昨日は、日本共産党の創立100周年記念講演会があり、メインの志位委員長の長時間にわたるお話を聞きました。
その中で、共産党がいかに現綱領を確立していったかを、党の歴史に即して解明した部分があり、とりわけ外国(ソ連、中国)から国内の内通者を介した干渉・破壊攻撃といかに闘ってきたかを具体的に語っていたのですが、おそらく50代以下の党員、支持者の方々では、十分には知らなかったこともあったのではないかと大変興味深く聞きました。
1960年代では、共産党の機関紙はカタカナの「アカハタ」で、1964年に大学に入学してまもなく読者になりました。当時は、61年綱領を確立した直後で、主に全国の大学と企業、公共団体、学校などで急速に影響力を広げていった時代。日曜版が創刊されて、その読者が怒濤の勢いで広がった時代でもありました。
私自身は、そんなに簡単に共産党の支持者になったわけではありませんでしたけれど、新聞に掲載される論文などは、欠かさず目を通しており、私の周りの党員たちも高い理論的レベルの人々が多かったこともあり、強い影響を受けることになったのです。
当時、ソ連からの干渉やその後の中国からの干渉という2つの大きな分裂・破壊攻撃と正面からたたかっていた日本共産党の姿は、傍目からみても頼もしく「アカハタ」の論文を詳細に読んでいたことを思い返します。
当時、私の関心事は将来の教育現場での活動への準備でしたから、実践なしの理論には直感的に受け付けないところがあって、特異な「理論」を振りかざす学生たちの運動には違和感しかありませんでした。大学ではごく少なかったとはいえ、それなりに勢力を持っていた極左派の学生たちにも生理的嫌悪感しか抱けなかったし、当然ながら、当時大学で影響を広げていた「原理研究会」も同様。
振り返れば、この当時の経験が、その後の私の骨格を作ったのだと、感慨深く思い返すのです。
志位さんは、講演の中で、紙面のほぼ全文を使った批判論文を掲載した当時の新聞のコピーを示していましたが、まもなくそれらはパンフレットとしても刊行されましたから、私も入手して、友人たちと議論していたものです。今では考えられないような時代でしたね。
下は、1964年4月発行の「ケネディとアメリカ帝国主義」(私が大学に入学した年の発行です!)と、1967年5月発行の「極左日和見主義者の中小と挑発」(志位さんが紹介していた論文です)。これらは私の書庫で保存していたもの(かなり黄ばみがすすんでいる)ですが、持っている人自体珍しいんじゃないかなあ。
それはともかく、この日の記念講演に先立って、4人の方からのメッセージが紹介されており、そのうちの1人、俳優の仲代達矢さんのメッセージには、自分の貧しい子ども時代のことを振り返りながら、戦前から節を曲げずに戦い続けてきた共産党への思いが率直に語られていて、印象的でした。
共産党の存在を知ったのは戦後です。私の家は貧乏のどん底で、高校は夜学。自分がみじめで、昼間部の生徒と会わないよう裏道を通って通学しました。
その頃、貧しい者の味方として世の中に現れたのが共産党でした。戦争中も弾圧に屈さず、反戦を貫いた人たち。以来、私は共産党のファンです。