Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

9月18日(日) 日本共産党創立100周年 記念講演会

2022-09-18 21:21:32 | 日記

昨日は、日本共産党の創立100周年記念講演会があり、メインの志位委員長の長時間にわたるお話を聞きました。
その中で、共産党がいかに現綱領を確立していったかを、党の歴史に即して解明した部分があり、とりわけ外国(ソ連、中国)から国内の内通者を介した干渉・破壊攻撃といかに闘ってきたかを具体的に語っていたのですが、おそらく50代以下の党員、支持者の方々では、十分には知らなかったこともあったのではないかと大変興味深く聞きました。

1960年代では、共産党の機関紙はカタカナの「アカハタ」で、1964年に大学に入学してまもなく読者になりました。当時は、61年綱領を確立した直後で、主に全国の大学と企業、公共団体、学校などで急速に影響力を広げていった時代。日曜版が創刊されて、その読者が怒濤の勢いで広がった時代でもありました。

私自身は、そんなに簡単に共産党の支持者になったわけではありませんでしたけれど、新聞に掲載される論文などは、欠かさず目を通しており、私の周りの党員たちも高い理論的レベルの人々が多かったこともあり、強い影響を受けることになったのです。
当時、ソ連からの干渉やその後の中国からの干渉という2つの大きな分裂・破壊攻撃と正面からたたかっていた日本共産党の姿は、傍目からみても頼もしく「アカハタ」の論文を詳細に読んでいたことを思い返します。

当時、私の関心事は将来の教育現場での活動への準備でしたから、実践なしの理論には直感的に受け付けないところがあって、特異な「理論」を振りかざす学生たちの運動には違和感しかありませんでした。大学ではごく少なかったとはいえ、それなりに勢力を持っていた極左派の学生たちにも生理的嫌悪感しか抱けなかったし、当然ながら、当時大学で影響を広げていた「原理研究会」も同様。
振り返れば、この当時の経験が、その後の私の骨格を作ったのだと、感慨深く思い返すのです。 

志位さんは、講演の中で、紙面のほぼ全文を使った批判論文を掲載した当時の新聞のコピーを示していましたが、まもなくそれらはパンフレットとしても刊行されましたから、私も入手して、友人たちと議論していたものです。今では考えられないような時代でしたね。

下は、1964年4月発行の「ケネディとアメリカ帝国主義」(私が大学に入学した年の発行です!)と、1967年5月発行の「極左日和見主義者の中小と挑発」(志位さんが紹介していた論文です)。これらは私の書庫で保存していたもの(かなり黄ばみがすすんでいる)ですが、持っている人自体珍しいんじゃないかなあ。

それはともかく、この日の記念講演に先立って、4人の方からのメッセージが紹介されており、そのうちの1人、俳優の仲代達矢さんのメッセージには、自分の貧しい子ども時代のことを振り返りながら、戦前から節を曲げずに戦い続けてきた共産党への思いが率直に語られていて、印象的でした。

 共産党の存在を知ったのは戦後です。私の家は貧乏のどん底で、高校は夜学。自分がみじめで、昼間部の生徒と会わないよう裏道を通って通学しました。
 その頃、貧しい者の味方として世の中に現れたのが共産党でした。戦争中も弾圧に屈さず、反戦を貫いた人たち。以来、私は共産党のファンです。


9月18日(日) 台風接近&出所不明ビラ

2022-09-18 21:06:14 | 日記

台風14号が九州を縦断するコースをたどり、強風と大雨による被害が懸念される事態に。事前の対策をしっかりして、被害が少しでも低くなるよう願うばかりです。

この台風は、鹿児島上陸時に935hPaという、最近では見られないような低い気圧。
下は徳島新聞掲載の過去の記録です。

この記録を見ると、気圧が最低だったのは1961年に四国東側に上陸し淡路島へと進んだ第2室戸台風。この時には925hPaだったといいます。室戸台風の風速は計器も壊れるほどで、気圧の低さのために海面が吸い上げられて、各地で高潮被害が発生しました。徳島新聞電子版は、このときの模様を教訓として詳しく紹介しています。

***

今日も、午後から妻と畑に出かけて草取り(午前中は、家の向かいの法面の除草)。毎日毎日、草とのたたかいが続きます。草取りが終われば、前にも書いた通り、新しい作物の植え付けのために、耕運機で耕作して施肥、畝を作ってマルチがけ。そんなことを延々と続けています。そのために、腰はもちろん、手首なども痛くなり、身体もあちこちが悲鳴を上げている状態。まだ、全く先が見えません。

***

さて、話は変わりますが、先日友人が「こんなものが撒かれているらしい」と1枚のチラシを見せてくれました。
「池田町議会に不満を持つ町民」の名で、「池田町議会の議員定数を1/3減らして財政改善を!こんな議員は要らない!議会解散!合併も視野に!」という、多分ここまでがタイトル。表面から裏面まで、ほとんどが数人の議員の行状をあげつらっているだけ。勢い余ってか、元副町長憎しが募ってか、現在審議が続けられている行革委員会に対する偏見も披露。今は、どこまでこのチラシが配られているのか確認できないので、こんなものがあるという程度にしておきますが、必要なら事実に即して批判することもやぶさかではありません。

1つだけ、事実を指摘しておきましょう。行革委員会について触れた次のような一文があります。

今の財政改革委員会は宮島氏など一部の人の意見で成り立っている委員会のようですね。

すでに、事実に関する誤りが2箇所。池田町で現在審議が続けられているのは「行財政改革推進委員会」(略称:行革委員会)であり、財政委員会などは存在しません。また、宮島氏という人も実在せず、これは元池田町副町長の宮嶋氏のことでしょう。
これらは、ご愛敬としておきますが、一部の人の意見で成り立っているという評価は聞き捨てできません。しかも「ようですね」というのですから、他人の評価を借りて、自分の意見であるかのように見せています。こんな手口では、知識のない町民は騙せても、当事者たちまで騙すことはできません。謀略の手法をとったつもりでしょうが、無責任を通り越して無知をさらけ出していることに気がついていないらしい。委員会のメンバーが聞いたら、全員激怒することは間違いありません。

この行革委員会がどのような議論を行っているのかは、議事録で明白です。
前半の何回かは除いて、最近はずっと私自身が議事録をまとめており、誰がどのような発言をしているのかをすべて詳細に記録しており、資料とともに役場のホームページで公開していますから、多少でも関心があるのなら手間を惜しまず調べるべきだし、こうした公的な記録をもとに、問題点があれば事実に即して言及すべきです。

まあ、名前も出せないこのようなお方にそのような注文をすること自体無理筋でしょうし、こうした出所不明の「怪文書」は無視するに限るという人もいますけれど、そうはいっても、間違ったことは正さなければならない。

過去には何度もこれに類した文書が撒かれたことがありましたけれど、こうした謀略ビラ程度のものでしか自分の鬱憤を晴らせないのですから、可哀想というか哀れというか、例え直接議論したとしても、何の益も進歩もないことだけは断言できます。