満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその15

2008-06-04 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

隣人に良くすることについて(親切ともてなし)

 アーイシャ(رضي الله عنها)によると預言者(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「ガブリエルが私に、隣人が良くするように言い続けるので、私は彼が隣人を相続人にするのではないかと思うほどになった。」(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)、イブン・アッバース(رضي الله عنه)によると、私はアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が「隣人がかたわらで空腹を抱えている時に腹一杯食べる者は、信者ではない。」と言われるのを聞いた。(アル=バイハキー「信仰集成」)、アブー・フライラー(رضي الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「アッラーと最後の日を信じる者は隣人を親切にしなさい。アッラーと来世を信じる者は客を寛大にもてなしなさい。」(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)

 隣人に対しどのように親切にすべきかについて、初めのハディースでは相続人にしても良い位までとしています。この一言で隣人への接し方をすべて言い表している感があります。それは身内と同じように尽くすことと理解しても良いでしょう。その一例が次のハディースで、隣人が空腹であると察した時は、そしらぬふりをするのではなく、「一緒にどうぞ」という言葉をかけ食べ物を分かち合うことが隣人の務めとなります。与えることが出来る人は毎日食事のできる生活を送っていることに感謝し、またアッラーから隣人を慈しむ実践の場を与えて頂いていることにも感謝すべきと思います。と言うもの他のハディースに「人を慈しまない者に、アッラーは慈悲を垂れることはない。」、「地にある者を慈しみなさい。そうすれば天にいらっしゃる御方があなたを慈しんでくださる。」(ともにムスリムによる伝承)とあるように、与えた人はアッラーからのお返しがあるからです。
 これにより隣人も自分も共同体(ウンマ)の構成員の一人であり助け合いの意識が芽生えていくような気がします。隣人への親切や愛を抽象的な言葉だけで終わらせずに具体的な行動が要求されているわけですが、このような対応が自然にできるように心がけたいものです。
 三つ目のハディースに信者として良いことを語るとありますが、これは話すときは相手を傷つけない言葉で話し、争いごとを起こさないという意味が込められているような気がします。その場に相応しい言葉が見つからない時は、挨拶だけはして後は黙っていることで隣人と良い関係を続けられる場合もあります。最後に客を寛大にもてなすとありますが、人間は利害関係のない時こそ人としてあるべき姿が問われます。他のハディースに、イスラームにおいて最善なことは何かという問いに対し、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は「人を食事に歓待し、顔見知りの者にも見知らぬ者にも挨拶することです。」(ムスリムによる伝承)と答えられています。客に対し、また、今自分を必要としている人を出来る限り親切にもてなし、良き隣人関係を保つことが求められています。このように隣人をはじめ他人を思いやる心の修養は世間から修業道場のような場所で特別な行を通して得られるのではなく、毎日の日常生活の中で培うことがムスリムの生き方となります。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام



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