見損ねた招き猫を訪ねて、ふたたび西巣鴨へ。 コチラの記事が初回です。敷地内にある高尾塚の隣にちょこんと。タレ目が ほほえましくて、どことなく愛嬌の漂うねこちゃん。あちこち白いモノで補修 してあって痛々しい…左手もげてるし。やけにぶっとい首紐と鈴。 |
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高尾塚は吉原の花魁高尾太夫の墓。かつて江戸時代には吉原にあり、身 寄りのない遊女の投げ込み寺だったが、関東大震災で消失したため明治の 頃に現在の場所に移築された。高尾太夫は吉原で最も有名な花魁で、そ の名にふさわしい遊女が現れると代々襲名された名前で11人いたとか。 「万治高尾」とあるのは二代目で歌舞伎の仙台騒動の題材にもなってるそう。 猫ちゃんは…というと関係ないらし。元は数年前まで門柱の上にあったのを、 傷みがひどいから下ろしたみたい。 このコは吉原の猫好き太夫薄雲の飼い猫で、太夫の身を毒蛇から守ろうと 唸っていたのに、事情を知らない遊郭の主にうるさいと斬られ、飛ばされた 首が蛇をかみ殺したという忠義の猫。悲しんだ太夫が弔って建てた猫塚 (関東大震災まで残っていた)の名残がこの招き猫。とっても可愛がってた から、ぶっとい紐は緋縮緬で鈴は純金、座布団は友禅ですってよ。 おろろさんのホームページ『ねこれくと』の下記ページがとっても詳しい。 「=^・^=ひとり旅」の「春だ、桜だ、招き猫 西方寺へ行く」(2002年) 「=^・^=ひとり旅Part2」の「西巣鴨西方寺の招き猫を見に行く」(2005年)、 「山谷堀を歩く 西方寺(道哲庵)跡を訪ねて」(2006年)、 遠州濱松招猫宿ふくねこ亭さんのサイトの『招き猫を学ぶ』から 「招き猫の由来」(遊女薄雲の伝説を参照) 愛くるしいぞ~ ![]() |