脳のミステリー

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184.どうして!?

2007-07-06 07:36:03 | Weblog
 痺痛の激しい状態が続くと、落ち込む事はなくても、私の脳を「どうして!」という言葉が走馬灯のように駆け巡る。そんな時、リハビリ病院に行くと私には決まって「どうして?」という自問自答が始まるのを知っている。
 リハビリ病院と障害者センターの違いは、前者は対象者が始終変わり、後者は殆ど変わらないという事である。理由は簡単で、前者は多くの人がほぼ完治してその場を離れて行くという所で、後者は自力で通えなくなるまでやってくる人が殆どだ、という所である。
 ここ数週間、私の痺痛は最悪で「どうして!」が始終、私の脳裏に浮かんでいる。私は「命があった!」という現実の喜びを噛み締めた時の事を思い出し、「良かった!」と内心嬉しがる。だが、現実にリハビリ病院で歩行練習を始めると、高温多湿の日や低気圧が明らかに日本列島を取り囲んでいる時は、右足にはまるで接着剤がベッタリ塗られているかのように思うように動かない。夏の昼下がり、鳥もちにくっついてもがく哀れな昆虫を思い出してしまう。そして「どうして?」と宿命かのよう自らの運を問い質したくなる。だが、療法士の先生のお陰で、予め決められた距離を何度か往復する内に、彼の目にも私の心にも不思議とも思えるほど、はっきりと歩の運びが軽くなってくる。
 そんな時、私の脳をシェークスピアの名言が叩く。
「過去と来るべき未来はベストに思える。現在の事柄は最高に悪い」
私の過去は半世紀以上も長い期間に亘っている。そして、若い時は若いなりに「最悪だ!」と思った事もあったが、過去を振り返れば、確かに愉しい思い出として残っている。そして、未来を悲観する事は、私にはない。ならば、私には現在という一分、一秒に我が身に起きている事柄が最悪という訳か。シェークスピアはこんな事も言っている。
「今が最悪の状態だと言える間は、未だ最悪の状態ではない」
私が自分にこの続きを問えば「最悪な状態は恐らく、死を迎えた時で、いいも悪いもない状態になるだろうから」と答える事にしよう。