歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(43)(一心一向)

2010年11月12日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(43)(一心一向)

仏教は後生の一大事を知るところから始まり、
後生の一大事の解決で終わるのだが、
どうすれば後生の一大事を解決できるのか。

釈尊は一切経の結論で

「一向専念無量寿仏」

"無量寿仏に一向専念せよ"

と仰言ったのある。

それを蓮如上人は

「一心一向というは、
 阿弥陀仏に於て、
 二仏をならべざる意なり」
  (御文章2帖目9通)

と御教導なされている。

一心とは、阿弥陀仏だけを信じ、
ほかの仏や菩薩を並べて拝んだり
信じたりしないことだ。

これは最も大切なことだら蓮如上人は、

「忠臣は二君につかえず、
 貞女は二夫をならべず」

と、分かりやすい比喩まで挙げて、
ご教示になっている。

この言葉は中国の歴史書『史記』に出ている。
仏教の経典以外の書だから、
蓮如上人は外典と言われている。

その『史記』には次のような有名な話がある。

昔、中国の斉という国の国王が、
おごりに長じて酒食にふけり、
大事な政治を怠っているのを嘆いて、
忠義な王燭という大臣が
たびたび王に諫言したが、
いつも馬耳東風で一切
聴き入れてくれなかった。

そこで王燭は、
身の不徳を嘆いて役職を辞退して
画邑という所へ隠居してしまった。

王燭のいなくなった斉の国は
崩壊を待つばかりの状態であったので、
隣国の燕王が今がチャンスと
楽毅という人を総大将として、
斉の国に攻め込んできた。
斉はひとたまりもなく壊滅した。

その時、燕の大将・楽毅は、
かねてから王燭の賢徳手腕を高く
評価していたので、
燕の高官に迎えたいと
幾度も礼を厚くして勧めたが、
王燭は頑として応じようとしない。

それでも楽毅が勧誘を
あきらめなかったので、
最後にその使者に向かって、

「忠臣は二君につかえず、
 貞女は二夫をならべず」

と喝破して、庭先の松に縄をかけ、
自ら縊れて死んだとある。
 
蓮如上人はこのことを思い出されて、
わずか娑婆一世の主従でさえ、
忠臣は二君に仕えずと言って
死んで心の潔白を表しているではないか。
ましていわんや、
未来永劫の一大事の解決を求めている者が、
二仏をならべていてどうして
一大事の解決ができようか。

私たちの一大事の後生を
救い切れるお方は、
本師本仏の阿弥陀如来しかないのだから、
弥陀一仏に一心一向になれよと、
お諭しになっているのだ。