Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

6月16日(火) MNEMOさんのエールにこたえて

2020-06-16 22:28:22 | 日記

踏まれても伸び続けるたとえとして「雑草のように」などと言ったりしますが、その生命力は並のものではありません。
ただ、一口に雑草といっても様々な種類があり、一つ一つには名前があるんですね。ひとくくりで雑草などと言われて、さぞ彼らはへそを曲げているのではないかと想像します。

今日は、午前9時過ぎから昼食を挟んで午後6時ごろまで、ニンニクを収穫する傍ら、生い茂った雑草を取る作業にひたすら専念しました。ニンニクが雑草の中に埋もれている状態だし、4月初めに植えたネギ苗が大きくなり土寄せを待っている状態で、そのネギの周辺も草だらけ。何しろ畑が広いので、午後から妻も合流して一日中作業をしていても、どれだけも進まない。連日果てしのない作業に汗を流しているところです。

明日の朝7時からは「チョロギ」の周辺の草取りでメンバーが集まります。これまた草取り。毎日こんな作業をしていると、運動量がすごいのでそれなりの疲れはあるけれど、体力増強にはうってつけ。家に帰れば、収穫した野菜がメインの食事になるので、健康には全く問題ありません。

        *   *   *

東京の友人MNEMOさんが、最近のバラ園の記事を読んで、私とバラの会の仲間たちに温かいエールを送ってくださいました。本当に勇気をいただきます。

このバラ園をどうするのかは、私の一存で決めることはできません。仲間たちと十分に議論を重ねながらよりよい方向を導くことになるだとうというのは前にも書いたとおりです。

信濃毎日新聞が記事を掲載してから訪問してくれた方たちは、もちろんそれぞれの思いを持って訪れてくれたわけですが、中には何人かの心に残る人たちがいました。

足に不具合のある女性の方が、新しく敷き詰めた木質チップの上を歩いて「なんて歩き易いんでしょう」と言って下さったこと。毎年バラ祭りの前にはチップを購入して敷き詰めるのですが、一年で堆肥化してしまうので、2トントラック一杯2万円(数年前は3000円だった!)という高額のチップを購入して一面に敷くのです。
明るい色の新しいチップを敷くと、バラ園全体が急に明るくなりバラたちも引き立ちます。こうした作業はバラの手入れと同時に決して手抜きできない作業です。

遠くの高齢者施設からワゴン車で訪れた職員の方に、直ぐ脇の高齢者専用駐車場に駐めていいことを告げたところ、「すぐ近くにとめられるバラ園はありません。助かります」と言う。他のバラ園や公園などは、駐車場から見学するところまでが遠いので、そう易々とは入所者を連れてはいけません。私たちのバラ園は、車の中からでも観賞できますものね。そんなところは他にはないでしょう。しかも、車椅子専用通路までつくっているのですから。

他の大きなバラ園と比べても全く遜色がないと言ってくれる訪問客も一人や二人ではありません。みなさん、種類が多いことに一様に驚きます。もちろん、バラ園から見る北アルプスのパノラマの素晴らしさは言うまでもありませんね。これまた、こんな景観に恵まれたバラ園は全国探してもないでしょう。

今後、どう進むにせよ、私たちにとっても、町にとっても貴重で大切な憩いの園。最後まで手抜きすることなく運営をしていくことだけは確かです。


6月14日(日) 池田町は「花とハーブの里」になり得るのか

2020-06-14 20:58:02 | 日記

池田町共産党ファンクラブからの依頼で書いていた「池田町の財政を考える」シリーズの第6回分(最終回)を担当者に送付して、ようやく一仕事終えた感じ。

朝から降っていた雨が午後には一時小康状態になったものの、夜に入ってまた激しくなってきました。こんな雨の日にもかかわらず私の電話には「バラ園に行きたいのだが」という問い合わせが昨日も今日もありました。バラという花の持つ魅力はそこまで大きいのかと今更ながら驚きます。

実は、6月1日から約10日感でバラ園を訪問してくれた方々は約1000人にものぼります。10日にも書いたように、一様にばらけて来てくれたので混乱はありませんでしたが、このコロナ下でのバラ園の盛況ぶりは、あることを私に痛感させました。
それは池田町を「花とハーブ里」というキャッチフレーズで売り出し観光客を呼び込もうとする際に、人々が何を求めているのかに深い関心と見通しを持たなければならないということです。

私たちの団体「池田町バラ愛好会」は自分たちの楽しみのためと同時に景観形成を通じて地域の人々にもバラ園を開放し、いっしょに楽しむという方針で、それで儲けようとか観光客を増やそうとかということとは全く無縁の活動を続けてきました。小さいながら毎週集まって、丁寧に作業を行い手入れの行き届いた園内をつくり、その結果として地域の人たちがやってきてくれるようになったのです。

この間、主として池田町以外の市町村から多くの人がバラ園を訪れてくれたのですが、それは私たちの予想を遙かに超えたものでした。この事実は、池田町の「花とハーブの里」を考えるときに大きな示唆を与えてくれていると私には思えるのです。

これほど多くの方が来てくれているにもかかわらず、残念ながら町の職員は誰も訪問してくれませんでした。どうだったかとも聞いてもらえていません。では、町が力を入れている池田町ハーブセンターの観賞園、ガーデンにどれだけの人が来てくれたのか。統計をとっているわけではありませんし、シーズンではありませんから知るよしもありませんが、バラ園とは雲泥の差であることは間違いありません。

その運営に携わっている人たちの苦労は十分承知しながらも、私は町の「花とハーブの里」の構想力、政策立案能力を問題にせざるを得ないのです。
一体、ハーブセンター東側エリア(ガラス温室、観賞園、農場)を全体としてどうしようとしているのか。どんな場所にしたいのか。

「池田町の未来を考える会」は昨年12月、「池田町ハーブセンターに関する要望書」を提出し、東西両エリアの問題点と構想を町に示しました。その中で、バラ園の経験も生かした具体的で実効性のある東側エリアの改革プランを提案したのですが、残念ながら「一顧だに」されていません。それどころか、ガラス温室内に庭園をつくり散策ルートを作ったり喫茶コーナーを設置したりする改装プランを唐突に打ち出し、5000万円にも及ぶ大改装を行おうとしていることが分かりました。

これに対しても、4月6日に提出した「令和2年度予算に関する緊急要望書」で、ガラス温室の改装を凍結し、エリア全体の計画の中での位置づけを明確にした上で町民合意を得て進めるよう要望しました。しかし、これも残念ながら今のところ顧慮される気配はありません。
私が見るところ、現在の池田町には、町づくりのデザインを総合的に行い統一のとれたものに仕上げていく司令部にあたる部署が全く見当たらない。だから出てくる政策は場当たり的でご都合主義になってしまう。そのため、ハーブセンター東側エリアの運営はこの20年以上、結局のところ本質的に何も変わっていないのです。

現在行おうとしているガラス温室改装も、時間が経てばその矛盾がはっきりしてくるでしょう。一時期ものめずらしさから誘客効果はあるかもしれませんが、他のエリアとの統一が全くとれていないのですから、結局お金ばかりが出ていくことになる。町の好きな言葉で言えば「費用対効果」は限りなくゼロに近いものになるだろう。私にはそれが今からよく見えます。

それは言い過ぎで、町への誹謗中傷ではないか?私はこの評論が言い過ぎであって欲しいとさえ思います。もしも誹謗中傷であることが実践で裏付けられ白日のもとに晒されたならば、深々と頭を下げもしましょう。だが、どのようなデザインにするのかは業者任せであって、パブリックコメントや懇談会など町民の意見をきく機会は一切設けられていません。もちろん私たちの要望について町からの見解が示されたこともありません。過去の総括を十分に行い、独断専行ではなく町民や専門家の意見を聞きながら、十分に計画を練り上げることが必要なのではないでしょうか。

もし、町が本当に池田町を「花とハーブの里」にしたいのであれば、それにふわさしい構想を持ち、町民を信頼し、計画的にことを運ぶことにもっと心を砕いてほしい。バラ園の盛況をみながら、一方でそう願わずにはいられません


6月13日(土) 雨雨雨

2020-06-13 23:57:02 | 日記

これまでの乾燥をすべて帳消しにし、おつりがくるほどの雨。
梅雨入り早々、一昨日から今日にかけてどっさり雨が降ってくれました。
作物には十分な恵みでしたが、雑草にも同じ。雑草を抜いて後ろを振り向けばもう生えているという程の勢いで、これからは雑草とのたたかいの日々となります。

今日は午後から、長い中断後2回目のこどもじゅくでした。小学生から高校生までいっしょの大きな部屋で、みんな一生懸命。いつもは走り回る小学生達も中高生が真剣に学習に集中している姿に何かを感じたのか、静かに教材に向かっていてなかなか頬笑ましかった。
今日が初めての子も一人。新入会者はこれから少しずつ増えていくのでしょうから、対応するには相当な苦労がともないます。様々な困難を抱えている子たちに正面から向き合うというのは口でいうほど簡単ではありません。もっと時間がほしい、もっと場所がほしい・・・尽きない悩みです。

         *   *   *

今日の信濃毎日新聞に、フランスの思想家ジャック・アタリ氏の「六つの重大な転換が起こるー『命を守る経済』のために」という寄稿文が掲載されました。
新型コロナ感染症による大きな災害と経済社会の甚大な破局を乗り越えた先に、六つの重大な転換が起こるだろう、として、①距離、②行き方、③普遍的利益、④透明性、⑤未来に備える、⑥世界の一体性を挙げて一つ一つについて説明していました。頭の部分だけを紹介すると次のようになります。

①距離・・・人々はリモートワークの可能性に気付いた。もはや会社に近い大都市に住む必要はなくなる。
②生き方・・・人々は、人生がいかに短いか、あらゆるくだらない物事よりもどれほど重要かということを自覚した。「命を守る経済」と称される分野以外で、物事に執着するのはやめたほうがいいと気付いた。
③普遍的利益・・・私たちは、株主のいない、利潤を目的としない「社会的経済」の重要性に気付いた。非営利団体の活動があらゆる領域で拡大し・・・未来の非常に重要な一部を形成する。
④透明性・・・人々は多方面にわたる透明性の必要を自覚した。だが、これは独裁の道具にも民主主義の道具にもなりうる。
⑤未来に備える・・・人々は、将来の脅威に対して素早く行動を起こすことの重要性に気付いた。従って、次の脅威には、今回以上に準備して、素早く対処しなければならない。
⑥世界の一体性・・・私たちは誰もが相互に依存していることを自覚した。

最後に、もし、という前提つきで、「私たちがこれら六つの変化(気づき)を民主的に実現できるなら、この危機はネガティブな側面だけではなくなるだろう。危機は、私たち文明を救済しうる、大いなる方向転換の機会にすらなるだろう」と結んでいました。

一見すると、極めて先見的で理知的な分析のように読めます。しかし、私にはどうしてもあることが気になって仕方がありませんでした。
この文章の一つ一つの項目の「気付き」の主語がぜんぶ「人々は」「私たちは」となっていることです。「人々」とはどんな人々なのか。「私たち」は、私と誰なのか。「多くの人々」はでもなく「理知的な人々は」でもない。この国のどうしようもない政策をいまもなお繰り広げているような人々も含めて「私たちは」なのかどうか。

アタリ氏のこの文章では、「すべての人々は」という意味で文頭においているのはないことは明らかです。だとすれば、文明転換の一つの挑戦的な呼びかけ文であり、気付いた「私たち」が向かっていくべき指針を示したものと見なすべきなのでしょう。そうとらえると、ある意味すっきりする。しかし、そう読むには書き方あまりに没階級的で楽観的に過ぎるのです。

リモートワークの可能性は当然拡大するだろうし、会社の利潤にとって必要とあれば「資本主義的合理化」のテコとして広がりを見せることは必然です。それが「株主との企図とは無関係なプロジェクト、環境を汚染しないと言う計画や、会社で働く者の生活水準の改善、従業員の能力といったプロジェクト」にどう結びつくのか。非正規雇用の労働者たちにとって、リモートワークの意味するものは、あくまでその条件に合致する場合だけであり、多くはさらに劣悪な環境と条件に置かれ「雇用調整弁」とされるのではないのか。
利潤を目的としない「社会的経済」の重要性に気付いた。確かにその一面はあるでしょう。だが、ここ日本においては、事態は全く逆ではないのか。誰がそのことに気付き、誰がそのことを無視して国民共通財産を破壊し「社会的経済」とは真逆の方向を目指そうとしているのか。

人々は気付いた、ではなく、多くの人々は気付き始めているが、もっと多くの人々がその輪を広げるべきであり、それを妨げる者とは断固としてたたかい「命を守る経済」への歩みを踏み出すべきだ、と主張してほしかった。率直な感想です。


6月10日(水) バラ園 盛況

2020-06-10 21:11:45 | バラの会

快晴続きで畑には本当に雨が欲しい。明日午後からは本降りになるようなので雨が待たれます。

さて、6月5日に信濃毎日新聞ローカル紙面に掲載された バラ園に関する紹介記事が「とんでもない」忙しさを呼び込んでしまいました。それが下の記事。

今年は例年行っていたバラ祭りは中止とするものの、バラ園は通常通り運営し、リピーターにはそれなりに開放してひっそりと過ごす予定でいたのです。ところが6月4日に、信濃毎日新聞の記者が突然訪れて明日の紙面でバラ園を紹介したいと言うのでびっくり。私はすでに帰宅したあとだったので、写真は別として私には電話での取材。

そのときは、バラ祭りは中止したものの園内はいつも通り開放し、整備の要員を午前午後にわけて配置し、来たい人は来ればいいだろうという程度で軽く考えて記者の質問に答えてしまいました。それが間違いのもと。
蓋を開けてみたら電話は朝から鳴りっぱなし、ローカル紙の小さな記事が持つ力のすさまじさを実感することに。とにかく、朝からひっきりなしに客が訪れるので、慌てて案内掲示を増やしたり、近くの店に地図を置かせてもらったり、園内の要員をしっかり確保したりとバラ祭りに近い対応に追われるハメになってしまったのでした。結局私はこの一週間ほとんどバラ園で過ごすことに。

中野市にある大きなバラ園は閉鎖中。新聞を見たという人以外にも、どこかバラ園がないかとネットで調べて来たという人も結構多かった。ずっと家に閉じ込められ、外出を待ち望んでいた人にとってはこの記事はピッタリで、格好の外出先になったのでしょう。何しろ塩尻や諏訪などからはるばるやってくるのですから。しかも、年齢を問わず夫婦での来訪が圧倒的。暑い中、こんなにも多くの人が遠くからはるばるとやってくることに本当に驚かされました。みんな、どんなに外に出たかったのでしょうか。

私が心配したのは、コロナ下で密になるということより、駐車場などの混雑でトラブルが発生しないかどうかということ。バラ園は高台の風邪通しのよいところにありますから、マスクなどは無粋以外の何ものでもない。
初めのうちは、近隣の住民から場所を聞かれて迷惑だというクレームもありましたが、案内掲示を増やして対応。訪問客も多いには多かったのですが、時間分布は一様だったことが救い。ある時間帯に押し寄せるということがなかったために、何とかピークの土日をやり過ごし、梅雨入り前の今日でほぼ平常状態に戻りました。

バラ園は6月に入って一気に咲きそろい、土日には満開。適宜水遣りをしたために花や葉の色も美しく、手入れは会員が毎日丹精込めてやっているために、小さいバラ園ながら訪問者は一様に満足。見晴らしのいい高台にあり、片側は緑濃くこんもりした森に囲まれ、片側は薄緑の田園を挟んで北アルプスを一望する絶景というこのバラ園の面目躍如という一週間でした。

しかし、なのです。実際には中止となった今年のバラ祭りですが、実は昨年度の総会でこのバラ祭りを最終回にすると決めていたのです。その後どう運営するのかは今年9月の臨時総会で改めて決めることも。

そうせざるを得ない最大の理由は会員の高齢化と実働人員の減少です。
創立から10年を経て、それなりの実績・知名度を上げてはきたものの、運営には言うに言われぬ苦労がつきもの、いつまでもこのままというわけにはいきません。この種の活動は意欲はあってもわずかの会員だけで運営出来るほど甘くはない。とくにここ1,2年はその運営の限界を突きつけられてきていました。
この一週間を経て、バラ園の素晴らしさを一方で実感しつつも、決定の時期をずるずるといつまでも引きずるわけにはいかないという気持ちをいっそう固めたというのが正直なところなのです。

どんな運動にも、始めがあれば終わりがある。どう始めるかよりどう終わらせるかの方がよほど大事だし困難です。「美しバラ園は美しいままで終わるのがいい」・・これは私の美学(?)。多くの人は「惜しい」「もったいない」「どうして」と必ず言います。問題は「誰が」「どのようにして」運営するかなのですから、気持ちだけで物事が進むわけではありません。主宰者の一言がどれほど重要な意味を持つかは十分に分かっているつもり。しかし言葉を発しなければならない時期が来ているのも事実なのです。

今年9月頃に臨時総会を開いてバラ園の今後について何らかの方向を出すことに前総会で決議しているので、それまでによく話し合い、よい方向を導き出したいと考えています。


6月4日(木) こどもじゅく再開

2020-06-04 14:54:10 | 日記

真夏の暑さのなか、8名が集まってバラ園の作業にあたりました。昨年のバラ最盛期とは打って変わった静けさですが、バラは満開、見頃を迎えています。
バラ園を知っていて毎年来てくれている人、ネットで検索してわざわざ探しあてて来てくれる人などがいて、毎日30人程度は訪問してくれてありがたい。

コロナも落ち着いたためか、今日は信濃毎日新聞、大糸タイムスの記者も訪問、取材していきました。花が見頃だというくらいは報道してくれるのでしょうか。

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今日から3ヶ月ぶりに「こどもじゅく」再開です。松本の中央公民館を使っての勉強会ですから、何かと不便。どれだけの子ども達が来てくれるのかが心配です。

子ども達は学校での授業の遅れが甚だしいわけですから、よく実態を調べ、子ども達の要望に合わせたやり方をしていかないといけません。週1のうえに短時間ですからもどかしいことこのうえない。こどもじゅくも一つの試練を迎えています。

私は、いままでと同様に畑で子ども達に届けるための野菜を育てているのですが、使い勝手のよかった松本協立病院とは違って、ものを持ち込むこと自体が難しいために、タマネギなど重たいものを届けるのは至難の業。建物の出入り口を使って届けるか、配達するか、よく相談して当面の方針をきめなければなりません