バドミントン部の創部30周年記念祝賀会が10/28に行われる。
一からスタートして30年が経った。陳腐な表現だけど、早かったなー、というのが実感。
記念祝賀会を前に、自分なりにこの30年を振り返ろうと思うが、その言葉がなかなかまとまらない。
30年前、スタートした部活を前に「何かすごいことが始まろうとしている」と直感し、その後紆余曲折がありながらも「この生活は人並みじゃないけど、人並み以上のものがある」と頭で理解し、その後実感し、そして今、一緒に走ってきて良かったなとしみじみ思っている。
これをどうまとめるのか。
10周年記念の時に文集に寄稿した。久しぶりに棚から引っ張り出して読み返した夫が、「いい文章だったよ」というので、自分も読み返してみた。そこには今と変わらない自分がいた。20年前に書いたものなのに、思いも見ている景色も今のままだということがわかった。そして他のことも思い出した。
それは20周年記念祝賀会のこと。いきなり10年間ワープした。20周年記念祝賀会は学食でやった。当時保護者だった自分は割り当てで鍋一つ分のビーフシチューを持ち寄った。たくさん作り置きしたので家にも鍋一杯分のビーフシチューがあると言うと、祝賀会に出席していた元保護者達がダーッと家にやって来た。温め直したシチューをみんなで食べたあの日。あれからもう10年も経っていたというこの事実に愕然としている。想い出に浸るというより、10年前のことがつい先日のこととしか思えない事実が胸に響く。
30年前に、必死に食らいつこうとしている部員を前に鳥肌が立ったあの日、何かすごいことが始まろうと直感したあの日、遠くに延びる道が見えていた。その道がどこまで続くのか、ゴールはどこなのか、ゴールまで何があるのか、それは全くわからないがとにかく1本の道が延びていた。今もまだその道の途中にいる。今辿り着いているここからも、前に見たのと同じ景色が見える。同じ様に道が長く延びている。
始まりではないし、終わりでもない今。
一区切りとして30年を振り返ろうと思うが、歩き続ける足を止めることなく、今日のこと、明日のこと、来年のことを気にかけている自分がいる。
一からスタートして30年が経った。陳腐な表現だけど、早かったなー、というのが実感。
記念祝賀会を前に、自分なりにこの30年を振り返ろうと思うが、その言葉がなかなかまとまらない。
30年前、スタートした部活を前に「何かすごいことが始まろうとしている」と直感し、その後紆余曲折がありながらも「この生活は人並みじゃないけど、人並み以上のものがある」と頭で理解し、その後実感し、そして今、一緒に走ってきて良かったなとしみじみ思っている。
これをどうまとめるのか。
10周年記念の時に文集に寄稿した。久しぶりに棚から引っ張り出して読み返した夫が、「いい文章だったよ」というので、自分も読み返してみた。そこには今と変わらない自分がいた。20年前に書いたものなのに、思いも見ている景色も今のままだということがわかった。そして他のことも思い出した。
それは20周年記念祝賀会のこと。いきなり10年間ワープした。20周年記念祝賀会は学食でやった。当時保護者だった自分は割り当てで鍋一つ分のビーフシチューを持ち寄った。たくさん作り置きしたので家にも鍋一杯分のビーフシチューがあると言うと、祝賀会に出席していた元保護者達がダーッと家にやって来た。温め直したシチューをみんなで食べたあの日。あれからもう10年も経っていたというこの事実に愕然としている。想い出に浸るというより、10年前のことがつい先日のこととしか思えない事実が胸に響く。
30年前に、必死に食らいつこうとしている部員を前に鳥肌が立ったあの日、何かすごいことが始まろうと直感したあの日、遠くに延びる道が見えていた。その道がどこまで続くのか、ゴールはどこなのか、ゴールまで何があるのか、それは全くわからないがとにかく1本の道が延びていた。今もまだその道の途中にいる。今辿り着いているここからも、前に見たのと同じ景色が見える。同じ様に道が長く延びている。
始まりではないし、終わりでもない今。
一区切りとして30年を振り返ろうと思うが、歩き続ける足を止めることなく、今日のこと、明日のこと、来年のことを気にかけている自分がいる。