一人ひとりがそれぞれに、この世を、あるいは過ぎた世を、どう思おうと構わないと、自由を尊ぶ人は考える。
しかし、そのあたりにも問題がないわけではなさそうである。
千人万人のうちの一人なら、と思っているうちに、奇妙な知識を刷り込まれた人々が寄り集まって、知識の滓のようなものが溜まっていくと、やがてその国にはろくなことが起こらないようになる。
自虐史観という、誰もを幸せにしない世の見方がある。
国営の、あるいは公営の博物館や資料館という名の場所で、立派な建物の中に、自虐史観のもとに企画された偏向展示があったとする。それらは、何かにつけて下向きの、いじけた心根を人々に植えつけ、自分が生まれた国を敵と思うようになっていく。
全国に広がる大きな組織がそれを企画したとなれば、まことに罪深いことである。
○○展という催しでも、常設の展示でも、資料の展示がどのような史観のもとに公開されているのか、表現の自由の裏側にあることを、壁面に掲げられたものと一緒に読み取る努力を惜しむわけにはいかないだろう。
ちなみに、千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館には、相当怪しげな展示物があると聞いている。
施設の名に冠された国立という字は、何を意味するのだろうか。