すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

芋掘り体験で泣いた日のこと。

2014-11-06 17:09:03 | 日記・できごと
スーパーで見つけたでっぷりしたさつまいも。

週末には、親子3人で初めてスイートポテトを作った。粒つぶが残った垢抜けない味でも、息子は大満足で、

「また、作って~」

と満面の笑み。

手作りのおやつってめったに作らないけれど、こんなに喜んでもらったら、また作ろうか、って気になる。

残ったさつまいもでとりあえず煮物を作って、お弁当に。



そもそも、ベネッセの子どもチャレンジのテキストに出てきたサツマイモのページに釘付になった息子が、

「芋掘りをやりたーい」

「さつまいものおやつ食べたーい」

と言い出したのが、ことの発端だった。

そろそろベネッセやめようかな、と思っても中々やめられないのは、息子が時々こうやってベネッセの教材や付録に異様に食いつくからだ。

ちなみに芋掘りの方は、まだ実現していない。都会ではイチゴ狩りより、意外に難しいのが芋掘りだったりする。田舎の秋には、日常なんだろうにね。


芋掘りといえば、
昔、記者をしていた頃のことを思い出す。

田舎町の議員が選挙違反で逮捕された事件を取材した日のこと。

議員の家を訪ねると、人の良さそうな田舎のおばさんが出てきた。イメージしていた議員の奥さんとは、程遠かった。

取材の理由を告げると、おばさんの表情は少し曇った。でも、

「じいさんは、なんでも人にあげたい人で、バカだよ」

というと、すぐに柔らかな表情になった。

それからどんなやりとりがあったかは覚えてないけれど、おばさんがせっかくこんな田舎町まで来てくれた若い女性記者の私に珍しい体験をさせてくれるという。

連れて行かれたのは、おばさん所有の畑。おばさんはトラクターに乗り込んで畑を耕しながら、私に芋掘りの指南をした。土の中に手を入れると、さつまいものでっぷりした感触。なんか、懐かしいような不思議な感じがした。

私が楽しそうに芋掘りに夢中になると、日によく焼けたおばさんの顔はほころんで、すごく嬉しそうだった。

暗くなってきた頃、おばさんは掘ったさつまいもをビニール袋に入れて私に手渡すと、今度は自宅へと導いた。

私を玄関に待たせて、中に入ったと思ったら、しばらくして何か袋に入ったものを手に持っていた。覗くと、栗やさつまいものたっぷり入ったおこわだった。お店でも売ってないような、具のたっぷり入った美味しそうなおこわ。

私に持っていけと言うので、もらえないと返すと、おばさんは優しい笑顔で言った。

「あんた、一人暮らしなんやろ。うちにはいっぱいあるから遠慮しないで食べて。今度は、ツレも一緒にくるといいわ」

記者として、こういう時の身の処し方の正解はわからなかったけれど、1人の人間としては気持ちよくいただくのが筋だと思った。


帰り道の車の中で、私はいっぱい泣いた。恥ずかしくて泣いた。議員を逮捕した捜査官が「終わったから、さあ、ゴルフいくぞー」とほくそ笑んだのすら許せない気持ちになった。もちろん自分のことが一番許せなかった。

丸腰のおばさんに、私はいかつい名刺を出して、正義の人みたいな顔した。

そんな私から逃げてもいいはずなのに、おばさんは、おそらく誰にでもするように、手厚くもてなしてくれた。

もちろん、
「じいさんのこと、悪く書かないで」とか、
「じいさんは悪くないんだ」の言い訳もなかった。

そこには、マスコミ人の私への媚びも恐れも微塵も感じない。

ああいう人に、正義を説くことのおろかしさ。本当の正義なんて知らない私の未熟さと、若さ。


そんな積み重ねで、記者の仕事は三年半でやめてしまった。合わなかった、とか、イヤな世界を見たくない、とか、そんなかっこいい理由じゃない。

いろんなことを、キチンと飲み下せず、自分にも仕事にも厳しすぎた。バランスが悪すぎた。ダメな自分をダメと認めることすら苦しかった。

でも、今は、あの仕事をして良かったとつくづく思う。

他の仕事をしていたら感じなかったことをたくさん感じて、悩まなかったことを吐きそうになるほど悩んだ。

あの日々は、今の私にはなくてはならない日々なんだ。




さつまいもで、あの大きくて、あったかいおばさんを思い出した。息子に感謝だね。



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