満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

【最後の審判の日 ― 秤&スィラート(道)】

2012-01-03 | ハルカ
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم
                                            
最後の審判の日 ― ⑨ 秤(はかり)


前回まで、死後に起こることを順番に見てきました。
①死の天使が、体から魂を抜き取る。 → ②(墓の中の)バルザフの世界  → ③最初のラッパによって、生きているものがすべて死ぬ → ④次のラッパによって、全員復活、再生する。 → ⑤預言者さま(صلى الله عليه و سلم)のハウド(水飲み場)で、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)にお会いする。 → ⑥全ての人類が結集され、自分の清算の番を待つ。  → ⑦預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の取成し → ⑧最も公正なアッラーの前に、整列し、記録書を受け取り、清算が始まる


⑨秤(はかり)


最後の審判の日、私達のこの世の行いが全て計られる秤があります。私たちがこの世で行った悪行と善行、その全てが、その秤の上に載せられます。その秤は、最も公正なアッラーが、精巧にお創りになったもので、狂いもなく正確で、間違えるということが決してありません。

【私は審判の日のために、公正な秤を設ける。1人として仮令芥子一粒の重さであっても不当に扱われることはない。私はそれを(計算に)持ち出す。私は清算者として万全である。】クルアーン 預言者章 47節

【 秤はその日、真正である。(善行の)目方の重い者は、成功する者である。また目方の軽い者は、わが印を軽んじたため、自分を損なう者である。】クルアーン高壁章8~9節日訳P179

 このときに秤の上に載せられる物は、私達の記録書か、行いそのものなのか、どちらでしょうか?大多数の学者の一致するところによると、それは、本ではなく、行いそのものです。その証拠として、以下のハディースをあげています。

《清潔は、信仰の半分です。「アル=ハムドゥリッラー(アッラーに全ての称賛あれ)」は、秤を満たします。「スブハーナッラーヒ ワ=ル=ハムドゥリッラー(アッラーに讃えあれ、アッラーに全ての称賛あれ)」は天と地の間を満たします。 》ムスリム伝承

《慈悲深きお方にとって愛しい言葉で、舌にとっては軽い言葉で、秤にとっては重い言葉は、「スブハーナッラーヒ ワ ビハムディヒ スブハーナッラーフ=ル=アズィーム(アッラーに讃えあれ、全ての称賛はアッラーのもの、偉大なるアッラーに讃えあれ。)」です。》アルブハーリーの伝承

 これらのハディースにあるのは、秤の上に、記録書が置かれるわけではなく、直接、「スブハーナッラー」と私たちが唱えた言葉が置かれる、という表現だからです。

 そして、その日、自分の行いをすべて秤にかけられる人々は、3種類の人に分かれます。

種類1)悪行よりも、善行の天秤の皿が、重かった者。この人たちは天国の住人になります。アッラーは仰いました。
【それで、かれの秤が(善行で)重い者は幸福で満ち足りて暮らすであろう。】クルアーン 恐れ戦く章 6、7節

種類2)善行よりも、悪行の天秤の皿が、重かった者。この人たちは地獄の住人になります。アッラーは仰いました。
【だが秤の軽い者は、奈落が、かれの里であろう。それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。(それは)焦熱(地獄)の火。】クルアーン 恐れ戦く章 8-11節

種類3)善行の皿と、悪行の皿が、まったく釣り合ってしまった者。彼らの行く先は、至高なるアッラーに一任されます。

 この秤は、どういう秤なのでしょうか。私たちはこの世で、いろいろなものを測るのに多くの器具があり、それぞれの器具には特有の役割があり、構造も違います。温度計・質量計・血圧計など様々です。讃えあるアッラーは、人間の行いを測る事ができる器具、秤を存在させる能力を当然のことながら持っています。そしてこの秤の真実は、讃えあるアッラーの知識に一任されているもので、私たち人間の頭で考えて知ることができるものではないことは確かです。


⑩スィラート(道)


秤にかけられた後、人々はスィラートと呼ばれる道へと向います。

1.スィラートの意味
アラビア語で、スィラートというのは、「道、進路」のことです。この世では、スィラートというのは、アッラーが、従うよう人間に命じているルールのことです。

【本当にこれはわれの正しい道である、それに従いなさい。(外の)道に従ってはならない。それらはかれの道からあなたがたを離れ去らせよう。このようにかれは命じられる。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。】クルアーン 家畜章 153節

また、来世では、最後の審判の日に、地獄の炎の上にかかっている橋のことです。全ての人間は、その橋をわたらなければなりません。信仰者は、それぞれの行いによってそこから救われ、そうでない者達は地獄の炎に落ちていきます。クルアーンでもそのことをこう説明しています。

【そしてあなたがたの中一人もそれを通り越せない。これはあなたがたの主が、成し遂げられる御神命である。それから、われは主を畏れる敬虔な者たちを救い出し、不義を行った者はそこにひざまづいたままで放って置こう。】クルアーン マリヤム章 71,72節

2. スィラートの特徴

①足がとても滑りやすい橋である。
《その後、地獄の上に一本の橋がかけられ、執り成し(弁護者)が許されるが、彼らはこの折『主よ、安全を守り給え。ご加護をお願い致します!』と述べることでありましょう」人々が「それはどんな橋ですか」とたずねると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「すべりやすい所で、ここには鉤(かぎ)や鉄串(てつぐし)、それにナジュド地方でサアダーンと呼ばれているとげの樹のような針などが付いています」といわれ、また次のように話を続けられた。「ともあれ信者らはその橋を、雷、または風、或いは鳥、更には速い馬やらくだのように、まばたきする間に通ってしまいます。或る者らは安全に、或る者らは鉤(かぎ)でひっかけられながらも通り抜けるが、とらわれて捕われて地獄の火中にひとまとめに落される者らもいます。また信者らの中には更にその業火から救出される者もいます。》アルブハーリーとムスリム伝承

②髪の毛よりも細く、刀の先端よりも鋭い橋である。
預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は仰いました。

《私はその橋が髪の毛よりも細く、剣よりも鋭いと聞きました。》ムスリム伝承

3.スィラートの超え方

預言者ムハンマド様(صلى الله عليه و سلم)とそのウンマ(共同体)が、一番最初にそこを渡ります。

《 その後地獄の業火の上にかけられた一本の橋の上を、私と私の信徒たちは最初に渡ることになりますが、その日には使徒たち以外には誰も声を発する者はなく、その日の使徒たちの祈りも『アッラーよ、安全をお守り下さい。無事をお願い致します。』という言葉のみでありましょう」地獄には、サアダーンの樹のとげのように長い鉄製の鉤(かぎ)が置かれている。アッラーのみ使いは「サアダーンの樹を知っていますか」とおたずねになり、彼らが「はい」と答えるとこう言われた。「まことにこれらの鉄鉤(てつかぎ)は、サアダーンの樹のとげにも似ていますが、アッラー以外にその大きさについて知る方はおられない。これらの鉤(かぎ)が悪行を犯した者を捕らえるのです。信者のうち、善行者は捕らえられることはなく、その善行の故に救済され報奨される者もいます。》ムスリム伝承

また信仰者はその橋を渡るときに、光が照らし、困難なことは何もありません。クルアーンにある通りです。

【その日あなたは、信者の男と信者の女の、前の方や右側に、かれらの光が走るのを見るであろう。(かれらには言われよう。)「今日は、あなたがたへの吉報がある。川が下を流れる楽園のことである。永遠にその中に住むのである。それこそは、本当に偉大な幸福の成就である。」】クルアーン 鉄章 12節

 これらの人々は、この橋をいとも簡単に、雷のように、突風のように、鳥のように渡ります。それぞれのこの世での行いとイフラース(その行いをアッラーの為に純粋にしたかどうか)に応じて、橋を渡る早さは違います。

《それで人々は主の後に従って一緒に進み出すのである。その後、偽信者、篤信者の別なく全ての人々は明りを持たされ、彼に従って地獄の橋の上に行くが、そこにはアッラーが命ずるものを捕らえるための鉤(かぎ)や大串が用意されている。ここで偽信者らの明りは消える。そして篤信者らのみは救済されることになる。こうして救われた最初の一団は七万人にも及び、彼らの顔は満月の夜の光のように喜びに輝く。彼らは罪を問われることはないのである。続いて彼らのあとに従って橋をわたった者らも喜びのため、天空で最も明るい光を放つ星のような顔を見せる。》ムスリム伝承

一方、不信仰者たちは、足が滑ってどうしてもその橋を渡りきることはできず、次々と地獄へ落ちていきます。ウドゥーで足を洗う時のドゥアーにも、この時のことをアッラーにお願いするドゥアーをしながら洗います。右足を洗う時には、
اللَّهُمَّ ثَبِّتْ قَدَمَيَّ على الصِّراطِ المُستَقِيمِ مَعَ أَقْدَامِ عِبادِكَ الصَّالِحِين アッラーフンマ サッビトゥ カダマイヤ アラ=ッ=スィラーティ=ル=ムスタキーム マア アクダーミ イバーディカ=ッ=サーリヒーン」(アッラーよ、どうか私の両足を、あなたの誠実な僕達の足と共に、まっすぐな道に固定してください。)
左足を洗う時に、
اللَّهُمَّ إِنِّى أَعُوذُ بِكَ أَنْ تَزِلَّ قَدَمَيَّ عَلَى الصِّراطِ فِي النَّارِ يَومَ تَزِلّ أَقْدَامُ المُنَافِقِينَ وَ المُشرِكِين アッラーフンマ インニー アウーズビカ アン タズィッラ  カダマイヤ アラ=ッ=スィラーティ フィ=ン=ナーリ ヤウマ タズィッル アクダーム=ル=ムナーフィキーナ ワ=ル=ムシュリキーン」(アッラーよ、私は、あなたに、偽信者や不信者達の足が滑る日に、私の両足がスィラートから地獄に滑ることからの、ご加護を求めます。)
と言います。

4.スィラートにおける英知とその恐怖

全ての人が通らなければならないスィラートは、この世での、アッラーのお決めになられたイスラーム法のルールの象徴です。誰でも、この世で、ハラールのものだけを取り、アッラーが禁じられたハラームの物を避けて、アッラーの道からそれることなく、自分の生活を窮屈にさせた者の前には、地獄の炎の上にかかる橋が、広々と広がり、橋から落ちることはありません。反対に、誰でも、この世で楽々と、自分の欲するものだけを取って、それがハラールかハラームか気にかけず、気楽な生活を送って、アッラーのお決めになった限界を超えていた者には、明日、目の前のそのスィラートが、狭く通ることのできない橋になるでしょう。


→ 次回は、⑪報奨 について、إن شاء الله

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام






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