Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月15日(木) 厳しい寒さ続く

2022-12-15 11:28:24 | 日記

今朝は思いがけず青空が広がって、典型的な「冬型」の気圧配置を思わせる西の空でした。

北アルプスの上空には西からの雪雲がかかり、それが山を越えるあたりで次第に消えて青空に変わる。見慣れた冬の空です。西からの寒気が強すぎると、雪雲がさらに東に延びて池田も雪に変わるが、通常の気圧配置なら、下の写真のような状態になるのです。大町方面は、池田町とは異なって雪雲がずっと町部も覆ってしまう。

今年は床下暖房をなくしたために、室内の暖房はエアコンもしくはヒーターのみなので、相当に寒い。あと3ヶ月は、何とか厚着で凌がないといけません。

3月いっぱいで、行革委員の任期も終わるので、その後は全くフリー。ネコの世話の心配もなくなったし、そろそろ11月から3月の冬の間は沖縄で生活するスタイルにする準備に入ろうかと、半ば本気で考え始めています。ただ、どこでどのように住むかという問題や、向こうでの交通の手段を考えると、解決しなければならない課題は山積みで、そう簡単に実行できるわけではありません。

そのように動き回れるのは、多分あと5年くらいでしょうか。さらに歳を重ね、車の運転もままならないことになれば、この家での暮らしも考えなければならなくなりそう。今回の庭の工事も、それを見据えた改造で、要するに誰が住んでも手間暇を掛けないで管理できるようにしたかったのです。今まででは、除草や木の手入れが大変で、勢い雑草の庭になってしまい手がつけられない。本当は、駐車スペースもコンクリートで固めたかったのですが、余りにも高額になるため、あきらめて砂利を敷き直した次第。西側は芝を敷き詰めて、芝刈りをするだけにしようというのが今回の狙いです。下は今年5月頃の庭の状態。4本のツツジを残してすべて撤去したために、サッパリ、スッキリ。

来春には、道路側には生け垣用にツツジを植えてこざっぱりと整理し。その他はすべて芝にするつもり。さて、どうなるのか。


12月15日(木) 「戦争できる国」と「戦争する国」との距離

2022-12-15 11:05:44 | 日記

いまから70数年前、富山市内は米軍の焼夷弾による絨毯爆撃によって焼け野原になり、ほとんど原型を留めないまでに破壊された。
当時、父は海軍の通信兵として軍艦に乗って南方へ。祖父母、母は疎開先にいた。戸籍によれば、私が生まれたのは現在の北陸道富山インターから南東方向すぐ近くの上新川郡熊野村。車で行けば市内からそれほど遠くない場所だから、空襲の際には空が真っ赤に染まり生きた心地もなかったのではないかと思われます。弟はそれから2年後、別の疎開先で生まれている。

空襲後の富山市内。×印はわが家のあったと思われる場所。

私の記憶の中では、小学校前の子どもの頃にはすでに住宅地はそれなりに整い、戦争の傷跡は全くというほどなくなっていたから、猛烈に素早い復興だったのだろうと思われる。
しかし、道路で遊んでいると、あちこちに頭を出している焼夷弾に躓きそうになったり、祭りになると手足のない「傷痍軍人」が数多く募金箱を首から提げて立っていたりしたことなどが思い出される。

父は無事復員できたが、父の兄弟は航空兵だったために2人も戦死。この前、叔母の遺品の片付けに言った際に、孫の世代では誰も振り向きもしなくなった数々の遺影を私が全部引き取ってきたが、その中に父の兄たちの遺影も含まれている。

現在の40代、50代以下の若い世代では、父母も戦争体験はないわけだから「戦争」の身近な実感もない空気の中で育ってきており、内外の脅威の宣伝が日々繰り広げられる今日のような世情の中では、「防衛」能力の強化はやむを得ないことではないかと「思わされる」。

妻の父母の青春時代は、沖縄戦と重なっているために、筆舌に尽くしがたい辛苦の日々だっただろうし、「本土」住民の戦争体験とは質が違う。それでも、「本土」同様に若い世代の中では、中国の脅威の前に、米軍の存在と基地の強化が必要だとする考えが次第に浸透しているように見える。

***

軍事費をGDPの2%にしてみたところで、中国、ロシア、北朝鮮がさらにそれを上回る軍備に拡大し、核攻撃能力を強めたときにどうするのか。その論理では2%で留まるはずもない。それこそが、あの戦争を悲惨な結果に導いた「軍拡」の論理だったことを顧みるべきではないのか。

内田樹さんは、「今政府は本気で戦争をする気はない」。むしろ、「本気で戦争をする気はないけれど『戦争になるぞ』と国民を脅すことが目的で、「過去のすべての失政をチャラにする・行政府への全権委任を進める・改憲する・消費増税する・米国から兵器を大量購入してアメリカから『永代政権保証』をとりつける」などの懸案を一気に解決しようとしている」とツイッターで書いていました。

現在はそうかもしれません。憲法第9条がある限り、「戦争準備」などということは口が裂けても言えるわけではない。しかし、口実などいくらでもつけられるわけで、自国を守るという名目を盾に「戦争できる国」にしたいというのが彼らの本心であることは明白です。そのための軍備の増強であり、敵基地攻撃であり、改憲の衝動なのですから。
とはいえ、当然ながら、自発的。自立的な動機でそのようにしているわけでは決してなく、アメリカの意志に忠実に沿って、米軍との一体化をいっそう強める動きの中で、「自発的」にそうしているに過ぎない。その点は、安倍よりも岸田の方が忠実なのだろうと私には思える。

しかし、考えてみたい。「戦争が出来る国」から「参戦する国」までの距離はどれくらいなのか。外交能力もなく、将来の平和構想もなく、単に金の力で軍備を増強することだけに血道を上げているこの政権では、いくら軍事費を増やしたところでこの国の安全を守るなどということは絶対にできないと私には断言できる。