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●〔34〕坪内祐三『古くさいぞ私は』晶文社 2000 (2006.05.13読了)
市民図書館で借りました。「あとがき」に「私の注文は簡単だった。A五判の、晶文社ならではのヴァラエティ・ブックを作りたい、と、それだけ。」(p.309)とあります。
その通り、内容も段組も雑多な話が詰め込まれていました。面白いのもそうでないのもありましたが、総じて面白く読むことができました。
数年前から私はある女子短大で週一回教えている。国文科の学生相手にゼミ一つと講義一つとを受け持っている。
テレビや雑誌を目にすると、最近の女子大生は馬鹿だ馬鹿だ、という。確かにテレビや雑誌には次々と馬鹿な女子大生たちが登場してくる。そして、今どきの女子大生は馬鹿だというのは、一種のクリシェ、紋きり句になっている(もう十年以上も前から)。
私は、それが単なるクリシェであるのか、それとも最近の女子大生は本当に馬鹿なのか、その真実を知りたいと思い、その仕事を引き受けたのだ。
そして知りました。最近の女子大生は、やはり、馬鹿です。そのほとんどが。(「『アルジャーノン』が、女子大生に愛される理由」p.271)
ものごとをお手軽に考えるのは、いつの時代でも、若者の特権だが、ジャーナリズム専攻だけあって、その学科に学ぶのが編集者になれる近道だと思っている子が何人もいる。
なかには直接、私に、編集者になりたいんですけど、と話しかけてくる子もいる。どんな本が好きなのと尋ねると「本とかって私読まないんです」と答える。じゃあ雑誌は、と重ねて尋ねると、「雑誌とかも私あまり読まない人なんです」。彼女は、はたして、どんな編集者になりたかったのだろう。(「当世女子短大生気質」p.269)
そして、そういえばあの頃、つまり一九八〇年頃、すでに大人になっていたのに、私も、「カレー屋ケンちゃん」その他のケンちゃんシリーズを、けっこう楽しく見ていたことを、思い出した。もっとも私は、森茉莉のようにケンちゃんを毎週心待ちにしていたわけではないので、ケンちゃんシリーズがいつ終了したかも知らない。気がつくとケンちゃんは-洗濯屋ケンちゃんは別として-私の周りから姿を消していた。(「森茉莉も愛でたドラマの様式美」p.248)「洗濯屋ケンちゃん」の件で思わずクスリとしてしまいました。