蓮如上人物語(36)(赤尾の道宗 茶店の子守歌)
蓮如上人は赤尾の道宗の依頼で
多くの御文章を書いておられる。
その中でこういうことがあった。
道宗が上洛の際、蓮如上人にお伺いした。
「蓮如上人様、北陸では、
念仏さえ称えていれば
助けていただけるのだ、
と思っている人が
非常に多くあります。
嘆かわしいことです。
何とかならないものでしょうか」
すると蓮如上人は
「よし。その誤りを正す文をしたためよう」
と、その日から続けて四通の御文章を書かれた。
「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と
称うれば助かる様に皆人の思えり。
それは覚束なきことなり」
(御文章3帖目2通・文明六年八月五日)
「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、
おおようなり。それは極楽には往生せず」
(御文章3帖目3通・文明六年八月六日)
「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
極楽に往生すべきように思いはんべり。
それは大に覚束なきことなり」
(御文章3帖目4通・文明六年八月十八日)
「ただ何の分別もなく、
南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
皆助かるべきように思えり。
それはおおきに覚束なきことなり」
(御文章3帖目5通・文明六年九月六日)
これを拝読した門徒同行の驚きは
如何ほどであったか伺い知ることができる。
大変な驚きであったに違いない。
平成の今日は浄土真宗の者が口を開けば
「念仏相続いたしましょう」
「お念仏のほかありません」
と、信心決定とか信心獲得の言葉は聞けず、
念仏のオンパレードである。
蓮如上人の時代も同じであった。
蓮如上人に旅先で面白い話が残っている。
上人が旅先で茶店によられ一服されていたときである。
突然、赤ちゃんの鳴き声が響いた。
年わもいかぬ娘が生まれたばかりの兄弟の
子守をしていたのである。
赤ちゃんが
「ふぎゃあああ」
と大声で泣いている。
するとその娘が
「おお、よしよし」
と赤ん坊をあやしながら、歌いだした。
「♪泣いて呉れるな
泣かしはせぬぞ
泣けば子守の身が立たぬ
昔々の武士(さむらい)は
箒(ほうき)と刀を間違えて
箒で敵が討たりょうか
ねんねんころよ
ねんころよ」
不思議な歌の内容に関心を持たれた蓮如上人。
娘にその歌について尋ねられたのである。
「娘さん、それは子守歌にしては、
かなり風変わりな歌じゃのう」
「ああ、この歌ですか・
これはこの茶店に伝わる歌でして、
何でもここで起きたことをもとにしていると」
「それはどんなことかな?」
「あるお侍さんが、親の仇を捜して
旅をしていた時のことです
その武士が、ちょうどこの茶店で
休んでいたところ
何年も亘って探していた仇が
茶店の前を通り過ぎっていったのです。
ところが慌てていたのか、その御仁。
横に置いておいた刀と、
丁度、またその横に置いておいた箒を
間違えて、箒を振りかざして
仇を追いかけていったというのです。
店の者が
「お侍さん、刀はこっち」
と後を追ったのですが、
あれでは仇討ちどころか
返り討ちにあってしまいますよね」
「ふむ、これは面白い」
と蓮如上人は紙と筆を持たれ、
替え歌を作られ、お弟子に与えられた
「堕ちて呉れるな
堕としはせぬぞ
堕とせばこの弥陀
身が立たぬ
昔々の同行は
信と報謝を間違えて
報謝で浄土へ詣りょうか」
そして、お弟子にこうご教導されている。
「よいか。親鸞聖人のみ教えは、
信心をもって本とするのじゃ。
弥陀より賜る真実信心一つが
浄土へ生まれる正しい因であり、
称える念仏は御恩報謝。
救い摂られた喜びから、
称えずにおれないお礼なのだよ
信心正因、称名報恩。
これが親鸞聖人の教えなのだ。
現在、信心決定できているかどうかで、
死んで極楽往生できるかどうかが決まるのじゃ。
決して間違えてはならんぞ」
皆々信心決定あれかしと、
ひたすら布教に歩かれた
蓮如上人であったことを物語る。
蓮如上人は赤尾の道宗の依頼で
多くの御文章を書いておられる。
その中でこういうことがあった。
道宗が上洛の際、蓮如上人にお伺いした。
「蓮如上人様、北陸では、
念仏さえ称えていれば
助けていただけるのだ、
と思っている人が
非常に多くあります。
嘆かわしいことです。
何とかならないものでしょうか」
すると蓮如上人は
「よし。その誤りを正す文をしたためよう」
と、その日から続けて四通の御文章を書かれた。
「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と
称うれば助かる様に皆人の思えり。
それは覚束なきことなり」
(御文章3帖目2通・文明六年八月五日)
「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、
おおようなり。それは極楽には往生せず」
(御文章3帖目3通・文明六年八月六日)
「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
極楽に往生すべきように思いはんべり。
それは大に覚束なきことなり」
(御文章3帖目4通・文明六年八月十八日)
「ただ何の分別もなく、
南無阿弥陀仏とばかり称うれば、
皆助かるべきように思えり。
それはおおきに覚束なきことなり」
(御文章3帖目5通・文明六年九月六日)
これを拝読した門徒同行の驚きは
如何ほどであったか伺い知ることができる。
大変な驚きであったに違いない。
平成の今日は浄土真宗の者が口を開けば
「念仏相続いたしましょう」
「お念仏のほかありません」
と、信心決定とか信心獲得の言葉は聞けず、
念仏のオンパレードである。
蓮如上人の時代も同じであった。
蓮如上人に旅先で面白い話が残っている。
上人が旅先で茶店によられ一服されていたときである。
突然、赤ちゃんの鳴き声が響いた。
年わもいかぬ娘が生まれたばかりの兄弟の
子守をしていたのである。
赤ちゃんが
「ふぎゃあああ」
と大声で泣いている。
するとその娘が
「おお、よしよし」
と赤ん坊をあやしながら、歌いだした。
「♪泣いて呉れるな
泣かしはせぬぞ
泣けば子守の身が立たぬ
昔々の武士(さむらい)は
箒(ほうき)と刀を間違えて
箒で敵が討たりょうか
ねんねんころよ
ねんころよ」
不思議な歌の内容に関心を持たれた蓮如上人。
娘にその歌について尋ねられたのである。
「娘さん、それは子守歌にしては、
かなり風変わりな歌じゃのう」
「ああ、この歌ですか・
これはこの茶店に伝わる歌でして、
何でもここで起きたことをもとにしていると」
「それはどんなことかな?」
「あるお侍さんが、親の仇を捜して
旅をしていた時のことです
その武士が、ちょうどこの茶店で
休んでいたところ
何年も亘って探していた仇が
茶店の前を通り過ぎっていったのです。
ところが慌てていたのか、その御仁。
横に置いておいた刀と、
丁度、またその横に置いておいた箒を
間違えて、箒を振りかざして
仇を追いかけていったというのです。
店の者が
「お侍さん、刀はこっち」
と後を追ったのですが、
あれでは仇討ちどころか
返り討ちにあってしまいますよね」
「ふむ、これは面白い」
と蓮如上人は紙と筆を持たれ、
替え歌を作られ、お弟子に与えられた
「堕ちて呉れるな
堕としはせぬぞ
堕とせばこの弥陀
身が立たぬ
昔々の同行は
信と報謝を間違えて
報謝で浄土へ詣りょうか」
そして、お弟子にこうご教導されている。
「よいか。親鸞聖人のみ教えは、
信心をもって本とするのじゃ。
弥陀より賜る真実信心一つが
浄土へ生まれる正しい因であり、
称える念仏は御恩報謝。
救い摂られた喜びから、
称えずにおれないお礼なのだよ
信心正因、称名報恩。
これが親鸞聖人の教えなのだ。
現在、信心決定できているかどうかで、
死んで極楽往生できるかどうかが決まるのじゃ。
決して間違えてはならんぞ」
皆々信心決定あれかしと、
ひたすら布教に歩かれた
蓮如上人であったことを物語る。