裁判員裁判で死刑の判決。
こういう重罪重刑の審理を裁判員に求めるのことの是非がそもそも疑問ではあるが、それに参加させられた人の顔写真を公開するというのはどういう神経なのかよくわからない。
重罪裁判員はわざわざこしらえられた三番目の悲嘆者である。
第三者から当事者に引きずり込まれてしまった三番目の悲嘆者を、さらしものにすることはないだろう。
公表は本人の意思のもとに行いましたと言わなくてもわかっているが、その意思がどういう手管で作り上げられるのかは公表されないから、それを知る者は少ない。
悲嘆の報道が人道に通ずるなどと、きわめて短絡的な誘導論理をもってなされているのではないかと思う。
ニュージャージーでは、2007年に死刑廃止の法案が成立したという。
その決め手が収監コストの計算によるというに至っては、さすが、と感心するほかない。
終身刑なら年間1人4万ドルですむが、死刑囚だと7万2千ドル、1.8倍の出費になるとのことである。
この差は、再審請求が出たときに備えて、優れた刑務官をつけ、完璧な記録を保持しておかなければならないからだそうである。
囚人の扱いにも格差時代の風が吹いているのだった。
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