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満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディースその4

2006-08-19 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

審判の日と天国の民、業火(地獄)の民について

 ウサーマ(رضى الله عنه)によると預言者(صلى الله عليه و سلم)は言われた。
「私が天国の入り口に立つと、そこに入って行った者の大半が貧乏人たちで、金持ちは入り口のところで引き留められていました。一方、業火の住民が地獄に行くように命ぜられていました。そこに入って行った者の大半は女性でした。」
(アル・ブハーリーとムスリムの伝承)

 天国と地獄に関する沢山の伝承記録が残っていることから、千年前の人々にとり終末や死後の世界は、我々現代の人間が想像するより何倍もの関心事であったに違いない。
 この伝承は天国や地獄に入る人たちを述べている。生活の貧しさに耐えた人が金持ちより先に天国に入ることは人情として理解できるが、地獄の大半が女性というのは驚かされる。なぜ、女性がと疑問がよぎる。なぜならイスラームに最初に入信したのは女性ー預言者(صلى الله عليه و سلم)の妻ーではなかったか。そして、預言者(صلى الله عليه و سلم)や教友たちが故郷を追われながらもイスラームの公布活動を続けられたのは妻たちの支えがあったからだと思うからである。
 この理由を知るのに手がかりとなる他の伝承がある。----それで人々は尋ねた。「アッラーの使徒よ。どうしてですか?」「恩知らずだからです。」「アッラーに対して忘恩でしょうか?」「夫に恩を感じないのと、善行をありがたく思わないからです。たとえ、生涯を通して優しくしても何か不快なものをみると、『私はあなたから、何も良い事をして貰ったことがなかったわ』と言うでしょう」
(アル・ブハーリーの伝承)

 このように、毎日平穏な生活ができているのに感謝せず不平不満を述べることを戒めているのだ。結婚は信仰の半分の成就とするイスラームの教えにとり、夫婦不仲や家庭不和の原因を作るのは信仰の半分を失うことになりかねない。また子供を育てる母親の役割は計りしれないことを思うと、母親が父親に対し不満を募らせることにより親子の信頼感をも薄めてしまうことになりかねない。
 こう読んでいくと、家庭の和のためになすべきことを考えさせるのがこの話の主旨かもしれない。そうすると、これは女性に限らず男性にも同じく考えることを促している。
例えば、妻の話をじっくり聞こうとしない男たちはいないかと。彼らも妻や家庭を軽んじている責任を問われるだろう。普段から妻と会話をしていれば不満の多くは解消されよう。相手に対し心底からの思いやりを持つことが問題を解決する。
 この伝承は、夫も妻もそれぞれの責任を果たし、相手を正しく評価すれば、夫婦の絆、家庭の絆が強まることを暗示している。結婚はゴールではない。夫婦愛、家族愛を育ませるスタートなのだ。また、普段の生活の中で何がアッラーの意に沿い、何がアッラーの意に沿わないかを知る手がかりを与えてくれる伝承といえる。

 「アッラーと来世を信じる者は、もし何かを見かけた場合は、それに関し、よい言葉で話すか、さもなければ沈黙を守りなさい。女性には親切にしなさい。」
(ムスリムの伝承)

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام

200のハディースその3

2006-08-02 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عيكم

最後(終末)の時の徴(前兆)

 アブー・フライラ(رضى الله عنه)は預言者(صلى الله عليه و سلم)がこう言われたと伝えている。
「自分の手にしたものが法によって許されているか、禁じられているかを気にかけないような時が人の上にいずれやって来ます。」
(アル=ブハーリーの伝承)
 同じくアブー・フライラ(رضى الله عنه)によると、
「私の生命を御手にもつ方に誓って。殺人者がどうして殺人を行ったのか分からず、犠牲者がなぜ犠牲になったのかを知らないほど人々が混乱した時代が来るだろう。」(日本ムスリム協会編「日訳サヒーフ ムスリム」「試練と最後の時の書」)

 またアナス(رضى الله عنه)は伝えている。
「最後の時の徴として、(宗教的)知識が乏しくなり、無知が蔓延し、飲酒が広まり、姦通が増え、男が減り女が増え、50人の女に一人の保護者ということになります。」
(アル=ブハーリーの伝承)

 この終末に関する伝承は人間が自ら招き寄せる徴について述べている。伝承の中には今の日本の姿に近いものもある。法意識の欠如から賞味期限や原産地を偽った食品会社、自社株の虚偽記載などにより信用を失墜させた会社などの不祥事が相次いでいる。
 法令順守(コンプライアンス)を指針とする企業も中にはあるが、コスト優先ばかりで法的責任意識の低い企業が多すぎる。次に殺人事件を始め犯罪の増加と犯罪者の若年化の傾向は罪意識の低下と他人の感じる痛みや命の重みを実感できない人間が増えたことが考えられる。国民の知的水準の向上と倫理意識が比例していないのである。
 何故このような社会になって行くのか。預言者(صلى الله عليه و سلم)の伝承からその答えの一つが明らかにされている。それは宗教意識の欠如である。
 他人のものを盗むな、人を殺すなは宗教命令として人類が守ってきた根本的法である。 他者との絆や人間の尊厳を説く道徳倫理の根本は宗教が担ってきた。宗教的知識が欠如すると絶対者に対する畏れの意識が弱まり罪悪観念が希薄化し、善悪の基準、許されるものと許されないものとの境界が不明瞭になってくる。それがひいては人間の存在の重みや生きる目的をあいまいにさせ、物質偏重、機能優先の社会となり、終末の引き金となっていくと説いているのである。
 ただ精神論を説くだけでは社会を動かすことはできない。そこで物質的価値と精神的価値の両方を深く理解し、経論の道を説くイスラームの果たす役割は大きい。

 三大宗教の中でイスラームだけがイスラーム経済という用語があり、経済活動を奨励し、合法的に利益を得ることを認め共同体を発展させてきた。禁欲を求めず人間の物欲を認める一方で儲けに熱心な余りアッラーを失念する(自制心)がないようにとも説く。

 暴力行為についてもイスラームは人の顔を殴ることを固く禁じている。人間の生命を神聖化したのはアッラーである。絶対者を前にして己の卑小さを自覚することができ、他者を思いやる気持ちが育まれる。
 宗教意識を含むモラルの低下は人間不信を招き他人に対し必要以上の警戒心を生み安心確保のためにコストを増やし続けることになる。宗教的知識は人を救い社会を守る源である。知識は人間に与えられた神の祝福である。

アッラーのご加護と祝福がありますように。

و السلام

200のハディースその2

2006-08-02 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

(その2)アッラーへサダカ(善行)

アブー・ザッル(رضى الله عنه)(教友の中でも敬虔さと質素さで知られていた)はこう伝えています。

 教友たちの幾人かが預言者(صلى الله عليه و سلم)に
「アッラーのみ使いよ、富裕な人達は、われわれが礼拝するように礼拝し、断食するように断食し、その上彼らの豊富な財力でサダカを行います。(その結果)彼らが(全ての)報酬をさらって言ってしまいます。」と言った。
 み使い(صلى الله عليه و سلم)は「あなた方にも行えるサダカをお作りになったのではないか。(つまり)『صبحان اللهアッラーを賛美すること(タスビーフ)』の毎回毎回がサダカである。『الله أكبرアッラーは至大なり(タクビール)』を唱えるその都度都度がサダカである。『الحمد لللهアッラーに栄光あれ(タフミード)』と口にするその都度都度がサダカである。『لا إله إلاَّ اللهアッラーの他に神なし(タフリール)』と唱えるその毎回毎回がサダカである。・・・」
(日本ムスリム協会発行「日訳サヒーフ ムスリム」より)

 長者の万灯より貧者の一灯という言葉を想い出しながらこのハディースを読みました。施しの多少という単純な量的なものだけを比べるなら、他のハディースに
「業火から身を守りなさい。例えなつめやしの実の半分(のサダカ)によってでも。それすら持ち合わせていない者は親切な言葉ででも。」
とあるように、イスラームでも経済的余裕のない人がサダカする心の大切さを述べています。さらに同胞間の連帯意識を高め、安心感の得られる社会を作るための行為(親切な言葉)の一つを具体的に述べる配慮までしております。
 ところがこれでサダカの説明が終わりではなく、まだ先があるのです。
 いくら喜捨するものがなくても気にすることはないと言われても、持つ者と持たざる者との心の溝はそう簡単に埋まるものではありません。確かに富者に対しては「右手がしていることを知らぬ程にひそかにサダカする者は審判の日にアッラーの庇護下に置かれる(七類型の一人)」と言われサダカの行為を秘める者の徳を勧めていますが、その一方で「モスクを造る者のために、アッラーはそれと同じものを天国でお造りになる」とも言われています。知らずに沸き起こる裕福な人への嫉妬心と報酬を得られない己の能力の無さを卑下し劣等感に悩む者の心をどう鎮めたらいいのでしょうか。同胞意識を高めようと説く宗教が信じる者に疎外感を持たせるようであっては健全なコミュニティは作れません。
 そんな疑念を持つ人に答えているのがこのハディースです。この問いかけをしている人たちは財力に強くこだわり、物的なものに心が囚われ過ぎています。そこで預言者(صلى الله عليه و سلم)は人々の視点を宗教の原点へと向けさせます。
 まずアッラーを讃えなさい、そして人間の存在を成り立たせている創造主アッラーを想い起こし、今、己が生かされていることに感謝する言葉を唱えなさいと。
 アッラーを讃える言葉を声に出して言うことがアッラーへのサダカ(善行)なのです。
 それに対してアッラーは報償を用意していらっしゃるのです。こうして疑念を持つ人の心を落ち着かせ、報酬を得られない焦りt取り残された者の不安感を取り除いたのです。
 別のハディースにこうあります。
「イスラームに帰依した者、生活可能限度の糧を与えられている者、そしてアッラーがお与えになったもので満足している者は成功した者である。」(ムスリムの伝承)



アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

200のハディースその1

2006-07-13 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

 毎月一回開催されている、「ムスリムの集い」のプログラムの一つである「ハディースを読む」(アブドル・ラヒーム・アルファヒームケ編、大木博文氏訳、日本ムスリム協会発行)で使用されているテキストの一部を日本ムスリム協会の会報誌「アル=イスラーム」にヤヒヤ氏がご紹介なさっているものを、氏のご好意により本ブログでもご紹介していきます。。أن شاء الله

第一章、サダカと善行について(その一)

 サダカとは喜捨、施しを意味するアラビア語。ザカー(ト)が義務の喜捨であるのに対し、自発的な喜捨をサダカという。
サダカの意味は広く、単にお金や品物を出すだけでなく、自分の能力に応じて他人を助けるためにする慈善行為全てが含まれている。この章のサダカに関するハディースが17種収録されている。
「人の体のあらゆる部分は毎日、陽が昇ったらサダカをしなければなりません。二人の人の間を公正に執り成すこともサダカであり、家畜を連れた者が家畜に乗ろうとする時に手を貸したり、家畜に荷を積むのを手伝ってやるのもサダカです。また、善き言葉もサダカです。礼拝に向かって歩む一歩一歩もサダカです。また、道から障害物を取り除くこともサダカです。」(アル=ブハーリー、ムスリムによる伝承)
 このハディースからサダカが広い意味での人助けであり、日常生活の中でムスリムとして振舞う際の心がけであるように読み取れる。中でも隣人に善き言葉をかけることがサダカとされることに意外な感想を持たれるかもしれない。他のハディースには朗らかな顔で同胞に接することや良識にかなった行いをすること、さらに家族を扶養することもサダカとあるので、ますますその感が強くなる。そこでこう読み取れた。
 二人の間を公正に執り成せば、二人は満足感という恵みを得たことになる。善き言葉をかけられた隣人は気持ちよい気分という恵みを得られたことになる。つまりサダカ(施し)とは広い意味で人に恵みを与える行為なのだということになる。そして恵みを得た人は、人に感謝し、ひいては神(アッラー)に感謝するようになるという訳である。さらに恵みを与えてくれる大元は神(アッラー)なのだという意識に辿り着くことでサダカ(施し、恵み、感謝)が完結するのである。それで礼拝への一歩一歩が自分に命と体という恵みを与えてくれた神(アッラー)への感謝への表現となり、これもサダカとなるのである。

 礼拝についてであるが、ここでは一人でする礼拝ではなく、多くの人と一緒にする礼拝をさしている。「モスクで行う集団礼拝は、家や市場である礼拝よりも二十五段階も勝っている。」と他のハディースにあるように、一人での礼拝よりもできるだけ多くのムスリムと肩を並べることを勧めているのである。このことからイスラームでは宗教とは単に個人の自己成長を目指すだけでよしとするのではなく、人間の結びつきを重視していることがわかる。サダカの教えは、自分自身に責任を持つことだけでよしとする個人主義に陥ることなく、家族や隣人、社会においても責任を持ち他人に配慮する意識、連帯意識を強め、健全なコミュニティを維持する行動原理を説いていると言える。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


吟味すること

2005-07-06 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحملن الرحيم

السلام عليكم

アブー・フライラー(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は次のように言われました。

كَفَى بِالْمَرْءِ أَنْ يُحَدِّثَ مَا سَمِعَ


ー「聞いたことを全て伝える者はそれだけで十分な過ちを犯したことになる。」
(アブー・ダーウード、イブン・ヒッバーン、アル=ハキームの伝承による。サヒーフ)

1.ハディースやフィクフのルールやその類など宗教やシャリーアやに関することが伝えられたとき、注意深くチェックすることです。

出版されているハディースを読み直したり、イスラーム学を学んでいる・学んだ人に教えを請いたりします。学んでいる人だって過ちを犯すことがありますので、やはり回答を得ても吟味する必要があります。

2.誰からある人物について悪評を聞いたり、ある者の口から悪い言葉が出たと聞いたときは、急いでそれを他の者に伝えたり、噂に尾鰭をつけたりせずに、それを正し、慎重に真実であるか正確であるかを吟味します。慎重さが、誤った動きや流れを抑制し、正しき道へと導いてくれるでしょう。

本来なら、同胞の悪口を聞いた場合、もしくは複雑なことになりそうな内容の言葉は、誰にも言わないことです。仲裁に立てるほど、双方との信頼関係がある場合は別にして、「話を広げる」ためだけに、誰かに伝えることは、共同体を腐敗させることに付与している惧れがあると思い、己の言動を慎みます。

これは「満月通信」の管理者も自身への「訓戒」と思って、常に心に留めておかなけらばならないと思います。

正しき道を歩めるように、良き指導者に巡り遭えるように、アッラーからの更なる導きを願います。

アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام


機会を逃さず掴み取れ

2005-04-20 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

イブン・’アッバース(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は助言を彼にしているときこう言われました。


اغْتَنِمْ خَمْاَ قَبل خَمس

شبابَكَ قبل هَرَمك

و صِحَّتَكَ قبل سَقَمك

و غَناءَك قبل فَقْرك

و فراغَكَ قبل شُغلك

و حياتَك قبل موتك


5つのものが無くなる前に5つのものの益を掴み取りなさい。
老いの前の若さを
病気になる前の健康を
貧しさの前の豊かさを
忙しさの前の自由な時間を
死の前の生を

(アル=ハキーム、アル=バイハキーの伝承・ハサン)

時間はあなたがたが気をつけるべき最も大切なものである。(時間を)失うことはあなたにとって最も簡単なことだ私はわかっている。(ダイ=ル=ラバカーティ=ル=ハナビラー)


第103章「時間章」で至高なるアッラーはこう仰せになっています。


ー『時間にかけて(誓う)本当に人間は、喪失の中にいる。』

人間は時間軸の中に捕らわれた世界で生きているが、その中で益にならないような時間の使い方をしているものがなんと多い事でしょうか。

ー『信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を勧めあう者たちの外は。 』

ただし例外があります。それは信仰する者たち、善行する者たち、互いに真理を勧め合う者たち、忍耐を分け合う者たちです。アッラーから同等に時間を与えられている者たちは日々時間の中で有効な使い方をしているだろうか。

アスタグフィルッラー
استغفر الله

アッラーのご加護と祝福がありますように

ワッサラーム
والسلام



地獄の住民

2005-03-27 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

اليلام عليكم

「地獄の住民には二つの特徴がある。その一つは、彼が雄牛の尾のような鞭を持ち、それで人々に体罰を加えることである。第二は、女たちはなにも身につけず、裸身で、駱駝瘤のように髪を高目に結び、男を誘惑していることで、このような女たちは天国に入れない。また天国の香りすらも、しかじかの遠い距離までただようにも関わらず。嗅ぐことはできない。」

「身につけず、裸身で」の解釈に4つのものがあるそうです。

①身体にぴったりしたものを身に付けている
ジーンズ等が「眉をひそめられる」のもこうした理由かと思われます。
またジーンズは本来は作業着であり、西洋(つまりクリスチャンやユダヤ教徒)の模倣とも考えられますので、勧められないのでしょうか。

②透け透けのもの(シースルーのもの)を身に付けている・・・服を着ているが、まるで着ていないようなもの。
この項目には、「ヒジャーブ」はしていても髪を半分しか隠していないような「していながらその機能を果たしていないような被り方をしていること」も該当するようです。
普段はしていないが、「アザーン」を聞いたときだけ、聖クルアーンの一節を聞いたときだけ、さっと頭にドパタを載せるのも同様とも考えられるのでは。アスタグフィルッラー

ハルーン・ラシッドの妻であるズベイダが天国の住民となったのは彼女の名前がついた人工の川(これは水を供給しつづけるのでサダカ・ジャーリヤですね)のためではなくアザーンの時に畏敬の念でヒジャーブをしていた理由によるというストーリーがあるので、そこから「アザーン」を聞いたら「スカーフをする」ということになったのかもしれません。

「聖クルアーンを読誦するときにスカーフを被る」こともアッラーの行為に対して畏敬の念を表す、敬意を示すという点では何ら非難すべきことではありません。



③アバイヤを着てヒジャーブをしてムスリマのドレスコードは押さえてるが、イバーダ(崇拝行為・・・つまり礼拝や断食など)をしない、もしくはイバーダをしてもそこにイフラース(アッラーのためだけにする真摯な気持ち)がない。
・・・・・アスタグフィルッラー

④夫が見ているところではさまざなことを守るが、いないところでは守らないこと
ー『かの女らはあなたがたの衣であり、あなたがたはまたかの女らの衣である。』(2:187)
夫という衣を脱ぎ捨てるということで、それは裸身ということになるのでしょうか。


アッラーが一番ご存知です。

日本ではムスリムは少数ですので、「ヒジャーブ着用」は奇異なものに映り、浮きあがってしまうことでしょう。イスラーム圏でも現在では「ヒジャーブ着用」がファッショナブルなものとして捉えられる傾向になった国もあり、ムハッジャバ(ヒジャーブをするムスリマ)も増えてきているようです。
しかし、一昔前はムハッジャバは「頭の悪い」「おしゃれ感覚のない」「田舎者」というやや侮蔑めいた取り扱いをされていた国もあったようです。

世の中が、殆ど裸同然な服装や、鍛えた肉体を強調するような服装で、溢れているときは、ムスリムのドレスコードは奇異でしょう。

しかし、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の言葉を思い出しましょう。

بَدَأَ الإسلامُ غَرِيباً٫

سَبَعُودُ لِمَا بَدَأَ٫

َفَطُوْبَى لِلَغُرَبَءِ الَّذِيْنَ يُصْلِحُوْنَ مَا اَفُسَدَ النَّاس



「イスラームは変わり者として始まり、始まったと時と同様にすぐ変わり者に戻るだろう。人々が悪をなすときに善をなす変わり者たちに祝福あれ」

「変わり者」は否定的な言葉としてではなく、「特別な者」として捉えましょう。
スーパーに買い物に行き、例えば果物を買おうとするとき、陳列された中から、一番状態のいいものを選びますよね。
同様に、アッラーがお導きくださったムスリムやムスリマは「アッラーより選ばれた特別なもの」なのです。

その「選んでくださった」アッラーの愛に、アッラーがお喜びになる方法で応えたいものです。


アッラーのご加護と祝福がありますように
و السلام