小分けして売っているヨーグルトの入れものにちょっと変わった形のものがある。
昔からあったヨーグルト瓶を縮めたような形をしている。
あのころは牛乳屋さんが事務所まで毎日やってきて、取り決めどおりの牛乳かヨーグルトかを、机の上に順に配ってくれた。
この部屋の誰は毎日何を飲むか、食べるか、みな頭に入っている。帳面やメモなど見ない。そんなものを見なければできないようではあの商売はやっていられなかったのだろう。
配っている途中で、あ、わたしにも牛乳一本などと臨時の注文が出る。それはそれで待っていてくださいなどとは言わない。臨時の注文の人からはその場で現金を受け取り、定期購入者は月払い。定期の人がもう一本と言ってもその場で金は受け取らない。
品物の扱いも、代金の扱いも、みな記憶と暗算で済ませていた。
それが普通だったから、感心もしなかったが、今考えるとあのおじさんたちはずいぶん頭がよかったのだと思う。
何か催しのときに、メモを読みながらでないと挨拶もできない人が増えたようだが、何でも外部記憶装置頼りの日常生活をしていると、記憶能力はますます衰えていくだろう。
ヨーグルトの瓶の頭の形が話の種のつもりだったのに、人間の頭の働きの話になってしまった。