歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(35)(赤尾の道宗 後生の一大事、油断あるまじき事)

2010年11月03日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(35)(赤尾の道宗 後生の一大事、油断あるまじき事)

蓮如上人と同時代の妙好人・赤尾の道宗は、
自らも厳しい聞法に徹し、
門徒同行をも教化していきました。

それらは自身が書き残した
『道宗心得二十一箇条』に
見ることができる。

今回は、『二十一箇条』の
一部を取り上げ、
道宗の聞法の心得を尋ねてみる。

【一・後生の一大事、命のあらん限り、油断あるまじき事】

「後生と聞けば、
 はるか遠い先のように思えるが、
 今日がその日かもしれないのだ。
 吐いた息が吸えなかったら、
 吸った息が吐き出せなかったら、
 後生である。
 無常の風に吹かれぬうちに、
 一大事の解決を急げ。
 片時も油断なく、
 聞法に身を沈めよ」

と警鐘を鳴らしている。

後生の一大事に始まり、
一大事の解決に終わる教えが仏法。

「後生の一大事」
「此一大事」

と、『二十一箇条』には八回も繰り返し、
「後生の一大事」こそ、
『二十一箇条』の眼目であり、
道宗は常に、
「後生の一大事を心にかけよ」との、
蓮如上人のご教示そのままを
同行に勧化していたことが分かる。

【二・仏法より外に、心に深く入ること候わば、
   あさましく存候て、すなわち、
   ひるがえすべき事】

「仏法以外に、深く心に
 かかることがあったなら、
 恐ろしいことだと思って、
 すぐに捨て去らねばならない」

「仏法を主とし、世間を客人とせよ」、
「仏法には世間の隙を闕きて聞くべし」
  (御一代記聞書)

の、蓮如上人の仰せそのままである。
 
仏法以外に心をとらえるものがあれば、
それをすぐに捨てて、
仏法第一の日暮らしをせよ、
との道宗の尊い面目が表れている。

【三・ひきたつる心なく、
   おうようになり候わば、
   心中をひきやぶりまいるべき事】

「『こんなことではいけない』と
 心を引き立てて努力する心が乏しくなり、
 懈怠の心が起きてきたら、
 その心を引き破って
 いかねばならない」

『二十一箇条』には、
「ひきやぶれ」の言葉が三度出てくる。

道宗自らむちを振り上げ、
怠け心をたたきつけている
気迫が込められている。

遠く足を運んでまで仏法を
聞く気が起きない、
朝夕の勤行がつらい、
などの心が出てきたら、
「引き破れ」と徹底して
戒めているのである。

「後生の一大事を心せよ」
「仏法を主とせよ」
「自己をたたけ」

この三つが『二十一箇条』の骨格であり、
道宗の生涯を貫く信念、
そして私たちへの叱咤激励であることを、
忘れてはならない。