Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

6月16日(日) 妻の手記 & 新潟地震

2024-06-16 20:35:58 | 日記

水を張った田んぼには、まもなく足が生えそうなオタマジャクシが無数に泳ぎ、わが家の庭にもウグイスがやってきて「ホーホケッ」と省エネのさえずり。新しい畑では一羽のオスのキジが毎日散歩。日差しは強いが、今日は風もあってのどかな日曜日です。

畑仕事も断続的に続けており、今日も除草と散水。夕方、友人達に、大量の野菜をお裾分けしました。もらっていただけるだけで有り難い。

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下は、全国民医連の機関誌「いつでも元気」の最新号に載った妻の手記。「いま語らねば」という戦争体験のコーナーがあって、それに寄せた幼少の頃の話が中心です(画像には少し大きい画像がリンクしてあります)。

かつて、義母が一人で生活していた妻の実家に何回か通っていっしょに過ごした間に、私も義母から妻の記録にあるような話を私も聞かされた覚えがあります。

妻は戦後、義父の勤務先の今帰仁から南部玉城村に戻り、小中高時代を過ごします。実家は海を見下ろす高台にあり、海まで数キロの道を汐汲みに歩いたことや飼っていた豚を潰したことなど、手記にあるような話を時々思い出したように話すことがありました。

沖縄戦の末期、激戦地となった摩文仁の丘まで、それほど遠くない現在の南城市には、日本軍や住民が避難していたガマが多数残っているし、いまだに不発弾が見つかっています。
ただ、時代が移り、世代が交代する中では、地域によっては本土資本の影響もあって、米軍や自衛隊に対する見方も変わりつつあり、今晩の県議選がその実態をかなり明らかにするのではないでしょうか。

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話は変わりますが、今日6月16日は、今から60年前の1964年にM7.5の新潟地震が発生した日です。
発生は午後1時2分。私は大学に入学して間もない時期で、仙台市川内(東北大教養部)にあるの木造2階建てのサークルの部室にいました。
突然の激しい揺れで、立っているのがやっとという状態。誰かが「外に出ろ」と叫び、揺れの続く中を必死の思いで脱出。外に出ても激しい揺れは収まる気配がない。すぐ近くにあった3階建ての鉄筋コンクリート造りのアパートがガタガタ上下に揺れていました。

その後の情報では震度5ということでしたが、私にとっては初めての生死に関わるかもしれないと思った大地震。後から聞いた話では、仙台は約350万年前の大噴火で出来た分厚い堆積層による地盤によって地盤が破壊されたり隆起したりすることもなく、揺れそのものは大きかったけれど大きな被害がなかったのだそう。

その年の夏だったか冬だったか定かではありませんが、帰省するために新潟駅に降り立って、駅のあちこちが壊れ酷い状態になっているのをみて、改めて地震の恐ろしさを感じたものでした。
確実に次の巨大地震が迫っている現在、60年前の体験を思い出しながら、身の回りの対策に油断がないかどうかを確かめてみることが大事だと思わされています。

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