師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

夏越大祓 春日神社にて

2009年06月30日 | 天意の実践

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大分市内の春日さまにて。

師匠が珍しく、ここへ行こうと言うので、来てみると、

師匠は神さまと待ち合わせ。

アメノコヤネさまが降臨されていると言ったので、しばらくは、

放置。(笑)

呼ばれていたのだ。

その間、敷地内に貼られた結界で、神事が執り行われた。

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大祓詞が唱えられる。

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そして、茅の輪をくぐります。

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茅の輪は地の輪。

地(ワ)の巡りで、アイフヘモヲスシの神が五臓六腑を整える。

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予感 予言 予知 すべては在ることのために

2009年06月29日 | 天意の実践

春頃から、師匠の提案で柞原へお参りして帰る道を変えてみた。

ナビがついてからは、ちょっと、回り道したり、新しくできた道を

通ってみたりしている。

山奥の離合がやっとのところを抜けて、自動車道沿いの新しい

道を走っていると、同じように新しい病院ができていて、その前を

通っていた。

師匠「○○○病院かあ。名前からして、まあたらしいよね。」

その後、何度か、この病院を気にしつつ、前を通っていた。

それが何かがわかるまでー。

病院の前を通って、道を抜け、ふと、知り合いのお店の前を行くと、

お店が無くなっていた。

以前、お店を閉めて、自宅でしようか、などと話していたので、

久しぶりに携帯に電話をしてみたら、病院に入院しているとのこと。

それも、師匠が気にしていた病院に、

丁度、私たちが前を通るようになった頃からー。

とても、勉強家で、入信している宗教団体の出版物だけでなく、

他のスピリチュアルな本にも目を通し、何かを求めていたひとだった。

きもののご縁で知り合い、気がつけば、彼女は求めるものに

囚われていた。

今は、自由な中で、開放されていることだろう。

病気には、それぞれに意義がある。

いつか、その意義が消滅する日まで。

        

師匠は時折、「意味がないことが在る。」と言う。

これも、そのひとつ。

なぜ、それをするのかの、動機が消滅するのだという。

ただ、こちらの道を行く。

選ぶのではなく、行くのだと。

特別なことは何もない。それだけが存在すれば、よいのだろう。

そう。特別なことは何もない。

あなたが在るために、要るものが来る。

それだけのこと。

ありとあらゆる選択し続けた結果、選択すらなくなる。

行く方向だけが、在るのだ。

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6月30日は夏越しの大祓

2009年06月27日 | 天意の実践

神社では、夏祭りとともに行うところもあるが、できれば、この日に

祓えが行えればよいかと、早めに今年は告知してみた。

それで、長い大祓詞もだが、その前にと思い、下に祝詞を掲載した。

060630_14100011

写真は以前掲載した、柞原八幡の茅の輪。

 

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六根清浄大祓(ろっこんしょうじょうおほはらへ)

2009年06月27日 | 神さま通信

天照坐(あまてらします)皇(すめらの)大神(おほみかみ)の

宣(のたま)はく

人(ひと)は即(すなわ)ち天下(あめつち)の

神物(みたまもの)なり

須(すべか)らく静(しず)め謐(しず)まることを

掌(つかさど)りて

心(ここ)の即(すなわ)ち神明(しんめい)の

本主(もとぬし)たり

心神(わがい)を傷(いた)ましむること莫(な)かれ

是(こ)の故(ゆえ)に

目(め)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を見(み)て

心(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を見(み)ず

耳(みみ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を聞(き)いて

心(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を聞(き)かず

鼻(はな)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を嗅(か)いで

心(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を嗅(か)がず

口(ぐち)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を言(い)ひて

心(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を言(い)はず

身(み)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を触(ふ)れ

心(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を触(ふ)れず

意(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を思(おも)ひて

心(こころ)に諸諸(もろもろ)の不浄(ふじょう)を想(おも)はず

是(これ)の時(とき)に清(きよ)く潔(いさぎ)よき偈(こと)あり

諸諸(もろもろ)の法(のり)は影(かげ)と像(かたち)の如(ごと)く

清(きよ)く浄(きよ)よければ仮(かり)にも穢(け)がるることなし

説(こと)を取(と)らば得(う)べからず皆因(みなはな)よりして

業(このみ)とは生(な)る我(わ)が身(み)は即(すなわ)ち

六根清浄(ろっこんしょうじょう)なり

六根清浄(ろっこんしょうじょう)なるが故(ゆえ)に

五臓(ごぞう)の神君安寧(しんくんあんねい)なり

五臓(ごぞう)の神君安寧(しんくんあんねい)なるが故(ゆえ)に

天地(あめつち)の神(かみ)と同根(どうこん)なり

天地(あめつち)の神(かみ)と同根(どうこん)なる故(ゆえ)に

万物(ばんぶつ)の霊(れい)と同根(どうこん)なり

万物(ばんぶつ)の霊(れい)と同根(どうこん)なる故(ゆえ)に

為(な)す所(ところ)願(ねがい)として成就(じょうじゅ)せずと

云(い)ふことなし

無上(むじょう)の霊宝(れいほう)神道(しんとう)加持(かじ) 

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創造の限界 創造の限界を越える

2009年06月26日 | 天意の実践

少し前に、ピアニストの辻井伸行さんが難関のコンクールで一位を

獲得した記事が、新聞やテレビで取り上げられていた。

この辻井さんが、小眼球による全盲と聞いて、師匠に聞いてみると、

やはり、師匠と同じだった。(師匠の右目は正常。)

では、どうやって鍵盤や楽譜を?

師匠「うーん。たいていのピアニストは、暗譜しているし、鍵盤も手が

    覚えていると、思うよ。」

私 「楽譜は?」

師匠「見えていても、聞いて覚えた方が早いってひともいるからね。

    それに、私程度のちょっと習ったくらいでも、アマチュアバンドを

    していた時、楽譜がない楽曲は何度も聞いて覚えたり、採譜を

    したりしてたから、音感とセンスと、それと根性があれば(笑)、

    できるもんだよ。

    逆に、目に頼って半分をカバーする方が、私には苦しい。

    あとは、本人が、何を感じ、創造するか。

    例えば、色彩感があふれている楽曲。荘厳なメロディー。

    ポップだったり、土俗的だったり、軽やかに跳んでいたり。

    それを感じられるかどうか、ってことだね。」

結局、どう感じるかは、自分次第だということだ。

そして、自分なりのやり方を創造していけば、なんとかなるものだ。

方法もそれぞれのやり方で、熱意を持って行うか。

そうだ、高尚な自分でいることに、熱意を持って取り組むこと。

やりたいことには自然と、力が入る。

この思いさえあれば、たいていのことは、なんとかなる。

このなんとかなることを体感していけば、次のレベルがはじまる。

新たな世界だ。

一所懸命は、故・政木先生のの言葉だが、これも、体感の賜物だ。

魂の導きに感謝。

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