1月29日(土)
通勤で往復1時間は毎日電車の中なのですが、4年目にしてだんだん本を読む余裕が出てきました。(仕事に慣れない頃は目も頭も疲れて、車内では無になっていた)
そこで最近読んだ本の中で印象に残った部分やあらすじを、メモしておこうと。
半年ほど前にぴよちんに「なんか最近おすすめの本なーい?」と聞かれた時に、いろいろ読んでいるはずなのに題名とか内容とか思い出せなかったので。
「0メートルの旅」(岡田悠)…「海外に行けば、物事は決して予定通りに進まない」「わからないし、うまくいかない。世界ってそういうものだっけと当たり前のことを再認識し」「そうして帰国したあとに過ごす悪くない1日は、以前より何処か鮮明に映る」
南極やイランやウズベキスタンなど一生行かないような所に行って、いろんな目に遭うという非日常感が感じられた楽しい読書。また、外国だけでなく、古地図を使った近所の散歩とか、グーグルマップのストリートビューを駆使しながらエアロバイクで日本一周するとか、どこにでも冒険の種はあることに感心。
「その扉をたたく音」(瀬尾まいこ)…「生きていけばそのぶん、明日は一つ減り、また一つ減っていく。誰かと一緒にいられる明日。記憶に留めていられる明日。現実は想像以上に過酷だ」「楽しい時間は、体からも心からも無駄なものを取っ払ってくれる。それだけで十分だ」「時がいろんなことを解決してくれるのは、ちゃんと日常を送っているからですよ」
親がお金持ちで、夢見がちなまま仕事もせず大人になってしまった若者が、音楽をきっかけに老人ホームに出入りするようになり現実世界に踏み出していく(であろう)話。登場人物がみんな幸せになるといいなと思う。
「くらすたのしみ」(甲斐みのり)…「誰かに優しくすることは、心の傷や疲れを癒す、自分自身への優しさでもあるのだと」「もっと歳を重ねたとき、ひとつひとつの思い出が記憶の中ですぐに再生できるような、大切な宝物を増やしていきたい」
暮らしを彩るいろいろな「好きなもの」やこだわりの物、それにまつわる想い出について書かれたエッセイ。自分の「好きなもの」を見つけてそれを慈しむ毎日さえあればというくだり、自分がもっと若い頃に気づいていたら日々充実してただろうなと思う今日この頃。
「まだ、空気読めません」(ウスビ・サコ)…「マナーはとは、そもそも他者への気づかいや共生の作法のはずです。しかし日本では、マナーの出発点が、「他人の目」や「空気」となっています」「ルールだからと受け身になって思考停止するのではなく、今はこういう状況だからこうすると主体的に判断し、臨機応変に行動するしなやかさが必要です」
自称「マリアン・ジャパニーズ」の京都精華大学の学長が日本で体験した「なんでやねん」なエピソードいろいろ。日本人が当たり前のように思っていて説明の必要性を感じないような生活習慣に多数のトラップ。しかも生活圏が京都だから難易度高め。一方で、マリの文化や習慣にもびっくりすることあり。違う文化や考えの人同士の軋轢が生じたとき、空気の読みあいで解決するわけもなく、対話で経験を積むしかない。
「ガラスの50代」(酒井順子)…「人生百年時代の今、五十代として生きている自分を見てみますと、人生五十年時代の五十代と比べて、明らかに『薄い』のでした」「五十代は感情の折り返し地点かもしれません。若い部分に先鋭的すぎた部分はうまい具合にすり減って、我慢すべき所は我慢も利くように」
私と同じ丙午生まれ55歳の著者。負け犬の遠吠えもだいぶ昔に読んだなーそういえば。あの頃の著者と自分には隔たりがあると当時感じたけれども、初老に足突っ込んだ今となってはこの本に書いてあること大体に「そうそうそうそう」と共感することしきり。表面のシワやシミより筋肉量が気になるとか、木や花の四季のうつろいに自分の変化を重ね合わせるとか、自分の生命力が薄れてきたせいで赤ちゃんが眩しく発光して見えるとか、子育てに捧げた時間を取り戻すかのように何かに没頭する等々の現象。(読書で女子会してるみたいな気持ち)
通勤で往復1時間は毎日電車の中なのですが、4年目にしてだんだん本を読む余裕が出てきました。(仕事に慣れない頃は目も頭も疲れて、車内では無になっていた)
そこで最近読んだ本の中で印象に残った部分やあらすじを、メモしておこうと。
半年ほど前にぴよちんに「なんか最近おすすめの本なーい?」と聞かれた時に、いろいろ読んでいるはずなのに題名とか内容とか思い出せなかったので。
「0メートルの旅」(岡田悠)…「海外に行けば、物事は決して予定通りに進まない」「わからないし、うまくいかない。世界ってそういうものだっけと当たり前のことを再認識し」「そうして帰国したあとに過ごす悪くない1日は、以前より何処か鮮明に映る」
南極やイランやウズベキスタンなど一生行かないような所に行って、いろんな目に遭うという非日常感が感じられた楽しい読書。また、外国だけでなく、古地図を使った近所の散歩とか、グーグルマップのストリートビューを駆使しながらエアロバイクで日本一周するとか、どこにでも冒険の種はあることに感心。
「その扉をたたく音」(瀬尾まいこ)…「生きていけばそのぶん、明日は一つ減り、また一つ減っていく。誰かと一緒にいられる明日。記憶に留めていられる明日。現実は想像以上に過酷だ」「楽しい時間は、体からも心からも無駄なものを取っ払ってくれる。それだけで十分だ」「時がいろんなことを解決してくれるのは、ちゃんと日常を送っているからですよ」
親がお金持ちで、夢見がちなまま仕事もせず大人になってしまった若者が、音楽をきっかけに老人ホームに出入りするようになり現実世界に踏み出していく(であろう)話。登場人物がみんな幸せになるといいなと思う。
「くらすたのしみ」(甲斐みのり)…「誰かに優しくすることは、心の傷や疲れを癒す、自分自身への優しさでもあるのだと」「もっと歳を重ねたとき、ひとつひとつの思い出が記憶の中ですぐに再生できるような、大切な宝物を増やしていきたい」
暮らしを彩るいろいろな「好きなもの」やこだわりの物、それにまつわる想い出について書かれたエッセイ。自分の「好きなもの」を見つけてそれを慈しむ毎日さえあればというくだり、自分がもっと若い頃に気づいていたら日々充実してただろうなと思う今日この頃。
「まだ、空気読めません」(ウスビ・サコ)…「マナーはとは、そもそも他者への気づかいや共生の作法のはずです。しかし日本では、マナーの出発点が、「他人の目」や「空気」となっています」「ルールだからと受け身になって思考停止するのではなく、今はこういう状況だからこうすると主体的に判断し、臨機応変に行動するしなやかさが必要です」
自称「マリアン・ジャパニーズ」の京都精華大学の学長が日本で体験した「なんでやねん」なエピソードいろいろ。日本人が当たり前のように思っていて説明の必要性を感じないような生活習慣に多数のトラップ。しかも生活圏が京都だから難易度高め。一方で、マリの文化や習慣にもびっくりすることあり。違う文化や考えの人同士の軋轢が生じたとき、空気の読みあいで解決するわけもなく、対話で経験を積むしかない。
「ガラスの50代」(酒井順子)…「人生百年時代の今、五十代として生きている自分を見てみますと、人生五十年時代の五十代と比べて、明らかに『薄い』のでした」「五十代は感情の折り返し地点かもしれません。若い部分に先鋭的すぎた部分はうまい具合にすり減って、我慢すべき所は我慢も利くように」
私と同じ丙午生まれ55歳の著者。負け犬の遠吠えもだいぶ昔に読んだなーそういえば。あの頃の著者と自分には隔たりがあると当時感じたけれども、初老に足突っ込んだ今となってはこの本に書いてあること大体に「そうそうそうそう」と共感することしきり。表面のシワやシミより筋肉量が気になるとか、木や花の四季のうつろいに自分の変化を重ね合わせるとか、自分の生命力が薄れてきたせいで赤ちゃんが眩しく発光して見えるとか、子育てに捧げた時間を取り戻すかのように何かに没頭する等々の現象。(読書で女子会してるみたいな気持ち)