ブラームス/ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15
ルドルフ・ブフビンダー
ニルセン/交響曲 第2番 ロ短調 作品16「4つの気質」
久しぶりにN響の定期公演を聴きに行く。
目当てはブラームスの協奏曲1番で、この曲は高校時代のある時期に毎日CDで聴いていたお気に入りの曲である。
とは言うものの、ライブで聴くのはこれが初めてで、期待に胸を膨らませて演奏の開始を待った。
だが、始まってしばらくすると、「あーあ、始まっちゃった~」という、一種の失望感のようなものがこみ上げてきた。
もちろん、ソリストもオケも、演奏は実に素晴らしい。
だが、開始数十秒で、若い頃に聴いていたのと同じレベルの感動は得られそうにないことを直感したのである。
これは、中学生の頃から大のお気に入りで、ぜひオペラを鑑賞してみたいと思っていた「ニュールンベルクのマイスタージンガー」の時にも味わった感覚である(但し、こちらは、ストーリー上の欠陥が作用している可能性もある:マイスターじゃないジンガー)。
そういえば、「遠足は、行く前の、計画している時の方が楽しい」という小学生は(私自身を含め)多いはずだし、「ゴルフは、実際のプレーよりも、行く前の計画の方が楽しい」という中高年も多いようだ(但し、後者については、「19番ホール」が一番楽しいという人もいるため、遠足と同列に論じることは出来ないかもしれない。)。
それと同様に、音楽についても、生演奏を聴くことよりも、それを期待して待つことの方が楽しいということなのかもしれない。
それに加えて、余りにたくさん聴き過ぎると、生演奏に違和感を感じるという側面があるのかもしれない。
例えば、仮に、グレン・グールドが生き返ったとして、「ゴルトベルク変奏曲」を、「世界クラシック音楽大系 (71) バッハ:ゴールドベルグ変奏曲」と全く同じように弾くことは、さすがに難しいだろう。
その場合、このCDを2000回以上聴いた(と思う)私は、おそらく、生演奏に対して違和感を感じるはずである。
つまり、CDで音楽を余りにもたくさん聴き過ぎると、その演奏が脳に固着してしまい、ちょっとでも違うものを受け容れにくくするのである。
要するに、「聴き過ぎに注意」ということなのかもしれない。