドイツに留学します。その時、ドイツの公法学者で、後に対立する美濃部が天皇機関説の基となる国家法人説を主唱したイェリネック本人の家に下宿して指導を受けました。帰国し、1912年母校の教授となります。この年に同じ大学の教授であった美濃部が発表した「天皇機関説」に対して、上杉は『国体に関する異説』を発表し、「天皇すなわち国家である」という天皇主権説を主張しました。両者の論争は他にも参加者を得、天皇制絶対主義勢力とデモクラシー勢力のイデオロギー闘争となっていきました。


 譲渡担保を推進する民法学者を発見して、史上稀に見るトンデモ教官というべき上杉慎吉のことを思い出した。
 彼と美濃部達吉との論争は、子供と大人との間の議論のようなレベルのものだったのだが、なぜか上杉の方が優勢になっていく。
 法人ー「キリストの神秘的な肉体」(譲渡担保を巡るエトセトラ(6)ご参照)としての国家にあっては、「頭」(君主)と「手足」(国民)との間には上下・優劣関係を観念出来ないというのがポイントであり、天皇機関説の思考はこれを中核としていると言ってよい。
 ところが、上杉の説は、これに対する有効な反論となっていないように見えるのである。
 
コメント
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