بسم الله الرحمان الرحيم
السلام عليكم
労働について(労働の原点)
アブー・アブドッラー・アッズバイル・イブン・アルアッワーム(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「あなた方は誰でも自分の縄を持って山に行き、薪の束を背負って戻り、それを売りなさい。そうすることによって、アッラーはその者の顔を覆ってくださるでしょう。そうすることはこれるかくれないか分からない人に物乞いをするものより良いことです。」(アル=ブハーリーの伝承。注:「顔を覆ってくださる」とは「他人に物乞いをするという恥辱から守ってくださる」の意)アブー・フライラ(رضى الله عنه)は伝えている。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が「あなた方の一人が朝、薪を集めに行き、それでサダカを行い、更に人々の助けを借りずに自立することは、与えられるにせよ拒絶されるにせよ、人に乞い求めるよりは良い。まことに上方の手は下方の手に優る。それで先ずあなたが養っている者から始めよ」と言われるのを聞いた。(ムスリムによる伝承)
人間はアッラーの代理人としてこの世界に運営を任されました。労働はその責務を果たすためにあります。初めのハディースは働くことで自立心が養われ、人間の尊厳が保たれることを教えています。誰でも山や林に行き額に汗して薪を取り、その薪を売って食を代えるほうが、何もせず他人に食を乞うよりもずっとましです。それは乞うという行為そのものが不名誉であり自尊心を傷つけるからです。アッラーは、労働をする人が恥辱をこうむらないような計らいをしてくれるのです。このように労働は人間の使命を自覚させ自身を持たせるものです。
次のハディースでは労働のあり方について述べられています。働くことが単に自分のためだけでなく、働いて得たお金を同胞にサダカすることが勧められています。それにより相互扶助の精神が養われ社会連帯の意識を根づかせます。それに対し健康で働く力がありながら他人に乞うことは、二重に本人を苦しませることになります。なぜなら他人に乞うても与えられなければ恥辱を感じるだろうし、たとえ貰えたとしても、その人に対し負債を受けることになるからです。それでサダカをする手は上方の手となり、他人に乞うて差し出す手は下方の手をなるわけです。また次のようなハディースもあります。「物乞いを慎み、家族を養い、隣人に親切にして、合法的に生きようとする者は、満月のように輝く顔でアッラーに出会うでしょう。」(アル・バイハキ「信仰集成」)「まことにアッラーはしもべ、信者、貧者、物乞いをしない者、大家族の長を愛し給う」(イブン・マージャによる伝承)
これから考えられるのは、働くことが出来る者が労働しないのはハラーム(禁じられること)であり、健康な者が家族のために働くことは義務であること。そして労働とはアッラーから託された世界運営に携わる一人として働かさせて頂くこと(勤労)であり、それを思念して世俗の業務に精励すること(勤労)は宗教的生き方そのものになることです。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام
السلام عليكم
労働について(労働の原点)
アブー・アブドッラー・アッズバイル・イブン・アルアッワーム(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「あなた方は誰でも自分の縄を持って山に行き、薪の束を背負って戻り、それを売りなさい。そうすることによって、アッラーはその者の顔を覆ってくださるでしょう。そうすることはこれるかくれないか分からない人に物乞いをするものより良いことです。」(アル=ブハーリーの伝承。注:「顔を覆ってくださる」とは「他人に物乞いをするという恥辱から守ってくださる」の意)アブー・フライラ(رضى الله عنه)は伝えている。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が「あなた方の一人が朝、薪を集めに行き、それでサダカを行い、更に人々の助けを借りずに自立することは、与えられるにせよ拒絶されるにせよ、人に乞い求めるよりは良い。まことに上方の手は下方の手に優る。それで先ずあなたが養っている者から始めよ」と言われるのを聞いた。(ムスリムによる伝承)
人間はアッラーの代理人としてこの世界に運営を任されました。労働はその責務を果たすためにあります。初めのハディースは働くことで自立心が養われ、人間の尊厳が保たれることを教えています。誰でも山や林に行き額に汗して薪を取り、その薪を売って食を代えるほうが、何もせず他人に食を乞うよりもずっとましです。それは乞うという行為そのものが不名誉であり自尊心を傷つけるからです。アッラーは、労働をする人が恥辱をこうむらないような計らいをしてくれるのです。このように労働は人間の使命を自覚させ自身を持たせるものです。
次のハディースでは労働のあり方について述べられています。働くことが単に自分のためだけでなく、働いて得たお金を同胞にサダカすることが勧められています。それにより相互扶助の精神が養われ社会連帯の意識を根づかせます。それに対し健康で働く力がありながら他人に乞うことは、二重に本人を苦しませることになります。なぜなら他人に乞うても与えられなければ恥辱を感じるだろうし、たとえ貰えたとしても、その人に対し負債を受けることになるからです。それでサダカをする手は上方の手となり、他人に乞うて差し出す手は下方の手をなるわけです。また次のようなハディースもあります。「物乞いを慎み、家族を養い、隣人に親切にして、合法的に生きようとする者は、満月のように輝く顔でアッラーに出会うでしょう。」(アル・バイハキ「信仰集成」)「まことにアッラーはしもべ、信者、貧者、物乞いをしない者、大家族の長を愛し給う」(イブン・マージャによる伝承)
これから考えられるのは、働くことが出来る者が労働しないのはハラーム(禁じられること)であり、健康な者が家族のために働くことは義務であること。そして労働とはアッラーから託された世界運営に携わる一人として働かさせて頂くこと(勤労)であり、それを思念して世俗の業務に精励すること(勤労)は宗教的生き方そのものになることです。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام