いつか見たTV映画の中で、そして、いつか読んだ小説の中で、人は死んだあと体が分解されて原子になり、それが宇宙に散らばっているという世界観を知り、それがずっと私の気持ちの中に消えないままにあります。
人は死んだあと、無になるとずっと思ってきたのに、病気になり、死のすぐ手前まで行った私には、無になるということの恐ろしさや、無になるよりもっと恐ろしい永遠の苦しさが続く世界にとどまるかもしれないという怖さから、逃れられなくなりました。
もしも、死んだ後、原子になって、私が宇宙に散らばっているということが本当にあるなら、それは、無になるというむなしさから、少し救われるのではないかと思うようになりました。
原子になった私には、そこに私という意識などはないのだけれど、でも、存在自体は無になるのではなく、そこにあるのだということが、自分の存在が無になることよりも、ちょっと救われるような気がしてきたのです。
自分が無になるということの恐ろしさは、ずっと私の気持ちを苦しめてきました。でも、無になるのには変わらないけれど、自分の原子が存在するというのは、何か気持ちを温かくするように思います。
人は宇宙の中の、本当に小さな生き物だけれど、そして、生きた印なども本当に他愛もないものなのだけれど、瞬く間のような一瞬の人生を、喜び、悲しみ、怒り、癒し、など大きな時間を生きる人間の素晴らしさを思います。
そして、死んだ後には、何事もなかったように、宇宙の中に、原子として散らばっている自分を思うと、ああそうだったらいいなと思っているこの頃です。