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《読書》中島らも&ミスター・ヒト『クマと闘ったヒト』ダ・ヴィンチブックス(メディアファクトリー)

2006-05-21 06:56:37 | 読書

●〔35〕中島らも&ミスター・ヒト『クマと闘ったヒト』ダ・ヴィンチブックス(メディアファクトリー)2000
(2006.05.13読了)
 市民図書館で借りました。『寝ずの番』の中の「逐電」を読んで興味を持ったので、この本も読みました。中島らもとミスター・ヒトの対談集です。
ミスター・ヒト
 183センチ・112キロ 1942年4月25日生まれ 大阪府大阪市天王寺区出身 得意技:ヘッドバット
 タイトル歴:カンサス地区世界タッグ、北米ヘビー(カルガリー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
 1967年に大相撲の出羽の海部屋から日本プロレスに入門。相撲時代の四股名は浪速海で幕下17枚目まで進んだ。6月8日、八戸市体育館の林牛之助でデビュー。日本プロレスでは永源とのコンビで人気を博し、1973年に揃って初渡米。カンサスを中心に暴れまわる。永源とのコンビ解散後はフロリダ、カナダ、西ドイツなど世界各国を転戦。ドイツのハノーバー・トーナメントでも準優勝の成績を残している。1979年8月、フロリダ州でミスター・サクラダと組みフロリダタッグ王座を獲得。カナダ・カルガリーではデビット・シュルツを破り北米ヘビー級王座を獲得。以後、カルガリーに住み、スチュ・ハートのもとでブッカーとして活躍。カルガリーに定着してからはコーチとしても才能を発揮しダイナマイト・キッド、ブレッド・ハートなどのスター選手を育て上げた。日本へは全日本プロレス、国際プロレスに登場。新日本プロレスにもキム・クロケイドのマネージャーとして顔を見せている。1983年に引退。帰国後は大阪天王寺に戻り、姉の店「ゆき」を受けつぎ、お好み焼き屋を経営。SWS旗揚げ時にはレフリーとしてカムバック。大日本プロレスのリングにも立っている。本名は安達勝治。

(ダークロHP(http://kuro.pinoko.jp/pro/w771.htm)・ミック博士の昭和プロレス研究室(http://drmick.at.infoseek.co.jp/proresu/jap/mi.htm)より作成)

 ミスター・ヒトの話はいわゆる内幕暴露ですが、全くイヤミではなく、なるほどと納得させられるものがありました。全編に渡って、「へぇー」という話がポロポロでてきました。
ヒト (中略)まずいちばん強い人はジョージ・ゴーディエンコでしょう。
らも 渋いね。
ヒト これはプロレスラーでですよ、プロレスじゃない人ではゴーディエンコの兄貴がいちばん強い。
らも レスラー以上、すごい兄貴だね(笑)。
ヒト ゴーディエンコの次が黒人のルーター・レンジ。3番目が日本にも来たこともあるゴードン・ネルソン。4番目がステュ・ハートだね。5番目がダニー・ホッジで、その次のルー・テーズかカール・ゴッチ、どっちかです。(p.254)

 吉田豪が注をつけているのですが、これも爆笑物でした。
[マーク・ルーイン]
 37年生まれ。相手の首に絡み付くアナコンダ殺法(スリーパー)と、そのとき相手の背中に絡み付く(推測)胸毛の剛毛っぷりが見事だった毒蛇男。日本人女性と結婚したため、その里帰りも兼ねて全日新春シリーズの常連外国人となったという合理的な姿勢も、まさに毒蛇(意味不明)。(後略)(p.225)
[小川直也]
(前略)橋本真也をシュートで潰し、PRIDEでもG・グッドリッジを撃破したことで大ブレイク。「悪質な猪木イズムを注入されたジャンボ鶴田」とでもいうべき、長年ファンが待ち望んでいた怪物として生まれ変わった。(後略)(p.243)
[ダニー・ホッジ]
(前略)ジュニアヘビー級最強の鳥人と呼ばれただけあって、横に選手がいても全く気にせず移動の車の中で己のジュニアを取り出してオナニーを始めてキッチリ射精(シュート)してみせたりと、いちいち飛びのいい男だったようである。(後略)(p.264)


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