「(雪で)大変なときに鳥取行ってたんだね」
とか、
「今、鳥取に行っていると思った」
などと声を掛けられます。
今回の「蟹鳥県紀行」は2016年12月の週末に蟹を食べに鳥取に行ったときの話です。
で、ようやく、この紀行文本題、「倉吉」です。
---------------------------------------------------------------
鳥取市を出て海岸沿いに倉吉に向かう。途中白兎神社に立ち寄る。
道の駅入り口に犬を連れた人がいる。犬はじっとこちらを見ている。
しばらくそうして犬を連れたまま駐車場にいるから、おそらくあの人は犬を披露しているのだと思う。
「いい犬だろ」と。
そのくせ犬と一緒に「近寄るな」オーラ出しているから、ちょっと残念。
倉吉が近づいてくると、ブルーシートが目立ち始めた。
この地域は10月に震度6の大地震に見舞われている。
駅を過ぎ観光客の集まる街へと入ると、地震で痛んだ道路を修復する工事であちこち渋滞していた。
パーキングに車を入れまずは観光案内所に向かうと、先頭の人がガイド旗を持った一行とすれ違った。
観光ツアーに申し込んでいれば、あのグループの一員にだったんだ。
一行が脇を通り過ぎるのをチラ見し、観光案内所へ。
街の中は地震の被害が大きく残っていた。頭上注意の看板を見上げると、壁の一部が崩れそうになっている建物や、大きく亀裂が入った建物が並んでいる。
白壁土蔵造りの建物が多いから、被害も大きかったと聞いている。
順々に修復しているとみえ、街のあちらこちらが工事中だった。
倉吉は酒造が多い。
利き酒は無料。
まず1軒目。グイッといただき次の酒造へと向かう。
入ること数軒目は「利き酒1人500円」だった。
ここは4種類の酒が女将の説明とともにおちょこに注がれる。グイッと飲み干すと、酒の説明をしながら間髪を入れず次のおちょこ。酒造り一筋と思われる女性の説明をふんふんと聞くが、半分くらいしか理解できなかった。下知識を備えてからもう一度説明を聞きに出直した方が良いなと思う。
店を出て、「わんこそばみたいだったね」と語り合いながらブラブラ街を歩く。
そして一番奥にある、歩く人波が途絶えた通りに「淀屋」があった。
入り口が開いていたので、中を覗くと先客あり。
年配の夫婦が担当スタッフのおじさんから説明を受けていた。その説明を小耳にはなみながら、展示物や建物を見回していると、スタッフの男性は我々に声をかけてきた。
「お時間あれば説明しますよ」
急ぐ旅ではない。今日1日フリーなので時間はたっぷりある。
さて、その説明をかいつまむとこうなる。
聞き間違いや記憶違いがあるかもしれないが・・・・・・。
【時は江戸時代。
大阪に豪商「淀屋」がいた。淀屋は中之島を開拓し屋敷を建て日本中の商取引行い、大阪商業の発展に貢献した。淀屋が架けた橋が淀屋橋で現在の地名「よどばし」の由来となっている。淀屋は世界に先駆け先物取引を行い、淀屋4代目でピークを迎える。その取引は2時間で八十万両。各地の大名は淀屋に借金した。幕府は経済的な力をつけてきた商人を恐れ、淀屋を贅沢の罪で取りつぶし財産を没収した。幕府の動きを先読みした淀屋は、番頭の牧田仁右衛門を郷里に戻し、そこで商売を始めさせた。その郷里が、倉吉。
倉吉で始めた店は看板に屋号を載せなかった。なぜなら大阪淀屋とのつながりを知られ幕府につぶされるのを避けるためであった。牧田仁右衛門は商売を繁盛させ財を成し、大阪淀屋再建に貢献した。以後大阪淀屋と倉吉淀屋は協力して栄えたが、安政6年(1859年)両家は突如家屋敷を売り払い、有り金を朝廷に献上し姿を消した。】
系図を指し示し、初代から続くストーリーを語ったおじさんは、グイッとこちらを向き直ったので、
「積年の恨みってことですね?」
と言うと、
「そう、積年の恨みですよ」
とおじさんは同じフレーズを力強く繰り返した。
もう、完全におじさんとシンクロ。
鳥取城跡のにわかガイドおじさんとは心に余裕がなくてシンクロできなかった。
炎天下で汗吹き出す、靴擦が痛い、遊覧船の時間が迫っている等もろもろの事情で、ガイドおじいさんにどこで話をきりあげてもらうかと気をもみながら聞いていた。そして後になって、詳しい説明聞ける機会を逃したことを残念に思った。
今回は遮るものは何もない。
どんどん聞いちゃう。もれなく聞いちゃう。
大蓮寺に墓石が見つかり、そこに淀屋と書かれているのが発見されたのが昭和40年頃(と言っていたかな)。奈良大学(だったかな?)の先生を招き研究し、大阪淀屋と倉吉淀屋の歴史がひもとかれたとのこと。まだ倉吉淀屋の記録は謎に包まれていて、以上は倉吉に伝わる一説とのこと。
「大河ドラマにしてもいい話でしょ」
うん、うん、と我々一行は大きくうなずくのだった。
壮大な話を前に大きく深呼吸するとともに、立ち去りがたく展示物を眺めていると、
「先日の地震で一切被害はなかったのですよ」
と話題は現在に戻った。
そう、ずーっとそのこと確認したいと思っていた。
途中でおじさんに確認しようと思いながら話を聞いているうちに、聞くのを忘れてしまった。
倉吉に現存する最古の町屋建築物。なのに壁一つ崩れなかったのだそうだ。
そう説明するおじさんはとても誇らしげだった。
「時間あれば、二階も見ていく?」
おじさんはそう言いながら、すでに右足を階段に置いている。
「行きます、行きます」
後ろに続くと、
そこは建築物の構造模型を展示する空間があった。
建物は釘を1本も使っていないとのこと。
全て寄せ木細工で組み合わせられ、数十種類のパターンが部位に応じ使われているのだそうだ。
「これ、ひっぱってみて」
歴史的建造物の展示品を直接触っちゃって良いのかと一瞬とまどう。
組み合わされた柱はしっかりくっついている。が、おじさんが木槌でカーンと打つと、柱はパカッと開き、内部が斜めに組まれているのが見えた。
すごい、日本の技。
あー、これも下知識が必要。そのすごさがよく分からないから、「へー」とか「すごい」を繰り返すのみで残念。もう少し気の利いた質問できるようになって、また訪れようと思う。
二階も堪能すると、
「菩提寺に淀屋の墓があるから寄って行く?」
「行きます、行きます。」
墓石の位置をていねいに教えてもらい、記念撮影をしておじさんを分かれた。
大蓮寺に境内に墓石があった。奥の方は地震で崩れたままだった。
万感の思いを込めて手を合わせた。
昼食を終えパーキングに戻る途中、孫と思われる子ども達とスキップするように走るおじさんとすれ違う。
(あっ、さっきの人だ・・・・・・)
昼までガイドを務め、迎えに来たお孫さんと昼食休憩で家に戻るところかな、と想像する。
すれ違う時こちらを見て、「ニコッ」としたように思う。
「さっきの人だよね」
と夫や娘に言うと、
「違う、全然違う」
と強く否定されたけど、こっち見てニコッてしたし、さっきの人感がぬぐえない。
違っててもいいじゃん。孫と一緒に昼を食べに自宅に戻る図を想像する自分がいい。いくつになっても身軽に孫と走っていた父の姿が思い出されるし。
つづいてワインの店に立ち寄った。
ここも試飲できるということで夫はグラスを傾けていたけど、わたしの目は棚のワイングラスに釘付け。
木製ワイングラス。
木製だからグラスとは言わないか。
ワインはとても美味しいとのことで夫は買いたそうにしていたけど、飛行機で帰るのだから瓶ものはご遠慮願いたい。
それより旅の想い出にこのグラスを買いたい。
大きさも木目もそれぞれに異なる。
手に持ち、後ろからも下からも眺め、色合いがしっくりくる1点をチョイスした。
これは、いい。
多分もったいなくて飾るだけになると思うけど、部屋でこれを見ると倉吉思い出すことができる。
旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。
偶然の出会いに満ちた鳥取の旅。
次はいつ行こう。
とか、
「今、鳥取に行っていると思った」
などと声を掛けられます。
今回の「蟹鳥県紀行」は2016年12月の週末に蟹を食べに鳥取に行ったときの話です。
で、ようやく、この紀行文本題、「倉吉」です。
---------------------------------------------------------------
鳥取市を出て海岸沿いに倉吉に向かう。途中白兎神社に立ち寄る。
道の駅入り口に犬を連れた人がいる。犬はじっとこちらを見ている。
しばらくそうして犬を連れたまま駐車場にいるから、おそらくあの人は犬を披露しているのだと思う。
「いい犬だろ」と。
そのくせ犬と一緒に「近寄るな」オーラ出しているから、ちょっと残念。
倉吉が近づいてくると、ブルーシートが目立ち始めた。
この地域は10月に震度6の大地震に見舞われている。
駅を過ぎ観光客の集まる街へと入ると、地震で痛んだ道路を修復する工事であちこち渋滞していた。
パーキングに車を入れまずは観光案内所に向かうと、先頭の人がガイド旗を持った一行とすれ違った。
観光ツアーに申し込んでいれば、あのグループの一員にだったんだ。
一行が脇を通り過ぎるのをチラ見し、観光案内所へ。
街の中は地震の被害が大きく残っていた。頭上注意の看板を見上げると、壁の一部が崩れそうになっている建物や、大きく亀裂が入った建物が並んでいる。
白壁土蔵造りの建物が多いから、被害も大きかったと聞いている。
順々に修復しているとみえ、街のあちらこちらが工事中だった。
倉吉は酒造が多い。
利き酒は無料。
まず1軒目。グイッといただき次の酒造へと向かう。
入ること数軒目は「利き酒1人500円」だった。
ここは4種類の酒が女将の説明とともにおちょこに注がれる。グイッと飲み干すと、酒の説明をしながら間髪を入れず次のおちょこ。酒造り一筋と思われる女性の説明をふんふんと聞くが、半分くらいしか理解できなかった。下知識を備えてからもう一度説明を聞きに出直した方が良いなと思う。
店を出て、「わんこそばみたいだったね」と語り合いながらブラブラ街を歩く。
そして一番奥にある、歩く人波が途絶えた通りに「淀屋」があった。
入り口が開いていたので、中を覗くと先客あり。
年配の夫婦が担当スタッフのおじさんから説明を受けていた。その説明を小耳にはなみながら、展示物や建物を見回していると、スタッフの男性は我々に声をかけてきた。
「お時間あれば説明しますよ」
急ぐ旅ではない。今日1日フリーなので時間はたっぷりある。
さて、その説明をかいつまむとこうなる。
聞き間違いや記憶違いがあるかもしれないが・・・・・・。
【時は江戸時代。
大阪に豪商「淀屋」がいた。淀屋は中之島を開拓し屋敷を建て日本中の商取引行い、大阪商業の発展に貢献した。淀屋が架けた橋が淀屋橋で現在の地名「よどばし」の由来となっている。淀屋は世界に先駆け先物取引を行い、淀屋4代目でピークを迎える。その取引は2時間で八十万両。各地の大名は淀屋に借金した。幕府は経済的な力をつけてきた商人を恐れ、淀屋を贅沢の罪で取りつぶし財産を没収した。幕府の動きを先読みした淀屋は、番頭の牧田仁右衛門を郷里に戻し、そこで商売を始めさせた。その郷里が、倉吉。
倉吉で始めた店は看板に屋号を載せなかった。なぜなら大阪淀屋とのつながりを知られ幕府につぶされるのを避けるためであった。牧田仁右衛門は商売を繁盛させ財を成し、大阪淀屋再建に貢献した。以後大阪淀屋と倉吉淀屋は協力して栄えたが、安政6年(1859年)両家は突如家屋敷を売り払い、有り金を朝廷に献上し姿を消した。】
系図を指し示し、初代から続くストーリーを語ったおじさんは、グイッとこちらを向き直ったので、
「積年の恨みってことですね?」
と言うと、
「そう、積年の恨みですよ」
とおじさんは同じフレーズを力強く繰り返した。
もう、完全におじさんとシンクロ。
鳥取城跡のにわかガイドおじさんとは心に余裕がなくてシンクロできなかった。
炎天下で汗吹き出す、靴擦が痛い、遊覧船の時間が迫っている等もろもろの事情で、ガイドおじいさんにどこで話をきりあげてもらうかと気をもみながら聞いていた。そして後になって、詳しい説明聞ける機会を逃したことを残念に思った。
今回は遮るものは何もない。
どんどん聞いちゃう。もれなく聞いちゃう。
大蓮寺に墓石が見つかり、そこに淀屋と書かれているのが発見されたのが昭和40年頃(と言っていたかな)。奈良大学(だったかな?)の先生を招き研究し、大阪淀屋と倉吉淀屋の歴史がひもとかれたとのこと。まだ倉吉淀屋の記録は謎に包まれていて、以上は倉吉に伝わる一説とのこと。
「大河ドラマにしてもいい話でしょ」
うん、うん、と我々一行は大きくうなずくのだった。
壮大な話を前に大きく深呼吸するとともに、立ち去りがたく展示物を眺めていると、
「先日の地震で一切被害はなかったのですよ」
と話題は現在に戻った。
そう、ずーっとそのこと確認したいと思っていた。
途中でおじさんに確認しようと思いながら話を聞いているうちに、聞くのを忘れてしまった。
倉吉に現存する最古の町屋建築物。なのに壁一つ崩れなかったのだそうだ。
そう説明するおじさんはとても誇らしげだった。
「時間あれば、二階も見ていく?」
おじさんはそう言いながら、すでに右足を階段に置いている。
「行きます、行きます」
後ろに続くと、
そこは建築物の構造模型を展示する空間があった。
建物は釘を1本も使っていないとのこと。
全て寄せ木細工で組み合わせられ、数十種類のパターンが部位に応じ使われているのだそうだ。
「これ、ひっぱってみて」
歴史的建造物の展示品を直接触っちゃって良いのかと一瞬とまどう。
組み合わされた柱はしっかりくっついている。が、おじさんが木槌でカーンと打つと、柱はパカッと開き、内部が斜めに組まれているのが見えた。
すごい、日本の技。
あー、これも下知識が必要。そのすごさがよく分からないから、「へー」とか「すごい」を繰り返すのみで残念。もう少し気の利いた質問できるようになって、また訪れようと思う。
二階も堪能すると、
「菩提寺に淀屋の墓があるから寄って行く?」
「行きます、行きます。」
墓石の位置をていねいに教えてもらい、記念撮影をしておじさんを分かれた。
大蓮寺に境内に墓石があった。奥の方は地震で崩れたままだった。
万感の思いを込めて手を合わせた。
昼食を終えパーキングに戻る途中、孫と思われる子ども達とスキップするように走るおじさんとすれ違う。
(あっ、さっきの人だ・・・・・・)
昼までガイドを務め、迎えに来たお孫さんと昼食休憩で家に戻るところかな、と想像する。
すれ違う時こちらを見て、「ニコッ」としたように思う。
「さっきの人だよね」
と夫や娘に言うと、
「違う、全然違う」
と強く否定されたけど、こっち見てニコッてしたし、さっきの人感がぬぐえない。
違っててもいいじゃん。孫と一緒に昼を食べに自宅に戻る図を想像する自分がいい。いくつになっても身軽に孫と走っていた父の姿が思い出されるし。
つづいてワインの店に立ち寄った。
ここも試飲できるということで夫はグラスを傾けていたけど、わたしの目は棚のワイングラスに釘付け。
木製ワイングラス。
木製だからグラスとは言わないか。
ワインはとても美味しいとのことで夫は買いたそうにしていたけど、飛行機で帰るのだから瓶ものはご遠慮願いたい。
それより旅の想い出にこのグラスを買いたい。
大きさも木目もそれぞれに異なる。
手に持ち、後ろからも下からも眺め、色合いがしっくりくる1点をチョイスした。
これは、いい。
多分もったいなくて飾るだけになると思うけど、部屋でこれを見ると倉吉思い出すことができる。
旅は道連れ、世は情けとはよく言ったものだ。
偶然の出会いに満ちた鳥取の旅。
次はいつ行こう。