蓮如上人物語(48)(蓮如上人の御遺言)
蓮如上人が建立された山科本願寺は、
四方土塁をもって固められていたので、
誰の目にも城塞と映った。
しかし、城のような構えを
とりながら武器庫がなった。
世俗の武器はなくとも、
法城を護る人々には、
真実の利剣、南無阿弥陀仏の名刀が
あったのだ。
分立していた真宗諸派を、
次々に統一し、まさに、
燎原の火のごとく、
日本全国を席捲した。
蓮如上人が、本願寺八代目法主に
就かれたのは43歳。
数々の法難にあわれながらも、
山科本願寺を建立されたのは
69歳(完成時)の御時だった。
上人の不惜身命のご布教の結実が、
まるで、法城建立の時期に
あわせるがごとく、
次々に開花していった。
しかし、形あるものは必ず滅びる。
それが、諸行無常の真理だ。
「建物は無常、
心の中に永遠の大殿堂
真実信心を建立せよ」
が、蓮如上人の御心だった。
「あわれあわれ、
存命の中に皆々
信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり。
まことに宿善まかせとは
いいながら、
述懐のこころ
暫くも止むことなし」
蓮如上人のご遺言である。
親鸞聖人のみ教えを
無我に相承なされ、
そのご布教に、
85年の全生涯を
捧げられた蓮如上人。
何頭もの駿馬を乗り継いで
全国を駆け巡り、
津々浦々に聖人の教えを
浸透させられた。
応仁の大乱の戦火をかいくぐり、
吉崎御坊、山科本願寺、石山本願寺と、
幾つもの法城を建立され、
拡大させられた。
今日、浄土真宗が
日本で最も多くの人々に
信奉されているのは、
偏に蓮如上人のご尽力による。
その蓮如上人の『御文章』は、
どれも親鸞聖人のみ教えばかりが書かれ、
ご自身のことは全くない。
最も親しまれている「聖人一流の章」も、
「聖人一流の御勧化の趣は~」
で始まり、親鸞聖人の教え以外には
何も記されていないのだ。
ある人に、親鸞聖人のことを聞かれて、
「我も知らぬことなり、
何事も何事も知らぬことをも、
開山(親鸞聖人)の
めされ候ように御沙汰候」
たとえ納得できなくても、
何事も親鸞聖人のなされた通りに
するのがよいのだ、と言われている。
いかに親鸞聖人を尊崇されていたことか。
聖人のみ教えを伝えるためなら
何でもなされ、使えるものは
外典でも引用された。
まさに親鸞学徒の鑑である。
その蓮如上人の絶筆が、冒頭のお言葉なのだ。
「あわれだなあ、不憫だなあ、
すべての人々よ、
どうか命のあるうちに、
信心決定してもらいたい。
このこと一つ、蓮如は
終日思い続けているのです」
これだけは言っておきたい、
伝えたい、分かってもらいたいと
いう切々たる願いが胸を打つ。
たった一つのことを、
生涯にわたって思い続けることなど、
人間にできるのか、
と驚嘆する人も多かろう。
そのたった一つの願い。それが
「信心決定あれかし」
である。
この漢字四つに仏教が収まる。
釈迦45年間の一切経の目的は、
我々に信心決定させること一つであり、
親鸞聖人の不惜身命の九十年も、
このためのご苦労であったのだ。
これはだから、親鸞聖人のご遺言
そのものである。
「弥陀の本願に疑心有ること無し」
の信心を、早く決定せよ。
今生で信心決定しなければ、
死んでからの極楽往生は
何人も絶対にできないのである。
蓮如上人が建立された山科本願寺は、
四方土塁をもって固められていたので、
誰の目にも城塞と映った。
しかし、城のような構えを
とりながら武器庫がなった。
世俗の武器はなくとも、
法城を護る人々には、
真実の利剣、南無阿弥陀仏の名刀が
あったのだ。
分立していた真宗諸派を、
次々に統一し、まさに、
燎原の火のごとく、
日本全国を席捲した。
蓮如上人が、本願寺八代目法主に
就かれたのは43歳。
数々の法難にあわれながらも、
山科本願寺を建立されたのは
69歳(完成時)の御時だった。
上人の不惜身命のご布教の結実が、
まるで、法城建立の時期に
あわせるがごとく、
次々に開花していった。
しかし、形あるものは必ず滅びる。
それが、諸行無常の真理だ。
「建物は無常、
心の中に永遠の大殿堂
真実信心を建立せよ」
が、蓮如上人の御心だった。
「あわれあわれ、
存命の中に皆々
信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり。
まことに宿善まかせとは
いいながら、
述懐のこころ
暫くも止むことなし」
蓮如上人のご遺言である。
親鸞聖人のみ教えを
無我に相承なされ、
そのご布教に、
85年の全生涯を
捧げられた蓮如上人。
何頭もの駿馬を乗り継いで
全国を駆け巡り、
津々浦々に聖人の教えを
浸透させられた。
応仁の大乱の戦火をかいくぐり、
吉崎御坊、山科本願寺、石山本願寺と、
幾つもの法城を建立され、
拡大させられた。
今日、浄土真宗が
日本で最も多くの人々に
信奉されているのは、
偏に蓮如上人のご尽力による。
その蓮如上人の『御文章』は、
どれも親鸞聖人のみ教えばかりが書かれ、
ご自身のことは全くない。
最も親しまれている「聖人一流の章」も、
「聖人一流の御勧化の趣は~」
で始まり、親鸞聖人の教え以外には
何も記されていないのだ。
ある人に、親鸞聖人のことを聞かれて、
「我も知らぬことなり、
何事も何事も知らぬことをも、
開山(親鸞聖人)の
めされ候ように御沙汰候」
たとえ納得できなくても、
何事も親鸞聖人のなされた通りに
するのがよいのだ、と言われている。
いかに親鸞聖人を尊崇されていたことか。
聖人のみ教えを伝えるためなら
何でもなされ、使えるものは
外典でも引用された。
まさに親鸞学徒の鑑である。
その蓮如上人の絶筆が、冒頭のお言葉なのだ。
「あわれだなあ、不憫だなあ、
すべての人々よ、
どうか命のあるうちに、
信心決定してもらいたい。
このこと一つ、蓮如は
終日思い続けているのです」
これだけは言っておきたい、
伝えたい、分かってもらいたいと
いう切々たる願いが胸を打つ。
たった一つのことを、
生涯にわたって思い続けることなど、
人間にできるのか、
と驚嘆する人も多かろう。
そのたった一つの願い。それが
「信心決定あれかし」
である。
この漢字四つに仏教が収まる。
釈迦45年間の一切経の目的は、
我々に信心決定させること一つであり、
親鸞聖人の不惜身命の九十年も、
このためのご苦労であったのだ。
これはだから、親鸞聖人のご遺言
そのものである。
「弥陀の本願に疑心有ること無し」
の信心を、早く決定せよ。
今生で信心決定しなければ、
死んでからの極楽往生は
何人も絶対にできないのである。