にゃぁとよべばふりむきます

日々のことつれづれ。更新さぼりがちです。

再訪 招き猫@西巣鴨

2009-01-16 16:14:43 | 壁黒猫&非ナマねこ
見損ねた招き猫を訪ねて、ふたたび西巣鴨へ。
コチラの記事が初回です。敷地内にある高尾塚の隣にちょこんと。タレ目が
ほほえましくて、どことなく愛嬌の漂うねこちゃん。あちこち白いモノで補修
してあって痛々しい…左手もげてるし。やけにぶっとい首紐と鈴。
高尾塚は吉原の花魁高尾太夫の墓。かつて江戸時代には吉原にあり、身
寄りのない遊女の投げ込み寺だったが、関東大震災で消失したため明治の
頃に現在の場所に移築された。高尾太夫は吉原で最も有名な花魁で、そ
の名にふさわしい遊女が現れると代々襲名された名前で11人いたとか。
「万治高尾」とあるのは二代目で歌舞伎の仙台騒動の題材にもなってるそう。
猫ちゃんは…というと関係ないらし。元は数年前まで門柱の上にあったのを、
傷みがひどいから下ろしたみたい。
このコは吉原の猫好き太夫薄雲の飼い猫で、太夫の身を毒蛇から守ろうと
唸っていたのに、事情を知らない遊郭の主にうるさいと斬られ、飛ばされた
首が蛇をかみ殺したという忠義の猫。悲しんだ太夫が弔って建てた猫塚
(関東大震災まで残っていた)の名残がこの招き猫。とっても可愛がってた
から、ぶっとい紐は緋縮緬で鈴は純金、座布団は友禅ですってよ。

おろろさんのホームページ『ねこれくと』の下記ページがとっても詳しい。
  「=^・^=ひとり旅」の「春だ、桜だ、招き猫 西方寺へ行く」(2002年)
  「=^・^=ひとり旅Part2」の「西巣鴨西方寺の招き猫を見に行く」(2005年)、
  「山谷堀を歩く 西方寺(道哲庵)跡を訪ねて」(2006年)、
遠州濱松招猫宿ふくねこ亭さんのサイトの『招き猫を学ぶ』から
  「招き猫の由来」(遊女薄雲の伝説を参照)
愛くるしいぞ~