すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

手帳のはなし。

2015-02-20 11:44:54 | 日記・できごと
そろそろ、今年度も残り一月余り。四月を前に、わたくしが購入したのがこちら。



手帳です。

私の手帳は、大学を卒業して以来、ずっと四月始まりなんです。

が、この四月始まりは、下の記事によると、かなりの少数派みたいですね。知りませんでした。

4月はじまりの手帳を使っているのはどんな人たち?

ちなみに割合としては、

1月始まり 85%
4月始まり 15%


だとか。どうりで、この時期に本屋さんや雑貨屋さんを覗いても、四月始まりの手帳の品揃えが少ないわけですね。


思えば、社会人になった春に買ったのは、レザー貼りのシステム手帳。キャメル色でした。当時は、システム手帳がはやっていた記憶があります。

分厚くて、重みのある手帳が、キャリアウーマンとして生きていくんだ、という22歳だった私の決意表明の象徴でもありました。うーん、いじらしい。

でも、三年くらい使って買い替えましたね。やっぱり重かった。

それから、段々と手帳は薄くなり、システム手帳から一年毎の手帳へと仕様も変化。

年齢や環境や気分。手帳の変化は、自分のそんな変化とも重なっています。

ここ数年は、冒頭写真の超薄型手帳。「手帳は高橋」でお馴染みの高橋書店でおそらく一番安いシリーズ、リベルデュオです。税抜き600円也。

マンスリーとメモのみ、というシンプルさと軽さ、カラーバリエーションの豊富さも気に入ってます。スマホもあるし、今はこれで十分。

今年の色は、「ローズグレイ」。グレイの色味は感じられない、淡いピンクで、とっても上品。

さあ、新しい手帳で、気分あげていくぞ!




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テニス熱でWOWOW加入。

2015-02-11 21:54:38 | 日記・できごと
体調・気分ともに調子を落とした1月下旬。この私の体内を大量のアドレナリンで満たしたのがこの人です。


全豪テニスで錦織選手が闘った4試合、ぜーんぶライブ中継で見ました。何年ぶりだろう、テレビで真剣にテニスを見たのって。エドバーグ、ベッカーが活躍していた頃以来ですよ。

錦織選手のこのところのめざましい活躍も、実はニュースで見る程度でしかなかったのですが(こんな記事を書いたくせに‥‥)、今回はNHKがライブ中継を決定、しかも主婦には好都合な時間帯の放映でしたからね、もう見るしかないでしょ、って感じで。

テレビの前で力が入りすぎて過呼吸になりそうだった初戦から、惨敗して思わず号泣した準々決勝までの一週間あまり。私、錦織選手の試合を見るためだけに生きてたなー(笑)。

他のこと、息子のことも、ダンナのことも、仕事の事も上の空でした。

たったひとりでコートに立って、観客の数と熱気はすごくて、恐ろしいレベルの期待を背負って、しかもあんなに長い時間闘える人間の心の中ってどうなってるんだろーって興味も湧いたりして。

一対一のスポーツの過酷さって、メンタルの強さが最後モノをいうところ。見る側は、当然錦織選手を応援はするんですが、相手方の外国人選手からシビレるようなプレーが出た時には、素直に拍手を送りたい心境になります。敵だけど、深いところでは味方というか、同志みたいな雰囲気がいいんですよね。

あと、打った球がネットにかかって自分の得点になった時には手を挙げて相手に「ゴメン」をするマナーがありますが、これがね~、テニスど素人の私には壁ドンばりのインパクトで、「めっちゃかっこえー」ですよ。

まあ、ただのにわかファン、かつミーハーなんですが、この全豪オープンをきっかけに、私、テニスのお勉強をネットでいっぱいしました。男子の世界ランキングトップ10までの選手や国は大体頭に入れましたし、YouTubeで錦織選手の過去の四大大会の試合もかなりの本数を視聴しました。

で、はい、こうなったら四大大会だけじゃなくて錦織選手の他のツアー大会も見よう!と一人で盛り上がってしまい、WOWOWに加入することに相成りました!

錦織効果でにわか?テニスファンが増殖中のようで、WOWOWは現在加入者がうなぎ登りとか。私もそのうなぎの一匹になってネットで申し込んだわけですが、数分で受信できちゃう、あまりの手軽さにびっくり。(昔は、チューナーが必要でしたよね?!)

おまけに、

・加入月は無料。
・解約も手数料なしで月末までに電話一本でOK。
・加入&解約&再加入が楽チン。

私は、テニスをやるときだけ加入するペースでいこうかなと思います。

WOWOW加入後一発目のテニス中継は、2/15(日)、2/16(月)の「男子ATPツアーメンフィス」。錦織選手の三連覇がかかっている大会です。時差が二時間だった全豪と違って、番組始まるのがなんと朝の4時台。大丈夫か、私!寝過ごしたら、笑うに笑えませんよねー。何のためにWOWOW入ったんでしたっけって。


余談1
冒頭のnumberの雑誌、通ってる歯科に置いてあるんですが、この歯科、完全予約制で待ち時間がほとんどないから、読みたいのに読めない(^_^;)買おうかな。

余談2
「ねぇ、テニス習わない?お母さんと一緒にどう?」と息子を誘ったら、速攻「やらなーい」が返って来ました。息子を錦織圭みたいに…の夢は早々と破れました。(^_^;)




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「武田双雲が好きなんだー」って言うと。

2015-01-10 21:48:50 | 日記・できごと
最近、「武田双雲が好きなんだー」なんてことを口にすると、結構な割合で否定的な言葉が返ってくるのに気づいた。

もちろん、「私も好き」とか「あの人家族をすごく大切にするらしいね」なんて共感トーンでくる人も多いけど、それとおなじくらいは「でもさー」と言う感じのニュアンスの返答が返ってくる。

へえ、あんな雲ひとつない青空みたいな人(かどうかは実際にはわからないけれで、まあブログや本を読んでいたら、大方の人となりはわかる)に、悪口の材料なんてあるの?と私などは思ってしまうけれど、否定側の言い分を聞いていると、確かに双雲さん、突っ込みどころ満載の人?とも言えなくない。

これが、浅田真央ちゃんやイチローを好きと言っても、「みんな好きだもんね」的なフツーの反応しか返ってこない。

日本人が大好きなこのお二人は、その卓越した才能だけでなく超人的な努力の人であり、横道それず、逃げ道を作らず、その道一筋に生きている、隙のない人たち。

だから、ケチがつけられない。才能も努力もどうやっても真似できない凡人には突っ込むことができない。

双雲さんは、書道家というよりむしろ書道をツールにした芸術家ともいわれるほど、そのスタイルが独特で、斬新な活動を展開しているお人。

おまけに書道家にとどまらず自己啓発系の書籍まで出版してそれがベストセラーに堂々と名を連ねちゃってる。書道の世界よりも、こちらの世界の人として彼を知っている人も多い。手広く器用にやってる感じが邪道に見えるのかな。ショートカットして成功しているように見えるのかな。まあ、つまり、やり玉に挙げられやすいのだ。

「正統派の人たちからすると『あれは書道じゃない』っていうのがもっぱらの評判だよ」

「実際に会った人に話しを聞いたことがあるんだけど、イメージと違って結構生意気らしいよ」

こんな言われ方をする。双雲さんが突っ込みやすいキャラとは言え、こう言われると私的には正直モヤモヤっとする。

若い頃に、好きなアーティストや作家のことを誰かに悪く言われると、ものすごく腹が立ったし傷ついたものだ。その人がどんなに素晴らしい人かを相手にわからせたくて躍起になったし(でもそれは逆効果だったけどね)、その悪口が実は本当なのではと自分にも好きなアーティストにも疑いの気持ちが芽生えて苦しくもなった。だから、好きな人の中でも一般受けしそうな人は口にしても、アンチも多そうな人は隠したりしたっけ。

今はそういう次元からはすっかり卒業して、好きな人は好きとだいぶ公言できるようになった。共感してもらえなくても、「私は嫌いなんだー」って言われても、あっそー、ってほとんど何も感じなくなった。

ただ、「私は嫌い」というその人の趣味を表明する言い方ではなく、「世間では」「誰々が言うところによると」的な、「私は」を横に置いた婉曲的な否定の言い方には、いまでも多少ひっかかる。嫌な感じー、と思う。


多分、それは、その嫌な感じが、その人の隠しているもの、見ないようにしているもの、埋もれたコンプレックスから来ているというのがわかるからだ。

まあ、私によくない感情を持っていて、あるいは逆で、双雲さんに関係なく、私の「好き」にケチをつけたいか、たんなる嫉妬というのもあるのだろうけど、評価の二分しがちな双雲さんは殺したはずのコンプレックスを刺激しやすい上に、その憂さ晴らしにも格好な材料なのかもしれない。

その人が自覚しない、自分にも認めないコンプレックスというものは、抑えつけられるはずもなく、言葉にはできない「嫌な感じ」として立ち現れる。少なくとも、私はそうキャッチする。

コンプレックスも、その所有者がきちんと認めているものは悪さをしない。そういう人のコンプレックスは、可愛らしくさえ映る。

例えば、私が「綾野剛、かっこいい」「イチロー天才」とか言って騒ぐと夫が面白くない顔をしたり、彼らをけなしたりする。一瞬、ムカッときても、夫が素直に「そうだよ。これはかっこいい人への嫉妬なの」なんて素直に言うと、嫌な感じーとはならない。あらま、かわいいじゃん、となるのだ。

半殺しにされたコンプレックスは、かわいくなくてたちが悪いのですよ、ほんと。



えっと何書いてたんだっけ。

あっ、そうそう、人が「いい」とか「好き」とかいうものに、嫌な感じーの否定はやめてくださーいってことだ。

もしそうくるなら、私は怒りはしないかわりに、好きな人を否定された仕返しとして、その「嫌な感じ」の分析してしまう作戦にでるぞ。そうすると、自分のモヤモヤが薄れるからね。

こじつけだけれど、コンプレックスについて解説した本は河合隼雄さんのこの本が秀逸。是非ご一読あれ。








さて、2015年は…。

2015-01-02 22:08:10 | 日記・できごと
あけましておめでとうございます*\(^o^)/*

細々と、途切れ途切れに続けてきたこのブログも、どうやら今年で10年を迎えるようです。(と、他人事…)

放置気味だったブログなので感慨はほぼありませんが、去年の大事件からは、今までよりはるかに多数の方々に訪問していただき、コメントも残していただけるようになりました。

遅まきながら徐々に自分のブログに愛着がわいてきたところです。

さまざまな素敵なブログを覗きに行くと色々な刺激を受けたり、「私ももっと工夫すべき?」「もうちょい頑張るべき?」なんてことが時々頭を掠めることもありますが、それも毎回長続きせず結局は「まっ、これでいっか」に収まります。

なので、今年ものらりくらり、「自分は自分」という信念を柔らく保ち、自分の道を行こうと思います。

ただし、一つだけ。

何かを続けるコツとして、「好きであること」は最低限必要な要素ですが、「返ってくるものがあること(ブログの場合は、アクセス数やコメントになるのでしょうか)というのもまた、きわめて重要な要素なのだと、みなさんのおかげで改めて思い知りました。

今年は、自分の「好き」と、他者からもたらされる「評価」や「手応え」。このバランスも、どこか頭の隅に置きながらブログを続けていけたら、と思っています。


ブログのこと以外でも、2015年、いくつかの目標をアトランダムに設定してみました。


「仕事は少し稼ぐ意識を上げる」

「会いたい人には会いに行く」

「行きたいところには行ってみる」

「言いたいことを言う。やりたくないことはやらない」

「でも、その反作用としての、【怒られること】も覚悟する」


「嫌いな人間はしっかり嫌って線を引く」

「その上で、その人たちの言葉を、否定せず、自分にも影響させず、ただ【ふうん。そっか~】と聞いてみる」



あと、こんなのも。

「スカートを時々はく」

「アクセサリーを買う」

「ビビッドな色の服を着る」




そして、究極のタブーにも挑戦!


「夫を(息子以上に)大切にする」



以上です。


やっぱり、最後のが一番難しそう(^_^;)

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

N700系からの富士山


今が幸せなら。

2014-12-30 15:24:10 | 日記・できごと
photo by pakutaso.com


かつて、二十代の頃に記者の仕事をしていた街を、夫と息子と三人で初めて歩いた。

記者の先輩後輩であり、言うなればライバルだった夫と私は、この街を仲良く歩いた記憶などない。

少なくとも、私の方は、この街にいた頃、いつも緊張していた。青白い顔をして、やせっぽっちで、身体のどこかにいつも力が入っていた。

夫は、私よりもずっとタフで、記者向きだったけれど、でもそんな夫でも新卒後の初任地の生活は交感神経ばかりを酷使する日々だったはずだ。

それが今は、息子を挟んで、二人とも、どこにでもいる、少々くたびれたお父さんとお母さんの顔をして、かつて必死にあがいた街を、ダラダラと歩いている。

二人で一緒に入ったことはないけれど、それぞれで入ったことのあるお店で昼食をとったり、詰めていた記者クラブのあった警察署の前を通りかかってもみた。

なくなった店もあれば、当時のままの店もある。

懐かしい味や、街ゆく人の訛り言葉に夫のテンションがにわかに上がる。



私は…


うーん、なんでだろう。

感傷に浸ることがちっともできない。拍子抜けするくらいに、何にも感じない。

過去の、悲しい、辛い出来事の、感情の部分がまるで今の自分とは切り離されてしまったみたいだ。

あれほど、神経を削り、強い記憶の数々を心に刻んだ街なのに、今は、ただ過去に住んだことのある街という以上の意味を私に強いてこない。

記者をやめて二、三度一人で訪れたことはあった。その時は、懐かしさと、ヒリヒリするような痛みを感じたような気がするのだけど。

それからさらに10年位たったかな。

時間による、記憶と感情の風化のせい、とも言えるけれど、もう一つ確実なこと。

それは、今の私が、とても幸せなのだということ。

幸せというのは、こんなにも人間を鈍くするものなんだ。

裏返せば、今が幸せであればあるだけ、過去の痛みは、どうでもよくなってしまうものなのかもしれない。

かつての職場の先輩である夫と歩くことで、過去の何かを清算できるのでは、なんて密かに楽しみにしていたけれど、そんな必要も全くなかった。すでに清算は終わっていた。

人は、今しか生きられない生き物なんだ。そして、今が幸せなら過去も幸せになる。

過去に何かひっかかる感情が残っているなら、過去をいじくり回す必要もない。今の幸せを十分味わうことで、自ずと解決されてしまうものだったりするってことなんだ。





一緒にいるだけでいい、そんな友だち。

2014-12-28 11:27:05 | 日記・できごと
帰省中です。

大学時代の親友と、5年ぶりくらいに再会。彼女のおうちを、息子と2人で訪ねました。

私の昔からの友だちには、プチマイノリティーというか、世間的にはさまざまな負い目や障壁を持っている人、心理的葛藤を抱えている人が結構多いのですが、彼女は異例。

20代後半で大学時代の先輩と結婚して、早々と2人の子どもを設けた彼女。今は、好きな仕事をしながら、「ほったらかし」という愛情を子どもたちに注いでいます。

4歳のうちの息子を見て「かわいい。なつかしいな」と目を細めながらも、決して「こんなときが一番いいよ」なんてことも言わない。

大きくなった自分の子ども達との「今」の関係を素直に楽しんでいるのがわかります。

彼女の人生、結婚生活に、それなりに波風がたった時期はあるのですが、それらはすべて彼女をぶっ壊すレベルのものでもなかった。すべてがちゃんと、もとあった彼女の人生の定位置に、より良いものになって戻っていきました。


今年は、なぜかそんな彼女に会いたくなって、彼女との再会の約束を取り付けたのでした。

大学時代は親友だったのに、しばらくは彼女との付き合いに積極的ではなかった自分に気付きました。

彼女の安定感と、力の抜けた感じが、私にはしっくりとこなかったということかもしれません。

それが、やっと、しっくり来るレベルまでに、私が安定し、脱力したのだということかな。いわば、私が彼女に少しだけ追いついたということなのでしょう。


5年ぶりに会ったというのに、お互いの近況報告はものすごく簡潔で、子どもたちが盛り上がるゲームの話をしたり、愛犬の話をしたり、出してもらったおやつの話で盛り上がったり。

もちろん、お互い何かを隠していたり、遠慮している、という感じでもない。

ただ、目の前にあるものを話題にして、ただ一緒に時間を過ごすというだけでした。こんな時間を友だちと過ごす自分に、それが平気になっている自分に、ただただ驚くばかりでした。

友だちの愚痴を聞く。友だちの悩みを聞く。友だちにいい時間だったと満足してもらう。そして、相手に見合うように、自分の愚痴も言う。

いつもいつもではないけれど、友だちと会うのに、私にはそんな理由が必要なのだと思い込んでいたのかもしれません。無意識に。

疲れるはずですよね。身構えるはずですよね。こんな理由が必要だと思っていたら。


彼女のおうちを後にして、一緒にいるだけで心地よい関係というものがあるのだなあ、ということにしみじみ思いを馳せました。彼女は私にとって、そういう友だちだったのです。

彼女の前ではただ、自分が楽しめば、それだけでよかった。友だちを満足させようとする必要なんて、偽悪的に振舞う必要なんて、なかったのです。


共通の話題とか趣味とか、似通った境遇とか、そんなものを必ずしも必要としない、心の同調作用によってつながる関係、その安らぎ。

今の私が、強く彼女に会いたくなったのは、そんなことを確かめたかったからなのだな、と思ったりしています。

photo by pakutaso.com



その人が本当に言いたいこと。

2014-12-08 13:44:00 | 日記・できごと
最近、仕事やら何やらバタバタしてしまい、ブログの更新がとどこおっていました。

そんなさなか、自分のトラウマ?恐れ?を刺激する出来事に遭遇し、果てしないエネルギーを注ぎ、やっと軟着陸したところです。

今日は、その出来事についてすこし脚色して書きたいと思います。(なので、前回の記事の続きはまた後日)

photo by pakutaso.com


仕事の関係で、面識のないBさんから速達で長文の手紙を受け取りました。内容は私の仕事のパートナーAさんの仕事ぶりについての非難。BさんはAさんの仕事の前任者です。

Bさんは、私にそのAさんを「なんとか説得して仕事のやり方を変えさせるべき」「あなたの考えが聞きたい」とパートナーとしての責任を追及しています。丁寧な言葉遣いではありますが、私は恐怖を感じました。

Aさんは、自由な心の持ち主で、制限のない、安心、大丈夫ベースで生きている人。仕事も自由な発想で進め、誰にダメだしされても全くぶれないタイプです。いつも、楽しそうに、他人を上手に巻きこみながら仕事をしています。

私は、Aさんの考え方に共感しているので彼女のやり方を全面支持する姿勢を鮮明にしています。

Bさんについての知識はほとんどありませんが、Aさんを非難する手紙の文面を見たところ、Aさんとは真逆のタイプなのでしょう。

人間関係の構図はこんな感じですが、私が恐怖を感じたのは、内容よりも、速達の手紙のその「長さ」、「面識のない人間に手紙」を送りつけるという行為、【疑問】【不安】という「マイナスな言葉」がたくさん散りばめられた、そのなんともいえない、切迫した雰囲気です。

言うことを聞かないと、何かされる?

そんな感じを私に抱かせる何かがあったのです。

Aさんに話したら、あっけらかんと「大丈夫だよ。私という人間を知らないんだなぁって思ったけどね。あなたは、何もしなくても大丈夫よ」と、ほとんど反応せず。

えっ?それだけ?

この雰囲気にほとんど反応しない人と、反応する私。

何が違うんだろう。

Aさんは、人の悪意とか、闇とか、そんなものをハナから受け取らない。だから、Bさんは矛先を変えたのかな。

それを受け取る私に。そう、私は、受け取る。私は人の悪意や闇、特に傷ついている人の心の叫びを受信するのです。

なぜ、受信するのかというと、そういう気持ちをわかってあげよう、わかってあげなくてはと、過剰に思ってしまうから。

援助職の落とし穴でもあるでしょう。仕事を通して、そうした叫びをたくさん、たくさん受信しつづけてきた私が、私生活でもそれをやってしまう。思えば仕事だけでもなく、私の周りの友達には、特に傷ついている人も多かった。そして、彼女たちの力になりたいと思い、一緒に悩んできました。

おそらく私も、なんらかの傷を、悪意を、闇を、人よりも余分に抱えてきた人間なのかもしれません。でも、「もう、それをやめよう」とここ数年は、意図的に違う自分に舵を切ってきたのです。

でも舵を切りすぎた?だから、相手に過剰反応する?あなたは間違っている、と私も相手に無意識で言っている?

ここまできてようやく、これは私の問題でもあると気づいたのです。

逆に舵を切った時、私は、かつての自分を排除したのかもしれない。相手の声を聞いて、聞きすぎて、苦しんだ自分を。そして、もしかして、そうした相手の叫び声すら排除しようとしてしまったのかもしれない。

かつての自分も、自分とは違うタイプの相手も排除しなくていいんだと決めて、もう一度Bさんの手紙を読み直しました。

自然と恐怖が消えて、BさんがAさんの批判を通して言いたい、本当の声が、素直に聞こえました。

お願いだから、私のやり方を認めて欲しい。
お願いだから、私の頑張りを見て欲しい。
お願いだから、私の苦しさをわかってほしい。
お願い、お願い、お願いだから。


そんな、悲痛な叫び声でした。


そして、私の中からは、こんな声が聞こえました。


わかりました。
あなたのやり方、あなたの頑張り、あなたの苦しさは、わかりました。
ただ、わたしは、あなたと同じではないのです。
それだけはお伝えします。
あなたはあなたでいい、わたしはわたしでいい。
わたしはそう思っています。




最初は返事を書くことも躊躇しましたが、その叫び声を受信した人間の務めとして、この思いを、全く違う表現のなかに込めて、短い文章の手紙を返信しました。

送ってみたら、やっと排除した自分の一部が戻ってきたようで、少し気持ちが楽になりました。

相手には、届いたのか、届いてないのか。

それは、もう、どちらでもいいや。



かつて、多くの人が私に言いました。

もう生きていても仕方ない。死にたいんです。

手首を切らないと、辛い気持ちをやり過ごせないんです。

あの人のこと、殺してやりたいくらい嫌いなんです。



身の毛もよだつような言葉を、かつての私は、援助者として「なんとかしてあげたい」という緊張のスタンスで聞いていました。今の私なら、相手が本当に言いたいことをただ「わかったよ」と、もう少し落ち着いた気持ちで聞ける気がします。






芋掘り体験で泣いた日のこと。

2014-11-06 17:09:03 | 日記・できごと
スーパーで見つけたでっぷりしたさつまいも。

週末には、親子3人で初めてスイートポテトを作った。粒つぶが残った垢抜けない味でも、息子は大満足で、

「また、作って~」

と満面の笑み。

手作りのおやつってめったに作らないけれど、こんなに喜んでもらったら、また作ろうか、って気になる。

残ったさつまいもでとりあえず煮物を作って、お弁当に。



そもそも、ベネッセの子どもチャレンジのテキストに出てきたサツマイモのページに釘付になった息子が、

「芋掘りをやりたーい」

「さつまいものおやつ食べたーい」

と言い出したのが、ことの発端だった。

そろそろベネッセやめようかな、と思っても中々やめられないのは、息子が時々こうやってベネッセの教材や付録に異様に食いつくからだ。

ちなみに芋掘りの方は、まだ実現していない。都会ではイチゴ狩りより、意外に難しいのが芋掘りだったりする。田舎の秋には、日常なんだろうにね。


芋掘りといえば、
昔、記者をしていた頃のことを思い出す。

田舎町の議員が選挙違反で逮捕された事件を取材した日のこと。

議員の家を訪ねると、人の良さそうな田舎のおばさんが出てきた。イメージしていた議員の奥さんとは、程遠かった。

取材の理由を告げると、おばさんの表情は少し曇った。でも、

「じいさんは、なんでも人にあげたい人で、バカだよ」

というと、すぐに柔らかな表情になった。

それからどんなやりとりがあったかは覚えてないけれど、おばさんがせっかくこんな田舎町まで来てくれた若い女性記者の私に珍しい体験をさせてくれるという。

連れて行かれたのは、おばさん所有の畑。おばさんはトラクターに乗り込んで畑を耕しながら、私に芋掘りの指南をした。土の中に手を入れると、さつまいものでっぷりした感触。なんか、懐かしいような不思議な感じがした。

私が楽しそうに芋掘りに夢中になると、日によく焼けたおばさんの顔はほころんで、すごく嬉しそうだった。

暗くなってきた頃、おばさんは掘ったさつまいもをビニール袋に入れて私に手渡すと、今度は自宅へと導いた。

私を玄関に待たせて、中に入ったと思ったら、しばらくして何か袋に入ったものを手に持っていた。覗くと、栗やさつまいものたっぷり入ったおこわだった。お店でも売ってないような、具のたっぷり入った美味しそうなおこわ。

私に持っていけと言うので、もらえないと返すと、おばさんは優しい笑顔で言った。

「あんた、一人暮らしなんやろ。うちにはいっぱいあるから遠慮しないで食べて。今度は、ツレも一緒にくるといいわ」

記者として、こういう時の身の処し方の正解はわからなかったけれど、1人の人間としては気持ちよくいただくのが筋だと思った。


帰り道の車の中で、私はいっぱい泣いた。恥ずかしくて泣いた。議員を逮捕した捜査官が「終わったから、さあ、ゴルフいくぞー」とほくそ笑んだのすら許せない気持ちになった。もちろん自分のことが一番許せなかった。

丸腰のおばさんに、私はいかつい名刺を出して、正義の人みたいな顔した。

そんな私から逃げてもいいはずなのに、おばさんは、おそらく誰にでもするように、手厚くもてなしてくれた。

もちろん、
「じいさんのこと、悪く書かないで」とか、
「じいさんは悪くないんだ」の言い訳もなかった。

そこには、マスコミ人の私への媚びも恐れも微塵も感じない。

ああいう人に、正義を説くことのおろかしさ。本当の正義なんて知らない私の未熟さと、若さ。


そんな積み重ねで、記者の仕事は三年半でやめてしまった。合わなかった、とか、イヤな世界を見たくない、とか、そんなかっこいい理由じゃない。

いろんなことを、キチンと飲み下せず、自分にも仕事にも厳しすぎた。バランスが悪すぎた。ダメな自分をダメと認めることすら苦しかった。

でも、今は、あの仕事をして良かったとつくづく思う。

他の仕事をしていたら感じなかったことをたくさん感じて、悩まなかったことを吐きそうになるほど悩んだ。

あの日々は、今の私にはなくてはならない日々なんだ。




さつまいもで、あの大きくて、あったかいおばさんを思い出した。息子に感謝だね。



巣立ちを見届ける時の思い。

2014-10-15 16:57:38 | 日記・できごと
相手が誰であっても対等でありたい、年下であろうと対等を心がけている、そんな思いが強くありました。

でも、ぜーんぶ、思い込み。「対等でありたい」と意識する時点で、対等にはできない自分がいるということです。

それを証明する出来事と遭遇して驚きました。出来事よりも、その出来事に対して抱いた感情に自分でびっくりしたというのが正しいようです。




ある出来事とは・・・



その友人は、引っ越してきて間もない人でした。仕事を通して知り合った彼女、控えめで穏やかで、人懐こく、私はすぐに好感を持ちました。

彼女の役に立てる手ごたえが嬉しくて、地域の情報を伝え、仕事の相談にも乗り、家にも呼び、また彼女の家にも行き、仲間づくりにも協力する。

元々人助けが嫌いではないから、いつになく頑張った節があります。

友人は、その好意を気持ちよく受け取ってくれ、感謝もしてくれ、かつ私の領域に勝手に土足で踏み込まない、という見事なバランス感覚を持った人です。

いつしか、私の中に、彼女がこの地域で生きるための窓口は、私しかいないという使命感、頼られているという重圧を含んだ優越感が出来上っていたのかもしれません。

でも、使命感、重圧って、字の通り少し苦しいものなんです。自由ではない、無理のある感じ。

それを守るために犠牲になるものがあるんです。

つまり、自由でいたい自分、無理しない自分。他の友人とランチした話をするときに軽く生じる罪悪感、友人の都合を考えながら誘う、誘わないを決めるわずらわしさ。

私は、そもそも一人も大好きだし、固定の人とだけ閉鎖的に付き合う関係も苦手。

もう少し距離があってもいいかな。

もちろん、その友人が私の行動を制限するわけではないので、私が勝手に、言葉にするとこんな感じのことをうっすらと感じていたのでしょう。


そんな時、彼女が、私も知っている知人を自宅に招いたことを私にポロっと話したのです。

買い物先で偶然顔を合わせたので、「今日何してた~?」と気軽に聞く私に、彼女の口ぶりは少し気まずそうなものを含んでいました。「○○さんが来てました」。

私は、「そっか」と軽く受け流し、根掘り葉掘り聞くわけでもなく笑顔を浮かべながら彼女と別れました。すると、後から後からなんとも形容しがたい感情が湧き出てきたのです。

悲しさや嫉妬、であることは認められます。

自分だけが誘われなかったのが悲しい。
自分には声がかからなくて嫉妬した。

ここまでは自分の心の動きがわかるし、そんな自分を認めるけれど、この感情の勢いからすると、その先にもう少し根深いものがある予感がしたのです。

他の友人から、そんな話をされても別になんとも思わない。嫉妬や悲しさをわずかに感じても、すぐに忘れるレベルです。

自分の中に渦巻く感情の意味がわからず、しばらくはもてあましました。

ただ、「彼女は悪くない」ということだけは、わかっていました。


やがて、ふっとしたときに気づきを得ました。



ああ、そうか。

これは、私が助けてあげなきゃと思って助けてあげてた人が、私がいないと困ってしまうだろうと思ってきた人が、自分の力で立てるようになるのがわかって、自分の力で新しい関係を作っていける姿を目の当たりにして、そうやって自分から巣立つときに、私の中に生じた悲しみなんだ。

私はもう要らないと言われたような気にさせられた悲しさなんだ。


私にも、そんな傲慢な意識、人を弱者にする意識があるんだということです。ただ、そんな自分を否定せず、そんな部分も認めて、嫉妬や悲しみの感情にも蓋をしないでしばらくいたら、やがてスッキリとした気持ちになりました。

友人の方が、どういう心境だったのかはわかりません。

私の、不自由さとわずらわしさを無意識で感じとって遠慮したのかもしれないし、巣立ちの儀式として私を排除したのかもしれない。私と同じように、色々な人と色々な形でつながりなかったのかもしれません。


この出来事を経て、やっと、私と彼女は対等になったということです。

少なくとも私の意識の中で、彼女は常に助けを必要とする人ではなくなった。私が常に気にかけないといけない人でもなくなった。最初から、もちろん対等だっんですが、こうした気付きがあるということは、私は彼女を対等に見ていなかったということです。

ただ、今思うのは、私のなかにあった使命感や優越感は、もしかしてあのときの私と友人には必要で心地の良いものだったのかもしれない。時間の経過の中で本来の自分が少しずつ顔を出して、お互いの心の中にも新しい変化が起きた。そして、その関係のあり方がもう用無しになったということ。

これからは、助けられるばかりでも助けるばかりでもない対等の関係が始まるのだと思います。実際に、もう始まっています。




息子が巣立つときも、きっと同じような感情を味わうのでしょう。もちろん、もっと強烈なやつでしょうけどね。

今回のことがあったので思うんですが、息子の巣立ちには母の無意識の願望もつながっています。

ずっと子供をそばに置いておきたい、自分が守ってあげたいという意識がすべてではありません。子育てから自由になりたい、わずらさしさから解放されたい、という本心が母の中にも必ずあるのです。むしろ生き物的には、そちらが本物かもしれません。そして、それを察知する子供が、自ずと自立に向かう。

だから、子供の巣立ちの時空っぽになる自分、置いていかれる自分、役に立たない自分をイメージして怖れる必要はない。親離れ子離れを焦る必要もない。

実際の巣立ちの時、たとえ一時的にそういう心境にはなっても、そうした母としてのエゴ的な悲しみを十分に味わったら、本当の自分が夢見ていた底知れぬ開放感と自由を手に入れることができるのかもしません。

そして、巣立ちを迎えた息子とだって、新しい、対等の関係が始まる。そう信じています。








金魚、絶対絶命。

2014-10-08 18:10:31 | 日記・できごと
この子たちが、我が家に来てからたったの1週間。


同じ日に、7匹のうち3匹が天に召されました。
残っているのは4匹。

ちなみに、息子は金魚の死を悼むのではなく、引き算を練習するネタにしています(^_^;)

「7引く3だから4だ。4匹。正解?」

「正解!」と言うと得意満面の息子の隣で意気消沈なのは、夫です。金魚担当を自任しています。

原因は、えさのやりすぎ。おそらく。

安い大粒のエサを与えても食べないので、夫は新しいエサを買いに走りさっそく与えました。

食べる食べる金魚たち。

安いエサのせいで空腹だったお腹を満たすのに必死な様子。

嬉しくなった夫は、ひもじそうな金魚を見てられなくて、ついついまた与える。

惨事は翌日でした。

濁った水槽の中に、死んでる一匹と息絶え絶えのもう一匹。

発見した私が勤務中の夫にメールで伝えると、ショックで声の小さい夫から昼休みに緊急電話。
夜中のうちに、既に別の一匹が絶命したんだとか。

「あのさ、この水まずいよね。エサのやりすぎで濁ってる」

私が言うと、夫は答えます。

「だって、水の交換は一ヶ月置きっで、ネットで見たから」

いやいや、そんなこと言ってる場合?
この濁り方、尋常じゃないんだけど。

「でも、ネットに‥」

まだ言うか、という感じでしたが、息絶え絶え君が絶命したと再びメールすると、夫もようやく目が覚めたようです。

仕事帰りにポンプを購入して帰り、深夜の水交換作戦です。

水は綺麗になり、残りの4匹は息を吹き返したように元気になりました。夫からは、ようやく笑みが。

仕事中、私からメールがあるたび、金魚に何かあったのでは、とドキドキしてたそうな。

三匹の金魚たちの命と引き換えに、私たちが学んだこと。


エサは足りないくらいでちょうどいい。

関心もほどほどくらいがいいのでは。

ここぞの時は既成の知識は捨てちまおう。


生き物を飼うのって、なかなか奥深いです。