歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(38)(報恩講)

2010年11月06日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(38)(報恩講)

「人生の目的」を明らかにされた
親鸞聖人のご命日の前後に開かれる
法筵(ほうえん)が報恩講である。

報恩講というのは、
親鸞聖人のご恩に報いる
集まりのことである。

誰がいつ始められたのか。

それは本願寺第3代・覚如上人が
親鸞聖人の33回忌に『報恩講私記』
という書をしたため、
御法縁を結んだのが始まりである。

その報恩講を最も大事になされたのが
蓮如上人であった。
蓮如上人は報恩講の意義を
『御文章(お文さま)』に
繰り返し繰り返し教えておられる。

具体的に挙げてみよう。

「今月《報恩講》七昼夜のうちにおいて
 -乃至ー
 これぞまことに、今月聖人の御忌の
 本懐にあいかなうべし。
 これ即ち、報恩謝徳の懇志たるべきものなり」
  (4帖目5通 中古已来)

「当月の報恩講は、開山聖人の御遷化の
 正忌として、例年の旧儀とす。
 これによりて、遠国・近国の門徒のたぐい、
 この時節に相当りて参詣の
 志を運び、報謝の誠を致さんと欲す」
  (4帖目6通 三箇条)

「今月報恩講の事、例年の旧儀として、
 七日の勤行を致すところ、
 今にその退転なし。
 然る間、この時節に相当りて
 諸国門葉のたぐい、
 報恩謝徳の懇志を運び、
 称名念仏の本行を尽す。
 まことに是れ、専修専念・決定往生の徳なり」
   (4帖目7通 六箇条)

「今月二十八日の報恩講は
 昔年よりの流例たり。
 これによりて、近国・遠国の門葉、
 報恩謝徳の懇志を運ぶところなり。
 二六時中の称名念仏、今古退転なし。
 これ即ち、開山聖人の法流、
 一天四海の勧化、比類なきが
 致すところなり」
  (4帖目8通 八箇条)

このように、4帖目5通から8通まで
連続で、報恩講について書かれている。
そして、蓮如上人の『ご遺言』でもある
4帖目15通、それもその最後の
最後にこう書かれている。

「あわれあわれ、存命の中に
 皆々信心決定あれかしと、
 朝夕思いはんべり。
 まことに宿善まかせとはいいながら、
 述懐のこころ暫くも止むことなし。
 又はこの在所に三年の居住を経る、
 その甲斐とも思うべし。
 相構えて相かまえて、
 この一七箇日報恩講のうちに於て、
 信心決定ありて、我人一同に往生極楽の
 本意を遂げたまうべきものなり。
 あなかしこ、あなかしこ。
 ○明応七年十一月二十一日より
 始めてこれを読みて、人々に
 信を取らすべきものなり」
  (4帖目15通 大坂建立)

また、『御正忌』という御文章があるが、
『御正忌』とは報恩講のことである。
そこにはこう書かれている。

「この御正忌のうちに参詣をいたし、
 志を運び、報恩謝徳をなさんと思いて、
 聖人の御前に参らん人の中に於て、
 信心を獲得せしめたる人もあるべし、
 また不信心の輩もあるべし。
 以ての外の大事なり」
  (5帖目11通 御正忌)

親鸞聖人のご命日に行う報恩講に
参っている人の中に、
阿弥陀仏に救い摂られている信心獲得の人と、
まだ救われていない人とがいる。
これは一大事である。

弥陀に救い摂られたならばハッキリする。
ハッキリしていない人は極楽へは往けないから、

「以ての外の大事」

と、蓮如上人は言われているのである。

ところが、

「念仏は、阿弥陀さまの必ず救うという
 慈悲のはたらき。
 すでにこの私を包み込んでいる
 阿弥陀さまのはたらきの
 真っただ中にいるのだ」

と言う人がいる。
生まれた時から皆すでに救われているなら、
蓮如上人が

「信心獲得の人」と
「不信心の輩」と

分けられるはずがない。
また、

「救われていない人は一大事だ」

と仰言るはずがない。
ハッキリ信心獲得するまで
聞き抜こう。

このように、とても大切なご縁だからこそ、
蓮如上人は、何度も何度も
報恩講について『御文章』に
書かれたのである。

また、親鸞聖人のご恩を聞かせて頂きながら、
報恩講に参詣しない人に対して、

「そもそも今月二十八日は、
 開山聖人御正忌として、
 毎年不闕に、かの知恩報徳の
 御仏事においては、あらゆる国郡、
 そのほかいかなる卑劣のともがらまでも、
 その御恩をしらざるものは、
 まことに木石に異ならんものか」
  (御文章3帖目11通)

親鸞聖人のご恩を聞きながら、
報恩講に参詣しない人は
木石と同じ、感情のない人かとまで
厳しくご教導なされている。

我々は決して恩知らずになってはいけない。