おちよな毎日2

続「おちよな毎日」。

老後について考える

2022-02-23 09:58:35 | 
2月23日(水)

常日頃新聞や雑誌の書評欄で取り上げられている本を図書館で予約して順番が回ってきた本を読んでいるわけですが、大体いつもすごく予約人数がいて、半年とか1年以上待って順番が回ってきます。
そうすると、順番がやっと回ってくる頃には「なぜこれを読みたいと思ったんだろう?」という予約当初の動機を忘れていることしばしば。

でも今週借りてきた本は、自分のこれからについて考えさせられるという点で共通してたかも。

「にぎやかな落日」(朝倉かすみ);働き者できっぷのいい主人公のおもちさんというおばあちゃんの晩年の話。糖尿病と認知症で日々の生活にあれこれ支障が出たり、(誰にもわかってもらえない)寂しい思いをしたりすることが少なからずあるけれど、娘や息子の嫁や周囲の人々がいろいろ手を差し伸べてなんとかやっていけるのは、本人の真っ直ぐで、どこか憎めない性格のおかげだなあと思いました。

「じい散歩」(藤野千夜);こちらは昭和一桁生まれのおじいちゃんの話。自分が始めた商売が高度経済成長の波にのって羽振りの良い時代もあったけれども、家庭は妻に任せっきりで他に付き合う女性もできたりして、そのツケが老後にまわってきている日常。奥さんはまだらボケの状態ながら夫婦の関係性にずっと不満足な毎日を送っていて、3人いる男の子のうち2人は完全な引きこもりと定職のない居候という、客観的には閉塞した状況なんだけれど、悲壮感にあふれた話でもないのは、当の主人公がいろいろ散歩して外の空気を吸うのと、どこか他人事っぽい態度によるものかと。何事も自分でさっさと決めて我が道を行く生き方は今更変えられないし、また変える気もないし、そもそも自分に落ち度があるとは露ほども思わないし。おじいちゃんが散歩する場所がいくつか気になったので、そのうち行ってみようと思いました。

「The LONELY CENTURY なぜ私たちは孤独なのか」(ノリーナ・ハーツ);利己的な資本主義では大多数の労働者が効率を追い求める働き方を要求されてそれは果てがなく、自分の運命は自分だけが決めてその結果は自己責任であるという考えの浸透により他者への無関心が増大し、スマートフォンやソーシャルメディアの発達は異文化や異人種に対する嫌悪感情を増幅させたり生のコミュニケーションの能力をもたらしているなど、今までなかった深刻なレベルで孤独感に苛まれる人が増えている現代。これからの資本主義は思いやりやケアなどの観点から語られるべき。「誰の目にも入っていない」と感じる孤独な人々がお互いの相違点を乗り越えてつながりを回復するためには、思いやりのある多様なコミュニティーを作って帰属意識や一体感を得られるようにすることが必要。


待ち時間で読書

2022-02-06 10:14:16 | 
2月5日(土)

下瞼の内側がなんかごろごろして外側まで赤くなっちゃったので眼科に行ったら、ものもらいだと言われて抗菌剤やステロイド剤の目薬と軟膏が処方されました。いつも行く乳腺外科や婦人科も大変混んでるけれど、眼科もいつも混んでるなと思いました。本はよく読めるけれども、待合室が混むからコロナも心配だし、もう行かずに済めばいいんだけど。


今週は以下2冊の本を読みました。

「アンソーシャル ディスタンス」(金原ひとみ);彼氏との関係やコロナ禍やらいろいろこんがらがった状況の中で自分がどこに向かおうとしているのか、自分の存在価値が信じられず何かに依存せずにはいられない女性の短編5つ。どれも生々しくてヒリヒリする話だったので、時々本を閉じて休憩しながら読みました。自分よりだいぶ年下の恋人ができたから美容整形にはまっちゃうという話では、自分ももし同じ立場になったらそうするかもって思いました。

「硝子戸のうちそと」(半藤末利子);夏目漱石の孫で、半藤一利の妻のエッセイ。前半が祖母の鏡子(漱石の妻)や彼女の周りの人々にまつわる思い出、後半が夫の晩年についてでした。彼女の本を読むのは初めてだったので、鏡子のことについては自分の思っていたイメージとだいぶ違っていたなあと思いました。彼女のエッセイを他にも読んだ後、また「吾輩は猫である」を読み直すとまた違った味わいがありそうです。夫との暮らしとその看取りについては、他人事とは思えずしみじみしました。