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《読書》谷沢永一『本は私にすべてのことを教えてくれた』PHP研究所(その2)

2006-11-30 05:38:33 | 読書
(承前)
今年もまた同じ手口で、飯田が無断で学校を誘致してきた。六月十二日から十五日まで、盛大に近世文学会の大会が行なわれる。飯田が朝から興奮して、会場と廊下を走り廻っているのがひときわ目立つ。平野健次が近世専攻ということになっているので、彼は自分が関大で重きをなしていると見せるため、飯田を凌いで、専ら会員の誘導に出しゃばっていつも小走りに忙しい。それは結構なのだが、私には難題が残っている。すなわち近世文学会では、一般会員の懇親会とは別に、常任委員だけを、主催校の責任で接待するのが習慣である。こういう飲み食いの設営となれば、すべてを私に任せて、教授たちは何も心配してくれない。
 そこで教科書『日本文学新選』の売りあげから積み立ててある準備金を、多少くずして費用にあてる。そして宝塚方面で顔の広い私の友人に泣きつき、武庫川河畔の紫霞荘に格別の便宜をはかってもらうことにした。座敷の常任委員たちは御機嫌である。私は暉峻康隆と野間光辰が、ことのほか威張っているのを観察していた。学会も、人物の根性を見るための場と心得れば、観念できようというものである。(pp.57~58)

 この年、日本近代文学研究者の戦後世代が集まって、近代文学懇談会と称する組織ができた。地方在住者を代表してのいみであろうか、私も発起人のひとりに加えられている。名乗る通りの懇親会にすぎないのだけれど、われわれより年長で、学会の中枢にありと自ら任じている戦中世代にとっては、まことに目障りなものが出来たと、警戒されているらしい気配であった。謂わゆる戦中世代は伸びさかりなのに、ボスの吉田精一を囲む薹の立った先輩たちを、鬱陶しく頭上に戴いて苦労してきたのに、今度は知らぬ間に若ェ者が結集して下から脅かしてくるとは何事か。この調子で行くと近代文学をネタに一稼ぎ出来るのは何時の頃やら。この当時から近代文学は利権となって、いちおう論文らしいものを書くのは、マーケットへの参加を可能にする儀式となった。(pp.62~63)

(岩波の)『文学』の編集部から、はじめて私に論文の依頼があった。それも通常は三十枚が制限であるところ、今回は特に力作を期待しているので、七十枚か或いはそれを少し越す程度でも宜しい、という思いもかけぬ破格の処遇である。(中略)
 こうして書きあげた論文を、漸く届けたその直後に、たちまち障害が現われて、掲載は暫く保留となった。論を進めてゆく途中で、当時やかましかった近代的自我の問題に言及し、それに関連する学説史的検討の一環として、京都大学人文科学研究所の飛鳥井雅道が記した一節を批判してのだが、その短い部分が大きな問題として、騒ぎの種になったのである。編集部はかなり強硬な節度で説明した。飛鳥井雅道氏は桑原武夫先生が特に目をかけておられる大切なお弟子さんである。そういう立場にある人の説に、たとえ僅かでも難癖をつけている論文を、岩波書店としては、絶対に採用できない。この件りだけ削除するという、僅かな措置さえとれば、他には何も問題はないのだから、直ちに掲載の運びとします。
(中略)私は削除を拒否して原稿を引き取った。ちょっといい気分になっていたかもしれない。とにかく今後はどんな仔細な事であっても、京都大学の力を決して借りないぞ、と心中ひそかに決意した。はるか後年、京都大学文学部国文科の非常勤講師に呼ばれた時も、この指名は、私立大学出身の私にとってはありえない筈の、世にも珍しい栄誉と心得るべきなのだが、即座に辞退するという、当事者への非礼を敢てした。(pp.110~111)

※画像は関西大学
〈To be continued.〉
(unvollkommen)