にゃぁとよべばふりむきます

日々のことつれづれ。更新さぼりがちです。

紅葉@九重

2012-11-05 23:49:27 | でかける・九州
お呼びが掛かったのでしばらく帰省しとりました。
この秋は旦那公認で、カメラが趣味のナイスシニアなイブシ銀の爺さまたちとぷりっぷりの若者と紅葉狩りに。
人生なにがあるか分かったもんじゃありません。あまがたに渓谷(大分県玖珠郡九重町)。[撮影日:2012年10月26日]

その前にいくつか猫レポも溜まってるので、これからぼちぼち…。あ!フクちゃんの出番はまだよ!

不死の花@大宰府

2011-05-17 22:36:05 | でかける・九州
帰省の最終日、藤が見頃の武蔵寺(ぶぞうじ/福岡県筑紫野市)に。

天拝山(てんぱいざん)の登山道入り口にある九州最古のお寺だとか。天拝山だなんて素敵な響きだなぁと思った
けれど由来は、大宰府に流された菅原道真が無実を訴えるべく登頂を繰り返し天を拝んだという哀しいものらしい。
ここから太宰府天満宮や二日市温泉なども近いのだが、松本清張さんの初期の推理小説にはこの辺りの地名が
ゴロゴロ出てくる。
つい2~3日前「藤まつり」に来たばかりだという義父に道案内をお願いし、私はドライバー。ひとしきりそれぞれ黙々と
撮ったので「帰りましょうか」と声をかけると「どこへ?」。(´・ω・`)…へ?まだ朝ごはん食ってないんすけど。
「あっちのほうにも、ええ藤の木があるんじゃが」 それじゃぁ、と車に乗り込んだ。

観世音寺(福岡県太宰府市)

ここもかなり古い天台宗のお寺。京都というよりは奈良のお寺に近い雰囲気がある。写生する人や掃き掃除をするひと、
同じ穴のムジナカメラマンetc.…朝から賑わっていた。武蔵寺の藤棚に比べると幹も細く花の垂れ下がりが短い。
おまけ。屋根のすぐ下、柱からニョッキリとドラゴンや象が飛び出してるアレです。
こんなぷっくりと肉厚な肉球がついてるのって珍しいと思う!武蔵寺にて。
史跡についての参考サイト:『西都 大宰府』 --> 「西都史跡名所案内」

しま-ひらど2@平戸

2010-05-30 14:09:58 | でかける・九州
翌日はお隣の生月(いきつき)島から。 

平戸島の左上にくっつくように浮かぶオレンジ色の
ちいさな島です。
車でゆるゆる回っても2時間かかりませんでした。
島内のそこかしこに牧場があって牛の姿を目にし
ました。「牛の飛び出し注意看板」も!
生月島の北端にある『大バエ灯台』。漢字で書くと何故だか「大婆鼻」でオオバエ。
見渡す限りの水平線なんて、瀬戸内育ちには馴染みのない風景。晴れていれば遠くに壱岐や対馬が見えるらしい。

崖っぷちの植物は斜めに傾いて生えてた。崖下
から吹き上げる潮風はすさまじいらしい。
この日、短い滞在時間のうちで天候もころころと
激しく移り変わった。暗雲垂れこめ雨がパラつい
たり、爽快に晴れ渡ったり。
塩俵の断崖六角形の柱がボコボコ並んでる断崖。覗き込んだらけっこーゴミ漂着しとる~。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。 
ふたたび平戸島に戻って『紐差カトリック教会』へ。ステンドグラス越しの光が幻想的でした。
平戸島のいちばーん下の端っこまで行ったけど、
食いッぱぐれて食事にありつけずさまよう一行。
にゃぁ家ではよくあることなのですが…。

宮の浦は漁港みたいなのにねこの姿は見当た
らなかった。残念なり。
そして帰る前にもう一度川内峠へ。ほんと広々してて気持ちのいいところ。

しま-ひらど1@平戸

2010-05-29 23:58:07 | でかける・九州
まず「平戸ってどこ?」

九州の上半分の地図です。
薄いミドリ色が(だいたい)長崎県。
ちょっと濃くなってるのが平戸。
初日はタクシー観光。
(シルバー同行ツアーなり)

九州本土とつながる平戸大橋の周り
に市街地もみどころも集中していると
いうので、眺めのよい峠の展望台を
プラスするコースで。

寺院と教会の見える風景』 
(って看板にも書いてある)
異国情緒がポイントらしい。

『寺院と教会の…』の奥でとんがってたのが、『聖フランシスコ・ザビエル記念教会』。内部も荘厳
で素敵でした。眼下に広がる寺院と平戸湾。
川内峠山道を登って着いた先はパノラマビューの大草原。霞んでいるのは黄砂の影響で、年々酷くなるのだとか。
赤い橋が平戸大橋なので、対岸はもう九州本土なのだ。
そして『最教寺』。
西の高野山と呼ばれてるとか。境内の竹林では筍掘りが熱心に行われていた。藤棚から下がる白い藤が見事だった。
平戸城

天守閣からの眺め。
左は平戸瀬戸(九州本土側)、右は平戸湾越しの市街。

糸島@福岡

2009-01-06 08:03:54 | でかける・九州

珍しく帰省中にでかけたので(旦那パパの喜寿祝い)

げんこうぼうるい           いしついじ
元寇防塁、正式名称石築地 (福岡市西区今津)
800年以上前の鎌倉時代に蒙古襲来(元寇)に備えて博多湾沿岸一帯に築かれた石の
防塁のことで、今は国史跡に指定されています。
石垣が金網に囲まれてます。この石垣が防塁の遺構。松原の中で分かりにくく、ご一行は
一時は離散状態に…。
 第一次の襲撃である文永の役では、元軍が船団でまず対馬に乗りつけて襲撃し、次に壱岐を占領しました。
 2週間ほどで志賀島から福岡に上陸し市街戦となり、箱崎の町は1日にして灰になったそうです。
 その夜神風来襲とよばれる暴風雨で元軍の船の大半は沈められます。
 文永の役後、再度の来襲対策として鎌倉幕府が九州の御家人に作らせたのが、この元寇防塁で博多湾の
 沿岸20kmに渡り築かれたこの石垣が7年後の第2次襲撃弘安の役で大いに役立ち、弘安の役では石垣の
 築かれなかった志賀島が主な合戦場となりました。前回で日本軍が攻略法を学習+ふたたび暴風雨が襲っ
 て泣きっ面に蜂なところを叩いて、元軍を追い返し終決しました。
 後世埋め立てが進み海岸線が沖に移ったので土中に埋まったり、福岡城の石垣を築く(江戸時代)のにこの
 石の大半を使ったので、今では一部しか残っていません。
け や    おおと
芥屋の大門 (福岡県糸島郡志摩町)
夕暮れだったから分かりづらいけど…洞窟があって遊覧船が出てるらしいです。

さくらいじんじゃ
桜井神社 (福岡県糸島郡志摩町)
江戸時代初期
(300年以上前)に建てられた神社。ちょっと変わった造り(三間社流造)でイイ感じ。
ふたみがうら     めおといわ
二見ケ浦夫婦岩 (福岡県糸島郡志摩町)
朝日の伊勢二見ケ浦、夕日の桜井二見ケ浦っていうらしい。
日の入りタイムは美しい夕陽を狙ってカメラメンが長いこと構えてた。
『魚庄』の地物の海産物うまかったよ!福岡市内から近いのだ。