goo blog サービス終了のお知らせ 

満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

200のハディース その24

2010-02-21 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

商売について(その2)(借金を猶予する)

 ジャービル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「アッラーは、売買に際し、借金の清算を求めるに際し、寛大な者に恵みを垂れ給います。」(アル=ブハーリーによる伝承)
 アブー・アル=ヤサル(رضى الله عنه)によると、私はアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が「債務者に返済の延期を認める者、あるいは負債を軽減してあげる者を、アッラーはご自身の日陰の下に守ってくださいます。」と言われるのを聞いた。(ムスリムによる伝承)
 アブー・マスウード・アル=アンサーリー(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「あなたがたより以前の時代のある者が審判を受けました。彼は金持ちで人々と取引をしていましたが、貧者に対しては支払いを大目にみてやるよう使いの者に命じていた以外には、彼には何の善行もありませんでした。アッラーは天使たちに向って言いました。『我はそのことについては汝よりも詳しい。彼は大目に見てやりなさい。』(アル=ブハーリー、ムスリム、アン・ナサーイーによる伝承)(注:人が貧者に対して支払いを大目に見てやる以上に、アッラーは人に罪をその者のわずかな善行によって大目に見て下さるのである。)



 このハディースを読んで、昔から言われている「損して徳とれ」という言葉が思い浮かびました。損であっても徳を得ることを優先せよ、の意味ですが、徳の解説を調べるとその効用は三つあるようです。一つは自分の人格を磨けること、二つ目は徳のある人にはよい仕事が回ってくること、三つ目はよき仲間が得られるなどです。しかし、誰でも損をすれば徳を得られるのか、損の補償は誰がするのか、なぜ損が善行になるのかについての解説した本は巷間に見当たりません。ですから、徳の同じ発音の「得」と書いて、後からもうけると思い違いしたり、利益が返ってくるなどという俗解が生まれたりします。
 それに対し、預言者(صلى الله عليه و سلم)は経済活動における貸す側の損の例として「借金を猶予する」ことや「負債を軽減する」ことなど具体的行為とそれによる大きな効用を述べられました。
 人は誰でも一生懸命働きますが、自分の力だけではどうにもならないことがあります。気候の変動や天変地異、また経済の劇的変化の影響と受けた時などです。そのような時に損と分かっていても、借金の猶予や負債を軽減して同胞を助ける人が徳を得る人となるのです。さらに、困窮者を助けた人は善行者として評価されアッラーの日陰に入れても貰えること、即ち天国に入れると言われているのです。
 ハディースの例からは、損は余裕のある人に求められていること、損の補償はアッラーがなされ、損することが善行になると評価するのはアッラーであることが理解できます。
 考えてみますと、このような助け合いは個人のレベルでするよりも国家レベルで行ったほうが効果が大きく、経済の活性化につながり、ひいては人々の生活が豊かになっていくでしょう。借金を猶予する行為には善行の勧めと、経済で結びついている仲間と社会に貢献することが含まれていると考えられます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

アル=イスラーゥ&アル=ミーラージュ(夜の旅と昇天)

2010-02-07 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

الإسراء والمعراج

 ラジャブ(イスラームの第7番目の月)月のある夜、至高なるアッラーはアル=ブラーク(天馬)を遣わされ、預言者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)は、それに乗って、マッカからエルサレムにあるアル=アクサー・モスクまで夜の旅をしました。アル=アクサー・モスクで預言者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)は、至高なるアッラーの遣わされた全ての預言者たちに会いました。それからアル=ブラークは預言者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)を乗せて、天に昇りました。そこで預言者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)は、楽園と地獄の両方を見ました。
 この旅で、至高なるアッラーは、預言者ムハンマドさま(صلى الله عليه و سلم)とムスリム全員に礼拝をすることをお命じになりました。(このとき以降、ムスリムには礼拝が義務として課せられました)

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

 

イスマーイール(アライヒッサラーム)

2010-02-07 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

الذَّبِيح

 預言者イブラーヒーム(عليه السلام)は年老いても子どもに恵まれずにいました。彼は至高なるアッラーに子どもを授けてくださるようにと祈りを捧げました。
 至高なるアッラーは、彼の祈りを受け入れられて、彼にイスマーイール(عليه السلام)をお授けになりました。
 至高なるアッラーは、預言者イブラーヒーム(عليه السلام)が自分の息子のイスマーイール(عليه السلام)を大変いとおしく思っているのをご存知でした。それで預言者イブラーヒーム(عليه السلام)の信仰がどれほど堅固なのかを、至高なるアッラーは試されたくなりました。至高なるアッラーは、預言者イブラーヒーム(عليه السلام)に彼自身がイスマーイールをアッラーへの供物として屠っている夢を見させました。預言者イブラーヒームとイスマーイール(عليهما السلام)は至高なるアッラーへの強い信仰心を持っていましたので、至高なるアッラーのご命令に従いました。
 彼らは二人は、至高なるアッラーのお試しに合格し、それで至高なるアッラーは、イード=ル=アドハー(犠牲祭)に犠牲となる大きな羊を預言者イブラーヒーム(عليه السلام)にお与えになりました。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

カアバの建設

2010-02-07 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

بناءالكعبة 

 至高なるアッラーは、預言者イブラーヒーム(عليه السلام)と彼の息子であるイスマーイール(عليه السلام)に人々のために、至高なるアッラーをそこで崇め、巡礼ができるようにマッカにカアバを建てることをお命じになりました。
 カアバは今もマッカにありますし、審判の日まで、あり続けることでしょう。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

スライマーン(アライヒッサラーム)とやつがしら

2010-02-06 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

سُليمانُ والهُدهد
 預言者スライマーン(عليه السلام)には、多くの兵士が仕えていましたが、やつがしら(鳥の一種)も、スライマーン(عليه السلام)に仕える兵士でした。
 ある日、預言者スライマーン(عليه السلام)は、やつがしらが、許可なく、持ち場を留守にしているのを知りました。スライマーン(عليه السلام)は、とても腹を立てて、やつがしらが下手な言い訳をしたら、即刻、罰することにしました。
 やつがしらが、戻ってきて、預言者スライマーン(عليه السلام)に、遠くにあるサバー(シバ)と呼ばれる王国まで飛んで来たと言いました。そこの人々は、至高なるアッラーの代わりに太陽を崇拝していることも言いました。
 預言者スライマーン(عليه السلام)は、やつがしらにもう一度サバーまで飛んでいき、サバーの女王であるバルキスに手紙を渡すように命じました。その手紙は、サバーの女王バルキスと彼女の民が、アッラーを崇拝するムスリムになるように誘うものでした。
 女王は、預言者スライマーン(عليه السلام)に贈り物を彼への返事としました。しかし預言者スライマーン(عليه السلام)は、贈り物などは一切望んでおらず、ただただ、サバーの人々が、ムスリムになって至高なるアッラーだけに仕えることを望みました。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام



スライマーン(アライヒッサラーム)と蟻

2010-02-06 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

سُلَيمانُ والنَّملة

 預言者スライマーン(عليه السلام)は、鳥や動物の言葉が理解できました。

 ある日、彼は敵との戦いのために軍隊の用意をしていました。進軍を行っていると、一匹の蟻がそれを聞きつけて、仲間の蟻がいるところに大急ぎで戻り、警告しました。
 その蟻は他の蟻に、軍隊が我々にところにやってきて、自分たちを踏み潰し、自分たちの住まいを破壊してしまうだろうと言いました。
 預言者スライマーン(عليه السلام)は、その蟻の言葉を聞き、仲間の蟻との会話も理解しました。スライマーン(عليه السلام)は笑いながら、自分の兵士たちに、他の道を通るように命じました。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

ヌーフ(アライヒッサラーム)と船

2010-02-06 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

نوح والسَّفينة

 預言者ヌーフ(عليه السلام)は彼の民に、至高なるアッラーだけを崇拝するように呼びかけました。しかし、人々は耳を傾けようとしませんでした。
 それで、至高なるアッラーは、ヌーフ(عليه السلام)に船を造り、その船にアッラーの信仰者たちと全ての動物のつがい(オスとメス)を乗せるように、お命じになりました。
 それから至高なるアッラーは、不信仰な者たちを(洪水をおこして)溺れさせました。預言者ヌーフ(عليه السلام)の息子は、至高なるアッラーのことを信じようとしなかったので、他の不信仰者たちと一緒に溺れてしまいました。
 至高なるアッラーは、預言者ヌーフ(عليه السلام)と信仰者たちをお救いになり、彼らが幸せに至高なるアッラーを崇拝できる安全で平和な場所に、彼らを乗せた船がたどり着けるようにお計らいになりました。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

ユーヌス(アライヒッサラーム)と鯨

2010-02-06 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

يونس والحوت

 あなたは、自分が鯨に飲み込まれて、鯨のお腹の中に閉じ込められることを想像できますか。これは、まさに預言者ユーヌス(عليه السلام)におこったことでした。
 ただ、至高なるアッラーは鯨に、ユーヌス(عليه السلام)を保護し、傷つけないようにとお命じになったため、彼は無事でした。

 鯨のお腹になかにいた間、ユーヌス(عليه السلام)は、あらゆる海の生き物が至高なるアッラーを讃えているのを聞きました。

 私達ムスリムは、全てのものが、至高なるアッラーを讃えているのを知っています。

 ユースス(عليه السلام)は、こう言ったものです。

لا إله إلا أنت سبحانك إني كنت من الظالمين
《あなたの外に神はありません。あなたの栄光を讃えます。本当にわたしは不義な者でした。》(21:87)

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

生き物への慈悲

2010-02-06 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم


الرَّفقُ بالحَيوان

女と猫المرأةُ والهرَّة

 昔、部屋に猫を閉じ込めた意地の悪い女がいました。女は猫に一切エサを与えずに、エサを捜しに外へ出すこともしませんでした。
かわいそうな猫は、餓死してしまいました。
 至高なるアッラーはこの女の猫に対する残酷な仕打ちによって、女への罰として地獄に送りました。

男と犬الرَّجلُِ والكَلب

 昔、砂漠を旅している男がいました。彼はとても喉が渇いていたので、飲み水を捜しました。男は、至高なるアッラーに、水を与えてくださるようにと、祈りました。
 ほどなくして、男は、井戸を見つけ、喉を潤しました。そのとき、喉が渇きすぎて、自分では水を捜す力もなく死にそうにしている犬に気がつきました。男は喉が乾いた犬にどうやって水を飲ませられるかと思案しました。そして、自分の履いていた靴を脱ぎ、そこに水をなみなみと汲んで犬に飲ませました。
 至高なるアッラーは、男が生き物に優しくしたことへの褒美として男に天国をお与えになりました。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


アーダム(アライヒッサラーム)

2010-02-05 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

آدم عليه اسلام


 金曜日に、至高なるアッラーはアーダム(عليه السلام)を土からお創りになりました。そして火からシャイターンをお創りになり、それから至高なるアッラーは天使たちに、アーダム(عليه السلام)にサジダ(跪礼)するようにお命じになりました。全ての天使たちは、至高なるアッラーに従って、アーダム(عليه السلام)にサジダ(跪礼)をしましたが、シャイターンだけは、跪くことを拒否しました。シャイターンは、自分がアーダム(عليه السلام)より優れていると思っていました。自分は火から創られたのに対し、アーダム(عليه السلام)は単なる土くれから創られたからです。

 至高なるアッラーは、ハワー(イブ)をアーダム(عليه السلام)からお創りになり、彼ら二人が楽園に住むことをお許しになりました。ある日、アーダム(عليه السلام)は(アッラーが警告なさったことを)うっかり(忘れて)、シャイターンの言葉を聞いて、アッラーが食べることを禁じられた木になった実を食べてしまいました。これによってアーダム(عليه السلام)とハワーは楽園から追われて、地上に落ち、人間全ての祖となりました。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام

200のハディースその23

2009-12-13 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

商売について(信頼されること)

 アブー・バクル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が、食料(穀物)の積んである傍らを通られ、手を中に入られらるとみ使い(صلى الله عليه و سلم)の指が湿り気を帯びた。それで、「ご主人、これはなんですか。」と尋ねられた。食料販売者が、「雨でぬれたのです。アッラーの使徒様。」と答えると、「人が見て分かるようにそれを食料品の一番上に置かなかったのですか。人を欺くのは私の仲間ではありません。」と言われた。(ムスリムによる伝承)(注:「私の仲間ではない」とは、信仰が完全ではなく敬虔なムスリムとは言えない者を指す。)
 ワースィラ・イブン・アル=アスカウ(رضى الله عنه)によると、私はアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が、「欠陥商品を売り、それを買い手に伝えない者は、アッラーのお怒りのうちに留まるでしょう。あるいは、天使が売り手を呪い続けるでしょう。」と言われるのを聞いた。(イブン・マージャによる伝承)


 商品の不利な状態を隠し販売しようとする売り手の不正に対し、預言者(صلى الله عليه و سلم)は「人を欺くのは私の仲間ではない。」と注意されましたが、商売のことで、「私の仲間ではない。」という表現が使われた意味を理解しなければなりません。このような表現は他のハディースにおいても、ムスリムに敵対する者や不誠実な者に対して使われているからです。たとえば「我らに向って武器を取る者は。我らの仲間ではない。我らに対して不誠実なる者は、我らの仲間ではない。」とあります。このように売買においても人を欺くことは信頼関係を裏切り、仲間意識の否定につながります。またアナス(رضى الله عنه)は信頼の大切さについての次のようなハディースを伝えています。「信頼されない者に信仰はなく、約束を守らない者に宗教はない。」
 それで「仲間ではない」には二つの意味があります。一つは個人の信仰面で、他人に対して不正を働くことは、信仰が完全でなく敬虔なムスリムでなくなることです。他人を欺き欠陥商品を売る者はアッラーのお怒りのうちに留まるということは、アッラーはその者の願いを封じ込められるということです。また天使が売り手を呪うとは、その心に魔が入りやすくなり、愚かな行為を続けるので信仰は弱まり宗教から遠ざかることを意味します。
 もう一つの意味は共同体(ウンマ)を守るという社会面です。健全な社会の維持に必要なのは、みんながお互いに共同体の一員であり、同胞であるという意識です。商売で買い手のことを考えないのはこの仲間意識が欠けているからです。みんな仲間だという意識があれば損得勘定に際し良い意味での情が入ります。仲間意識が弱まると道徳も低下し人々の間に不信の念が生じ、社会が不安定となります。それで、預言者(صلى الله عليه و سلم)は信仰の力で共同体を強固にし、連帯分裂の芽を摘み取るため、人を欺く者を「私の仲間ではない。」と言われたと思います。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


200のハディースその22

2009-09-17 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

裁決について(公正さ)

 アブー・バクル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)が、「裁判官は、怒っているときには二人の間を裁決してはなりません。」(アル=ブハーリーとムスリムによる伝承)
 ブライダ(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「裁判官には三様の人物がいます。一人は楽園に入り、二人は業火に入ります。真実を知っていて、それに基づいて裁決を下した者は楽園に入ります。真実を知っていながら裁決において不正を行った者は業火に入ります。真実を知らずに裁決を下した者も業火に入ります。」(アブー・ダーウードによる伝承)


 事件の発生から裁決が下される迄には様々な手続きが踏まれる。また目撃証言や物的証拠の確保など取調べにも様々な人が関わる。被害者、加害者双方の弁論の後に事件の最終判断を下す裁判官には重い責任が伴う。正義をつかさどる裁判官も感情を持った人間である。そこでハディースの言葉「裁判官は、怒っているときには二人の間を裁決してはなりません。」が戒めの一つとなる。人間怒っている時には正常な判断を下すことは難しい。たとえ経験を積んだ裁判官でも同じであろう。感情が高ぶったときはその原因を自己分析し、落ち着きを取り戻すまで結論を出さない冷静さが必要である。怒りの感情を抑制しなければならないのは裁判官だけではない。裁判に関わる証言者や裁判員も同じである。
 次に求められるのは真実に基づいた公正な裁きである。先入観を持って裁決したり、証拠不十分のまま、即ち真実が明らかでなりまま裁決することは冤罪を防ぐためにも避けなければならない。
 公正公平な立場は裁判官同様関係者全員に求められる。特に裁判員に選ばれた人々は注意しなければならない。たとえ憎むべき相手に対しても公正に判断することが求められる。また証拠として取り上げられる判断力の有無、性格や精神状況などの分析調査する鑑定の専門家は特に先入観を持ってはならない。中立客観性の堅持が特に重要となる。
 イスラームの正義の概念は一方に偏らず、身分や地位、皮膚の色、国籍、男女などの違い、見知らぬ人と近親者の間を差別しないことである。クルアーンでは次のように言われている。
《またあなたがたが人を裁く時は、公正に裁くことが命じられる。》(4章58節)
《あなたがた信仰する者よ、証言にあたってアッラーのために公正を堅持しなさい。仮令あなたがた自身のため、または両親や近親者のため(に不利な場合)でも、また富者でも、貧者であっても(公正であれ)。アッラーは(あなたがたよりも)双方にもっとも近いのである。だから私欲に従って、(公正から)逸れてはならない。》(4章135節)
《わたしの主(アッラー)は、正義(公正)を命じられる。》(7章29節)
 アッラーの前での証言者として公正を堅持することが最も篤信に近いとされている。(5章8節)。
 公正が行き届いている社会は安定する。社会の安定を維持し繁栄させることはアッラーから地上の代理人に任命された人間の務めである。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


サラート=ル=クスーフ(食の礼拝)

2009-07-16 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم


السلام عليكم

 来週の水曜日إن شاء الله、日本では一部で皆既日食、殆どのところで部分日食が見られます。日食が起こっているときに、サラート=ル=クスーフをするのはスンナです。こういう機会はめったにありません。日本で皆既日食が見られるのは46年ぶりだそうです。

日食の時間


〈ズィヤード・ビン・イラーカ(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
「太陽と月はアッラーの御徴の中の二つのものであり、それは誰かの生死のために食が起こるのではない。あなたがたがそれを見た時はアッラーに祈願し、それが元に戻るまで礼拝を続けよ」〉(ムスリムの伝承)

〈アムル・ビン・アース(رضى الله عنه)によるとアーイシャ(رضى الله عنها)は言いました。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が御在世の時に日食があり、人々に合同礼拝の呼び掛けがあった。アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は一ラカートで二回の立礼(ركعتين)を行われた。それから直立され、第二ラカートでも二回の立礼(ركعتين)を行われた。その後太陽は明るく輝いていた。私はこの時程長い立礼(ركوع)や叩頭(سجدة)は全く行ったことがありません。〉(ムスリムの伝承)

〈アーイシャ(رضى الله عنها)によると、(前略)「或る朝、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)が馬に乗っているとき、日食が起こった。そこで彼は午前のうちに戻ってきて、とある岩の間を通るかかると、そこで礼拝するために立ち止まり、信者達も彼に倣った。彼はまずじっと立ち尽くしてから長い立礼(ركوع)を行い、次に頭をあげて前より短い直立(قيام)をし、次に前よりも短く立礼(ルクー)を行い、次に頭をあげてから長い間跪拝(سخدة)し、次に再び体を起こして前よりも短く直立(قيام)し、次に前より短く立礼(ركوع)を行ってから体を起こして前より短く直立(قيام)し、次に前より短く立礼(ركوع)行ってから頭をあげ、最後に前よりも短く跪拝(سجدة)した。こうして礼拝を終えると、彼は何がしかと語ってから、墓の苦しみから護り給え、とアッラーに助けを求めるよう、信徒達に命じた」〉(アル=ブハーリー)



 サラート=ル=クスーフは男性にも女性にも課されたスンナの礼拝です。ただし、礼拝(ナフルの礼拝)が禁じられる時間帯(注:*参照)に食が起こった場合は、礼拝の代わりに、アッラーを唱念(ズィクル)し、許しを乞い(イスティグファール)、ドゥアーを捧げましょう。またタクビールを唱えることや、サダカをすることや奴隷を解放することも勧められています。
 サラート=ル=クスーフ(食の礼拝)は義務の礼拝ではなく、ナフルの礼拝ですので、アザーンもイカーマもありませんが、「集団の礼拝をしますよ」という呼び掛けをするのは問題ありません。(実際、サウジのジェッダで、月食が起こったときモスクからスピーカーで呼びかけがありました・・・ただし月食の時は、集団で礼拝するより個々でするほうが望ましいとされています。集団で行うことも許されていますが、スンナではありません。)

https://islamqa.org/hanafi/mathabah/133925/the-status-of-the-lunar-eclipse-prayer/

集団礼拝(主流派の意見です。各自でした方がいいという意見も少数ですがあります)で二ラカーの礼拝を行います。1ラカーで2つのルクーと2つのキヤーム(ハナフィーを除く3法学派・・ハナフィー派通常のナフルと同じやり方で)を行います。キヤームのときにクルアーン読誦、ルクー、ザジダは長く行います。礼拝中に食が終われば、普通のナフルの礼拝のやり方で終わります。

礼拝が終わってからクトバをイマームが行ってもいいです。(そういうハディースもありますが、アフカームではスンナと捉えられていないようです。)

الله أعلم

https://islamqa.org/hanafi/askimam/28903/during-a-lunar-eclipse-should-salaatul-kusoof-be-prayed-softly-or-loudly/

*【一部の礼拝が禁止される時間帯について】
預言者様(صلى الله عليه و سلم)は言われました。
〈ファジュルの礼拝後、朝日がすっかり昇りきってしまうまでは、礼拝はありません。アスルの礼拝後、夕日が沈みきってしまうまでは、礼拝はありません。〉
(ブハーリーとムスリムの伝承)
〈預言者様(صلى الله عليه و سلم)が、その時間帯に、礼拝をすることと死体を墓に埋めることを禁じた3つの時間帯があります。朝日が昇り始め、それが昇りきってしまうまでと、太陽が一番高い位置にあるときから、それが傾くまで、と、夕日が沈みかけ、それが沈みきるまで。〉
(ムスリムの伝承 )

以上のハディースにより、次の【5つの時間帯】が、一部の礼拝が禁止される時間帯となります。
①義務のファジュルの礼拝を終えた後、礼拝時刻表の「日の出」の時間まで
②義務のアスルの礼拝を終えた後、マグリブの時間に入るまで
③礼拝時刻表の「日の出」の時間から、15~20分間(朝日がすっかり昇りきるまで)
④ズフルの時間に入る前の15~20分間(太陽が真上の位置から少し傾くまで)
⑤マグリブの時間に入る前の15~20分間(夕日がすっかり沈みきるまで

●  これら5つの時間帯に禁止される礼拝の種類  ●

★★ ハナフィー派(パキスタン、トルコなど)
★義務の礼拝(ファジュル、ズフル、アスル、マグリブ、イシャーの一日5回の礼拝)③の時間のみ、禁止。
朝日が昇り始めたときに、まだ礼拝の途中であった場合は、その礼拝は、無効になるので15分から20分後、朝日が昇り切った後、カダーの礼拝として、やり直す。
★カダーの礼拝(埋め合わせの礼拝)
③④⑤の時間は、禁止。
★ナフルの礼拝(義務の礼拝以外の任意の礼拝。スンナの礼拝)
この5つの時間帯の礼拝は、マクルーフ(好まれない行為(に近い禁止。ただし、クルアーンを読んでいる(又は、聞いている)途中にサジダのマークがあるところを読んだ(聞いた)ときにする読誦のサジダは、許される。)

☆☆ シャーフィー派 (エジプト、シリアなど)
☆義務の礼拝、カダーの礼拝
この5つの時間帯でも、礼拝できる
☆ナフル(義務以外の任意。スンナの礼拝)の礼拝
③④⑤の時間は、禁止。
①②の時間は、マクルーフ(好まれない行為)で、礼拝しても無効。
注>シャーフィー派だけの例外があります。
例外1)金曜日だけ、④の時間帯にも、礼拝できる。
例外2)モスクに入ったときに座る前にする、2ラカーのスンナの礼拝などの、
その礼拝の原因(ここでは、モスクに入ったこと)がその礼拝(スンナの礼拝)よりも先行するものは、この5つの時間でも礼拝できる
例外3)メッカのハラムでは、この5つの時間帯でも礼拝できる。

→ ポイント:ややこしいので、ちょっとまとめてみました。

★ハナフィー派 : 
義務のファジュルの礼拝は、朝日が昇りはじめる(礼拝時刻表の「日の出」時間)前までに終わらせる。
カダーの礼拝は、日の出後20分と、ズフル前、マグリブ前20分は礼拝禁止。
任意の礼拝は、この【5つの時間帯】すべて、避けた方がよい。 

☆シャーフィー派 :
任意の礼拝のみ、この【5つの時間帯】を避ける。
特に日の出後20分と、ズフル前、マグリブ前20分は礼拝禁止。
金曜日だけは、④の時間帯も礼拝OK。

注:【5つの時間帯】は①~⑤の時間です。


追加:

ハナフィー派のマグリブの礼拝は、日没後しばらく薄暮の状態にするのが好ましく、どっぷりと沈んであたりが真っ暗になってからするのはマクルーフです。またイシャーの時間を遅らせるのは好ましいのですが、日付がかわってしまうような時間帯以降にするのはマクルーフです。


アッラーが受け入れてくださいますように
والسلام

200のハディースその21

2009-07-11 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

全ての人が責任者(保護者と責任について)

 アブー・ザッル(رضى الله عنه)によると私が、「アッラーのみ使い様、私を要職にお就けくださいませんか。」と言うと、み使い様(صلى الله عليه و سلم)は手で私の肩を叩いて言われた。「アブー・ザッルよ、あなたは弱いです。それに仕事は信託物です。正当な資格で仕事に就き、自分の責任を果たす者以外にとっては、それは審判の日に屈辱と後悔になるのです。」(ムスリムによる伝承)
 アブー・フライラ(رضى الله عنه)によるとアッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「あなた方は支配者の地位を切望するようになるでしょう。そしてそのことが審判の日の後悔となるでしょう。」(アル・ブハーリーによる伝承)


 自分は実力があるのに誰も評価してくれない。私に要職を与えてくれれば業績を上げて見せるのに何故だ・・という気持ちになったのか。アブー・ザッル(رضى الله عنه)は自分の仕事への思いを打ち明けると、預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は、アブー・ザッル(رضى الله عنه)の肩に手を置かれ諭すように言われた。あなたはまだ要職の責任の重さに耐えられないでしょう。仕事は神からの委託物でもあるから、仕事の結果は人の評価だけでなく、神の評価も受けとらなければならないのです。だからもっと実力を蓄えるようにと。その実力の一つが誰もが認める経験と才能であり、更に重要なことは地位に伴う責任と義務の重荷をしっかり受け止める覚悟が必要であったのです。アブー・ザッル(رضى الله عنه)に働く意欲を失わせることなく、部下を指導する預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の思いが伝わってきます。
 誰でも指導者として仰ぐ預言者さま(صلى الله عليه و سلم)でさえ、自分は人々を支配するために来たのではなく、アッラーからの言葉を伝えるために来たのだと述べています。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の最大の任務は人々に吉報を伝えることにありました。謙虚な預言者さま(صلى الله عليه و سلم)はやがてマディーナの住民から調停役として招聘を受けることになり、歴史的な移住(ヒジュラ)が決断されました。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)は回りから指導者として願望されるまで自ら指導者を宣言することはなかったのです。
 これから学ぶことは、役職と権限を与えられたら自分の実力を見せようと思った人は、まず、自分の仕事を完遂することを第一に考え、役職はその後から来るものだと思うことです。人間には上昇欲があり、現状よりも上を望む気持ちが高じたときには、それが自己過信や自己顕示欲、権力欲から出ているのではないか、と自問することです。人は顕示欲にとらわれると自己反省がなおざりになります。そして地位に伴う金銭の誘惑に溺れたり、飽くなき欲望の虜になっていきます。その時、人は本来の自分を忘れるでしょう。何も反省せず自分を忘れる人は、神を忘れるようになります。預言者さま(صلى الله عليه و سلم)の教友への言葉は、重職には重責が付いてくることを思い起こさせます。人は地位が上げれば上げるほど自分と回りに対する謙虚さが求められます。責任ある地位にいる人は地上における神の代理者の一人であると自覚し自己を修める努力が求められます。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام


200のハディースその20

2009-05-15 | ハディース&子どものための物語
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

全ての人が責任者(保護者と責任について)

 イブン・ウマル(رضى الله عنه)によると預言者(صلى الله عليه و سلم)は言われた。「あなた方はみな保護者であり、自分の保護者する者に対して責任を負っています。統治者も保護者です。男は自分の家族の保護者です。女は夫の家と子供の保護者です。あなた方はみな保護者であり、自分の保護する者に対して責任を負っているのです。」(注:本文での「保護者」は「責任者」の意味で使われている。)(アル・ブハーリーとムスリムによる伝承)

 このハディースで述べられている保護者は責任者の意味ですので読み替えると、あなた方はみな責任者であり保護する者(扶養する者、護らなければならない人)に対して責任を負うという意味になります。最初の統治者の意味は国を動かす為政者、政治家と考えてよいでしょう。為政者は国務をあずかる者として国民の生命、財産、安全を護る責任があります。為政者は国民を信頼に応えているか、有権者への責任を果たしているか、公務に忠実であるかなど日々振り返りながら責務をまっとうする気構えが必要です。
 次に一家の長の立場にある父親の責任は家族の扶養です。母親の責任は家計の管理と子育てです。父親も母親も共に子供の保護者であり家庭生活の共同責任者です。子供が社会人として振舞うことができるように躾けるのは両親の責任です。そして繰り返しあなたがたすべての人は保護者であり、保護する者に対し責任を持つことが述べられています。つまり社会において保護者となるのは為政者、父親、母親だけでなく、誰でも保護者や責任者の立場になりうるということを示唆しております。
 わたしもあなたの責任者なのです。
 すべての人が保護者であり責任者であるということは、すべての人が護る人や守るべき物を持っていることを意味します。そのために人は仕事持ち責務を果たしているのです。どの人も仕事や果たすべき役割を持っているということは、すべての人はこの世界この社会のためにアッラーから選ばれ、何らかの役割を担うために生を与えられていることになります。仕事は人間が与えられた生を表現する場となり、自分の役割に対する責任感と使命感を意識させられます。
 責任を果たす心構えを持って仕事と向き合えば自己を磨き高める場となります。どの仕事も社会を動かすのに必要ですから、お互いが責任感を持つことにより信頼関係が深まり社会の安定が図られ、連帯意識の基礎が作られます。
 責任感は自らを律し、他を護ることにつながります。責任感をもつことを義務とし、それを誇りにしたいものです。

アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام