Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

6月10日(水) バラ園 盛況

2020-06-10 21:11:45 | バラの会

快晴続きで畑には本当に雨が欲しい。明日午後からは本降りになるようなので雨が待たれます。

さて、6月5日に信濃毎日新聞ローカル紙面に掲載された バラ園に関する紹介記事が「とんでもない」忙しさを呼び込んでしまいました。それが下の記事。

今年は例年行っていたバラ祭りは中止とするものの、バラ園は通常通り運営し、リピーターにはそれなりに開放してひっそりと過ごす予定でいたのです。ところが6月4日に、信濃毎日新聞の記者が突然訪れて明日の紙面でバラ園を紹介したいと言うのでびっくり。私はすでに帰宅したあとだったので、写真は別として私には電話での取材。

そのときは、バラ祭りは中止したものの園内はいつも通り開放し、整備の要員を午前午後にわけて配置し、来たい人は来ればいいだろうという程度で軽く考えて記者の質問に答えてしまいました。それが間違いのもと。
蓋を開けてみたら電話は朝から鳴りっぱなし、ローカル紙の小さな記事が持つ力のすさまじさを実感することに。とにかく、朝からひっきりなしに客が訪れるので、慌てて案内掲示を増やしたり、近くの店に地図を置かせてもらったり、園内の要員をしっかり確保したりとバラ祭りに近い対応に追われるハメになってしまったのでした。結局私はこの一週間ほとんどバラ園で過ごすことに。

中野市にある大きなバラ園は閉鎖中。新聞を見たという人以外にも、どこかバラ園がないかとネットで調べて来たという人も結構多かった。ずっと家に閉じ込められ、外出を待ち望んでいた人にとってはこの記事はピッタリで、格好の外出先になったのでしょう。何しろ塩尻や諏訪などからはるばるやってくるのですから。しかも、年齢を問わず夫婦での来訪が圧倒的。暑い中、こんなにも多くの人が遠くからはるばるとやってくることに本当に驚かされました。みんな、どんなに外に出たかったのでしょうか。

私が心配したのは、コロナ下で密になるということより、駐車場などの混雑でトラブルが発生しないかどうかということ。バラ園は高台の風邪通しのよいところにありますから、マスクなどは無粋以外の何ものでもない。
初めのうちは、近隣の住民から場所を聞かれて迷惑だというクレームもありましたが、案内掲示を増やして対応。訪問客も多いには多かったのですが、時間分布は一様だったことが救い。ある時間帯に押し寄せるということがなかったために、何とかピークの土日をやり過ごし、梅雨入り前の今日でほぼ平常状態に戻りました。

バラ園は6月に入って一気に咲きそろい、土日には満開。適宜水遣りをしたために花や葉の色も美しく、手入れは会員が毎日丹精込めてやっているために、小さいバラ園ながら訪問者は一様に満足。見晴らしのいい高台にあり、片側は緑濃くこんもりした森に囲まれ、片側は薄緑の田園を挟んで北アルプスを一望する絶景というこのバラ園の面目躍如という一週間でした。

しかし、なのです。実際には中止となった今年のバラ祭りですが、実は昨年度の総会でこのバラ祭りを最終回にすると決めていたのです。その後どう運営するのかは今年9月の臨時総会で改めて決めることも。

そうせざるを得ない最大の理由は会員の高齢化と実働人員の減少です。
創立から10年を経て、それなりの実績・知名度を上げてはきたものの、運営には言うに言われぬ苦労がつきもの、いつまでもこのままというわけにはいきません。この種の活動は意欲はあってもわずかの会員だけで運営出来るほど甘くはない。とくにここ1,2年はその運営の限界を突きつけられてきていました。
この一週間を経て、バラ園の素晴らしさを一方で実感しつつも、決定の時期をずるずるといつまでも引きずるわけにはいかないという気持ちをいっそう固めたというのが正直なところなのです。

どんな運動にも、始めがあれば終わりがある。どう始めるかよりどう終わらせるかの方がよほど大事だし困難です。「美しバラ園は美しいままで終わるのがいい」・・これは私の美学(?)。多くの人は「惜しい」「もったいない」「どうして」と必ず言います。問題は「誰が」「どのようにして」運営するかなのですから、気持ちだけで物事が進むわけではありません。主宰者の一言がどれほど重要な意味を持つかは十分に分かっているつもり。しかし言葉を発しなければならない時期が来ているのも事実なのです。

今年9月頃に臨時総会を開いてバラ園の今後について何らかの方向を出すことに前総会で決議しているので、それまでによく話し合い、よい方向を導き出したいと考えています。