瞑想中に、突然、宇佐八幡境内におられる楠木さんからいただく
植物さんたちのネットワークからのビジョンが届いた。
示された映像は、日本の部分。
関東・甲信越・北陸・東海、そして、京都の一部がはっきりと見える。
これは、以前お伝えいただいた、その上空に設置されていた
マをからめとるフィルターが解除された時のビジョンと同じ。
(以前は福島より以北。)
瞑想中に、突然、宇佐八幡境内におられる楠木さんからいただく
植物さんたちのネットワークからのビジョンが届いた。
示された映像は、日本の部分。
関東・甲信越・北陸・東海、そして、京都の一部がはっきりと見える。
これは、以前お伝えいただいた、その上空に設置されていた
マをからめとるフィルターが解除された時のビジョンと同じ。
(以前は福島より以北。)
以前、無造作に放たれた意識が集合体となって、ひとのカタチを
なし、無生物であるにもかかわらず、ひとのようにふるまっている
という、話をしたが、
新しい世界では、それらは再現ができないので、
今は、彼らにとっての最後の饗宴。
彼ら無生物の存在とは、『ケガレ』そのもの。
自らを弁えず、神在るを畏れず、神を敬わない、存在なのだ。
ある方の学びを通じて、伝え、教えられたビジョンでは、
その集合体の核として、人形(じんけい)持つ者も、やがて、
それ成す存在として、終わりを迎える。
その終焉の宴においても、『ケガレ』は『ケガレ』でしかなく、
宴の意味を知らず、互いを喰らいつくすのみ。
けれど、この宴により、それらは焼き払われ、
葬り去らなければならない。
跡形もなく、それらは消滅する。
それはもう、始まっている。
ふと、柞原さまへ行かなければと思い立ち、朝、お参りへとでかける
と、その日は、神事が行われるらしく、地元の方々が、沢山、本殿へ
とあがっていた。
そういえば、先月、早吸日女さまへと思い立って行った時も、
同じように地元の方々が、お詣りに来ていた。
(師匠と一緒の時は、たいてい、ひとがいない時にお参りしている。)
師匠をここへ連れて行かなければという思いにかられて、後日、
柞原さまへ一緒に行った。
この時期、もう開花しているだろう境内の本殿脇にある大きな招霊
の木は、前日の雨風で、周囲に白い花弁を敷き詰めていた。
「以前来た時より、気がよくなっていますねえ。(喜)」
と、ぽつぽつ歩きまわる師匠。
何かに押されるように、招霊の木の根元に寄ると、私の後ろから
右肩辺りを、もの凄い勢いで、なにかが、招霊の木へとー。
そのあとは、ただ、ただ、静寂を感じていた。
「御用だったですね。」
あいかわらず、ぽ~とした、師匠が笑っていた。
かわりに、境内で見かけた花。
これは、三又。樹皮が和紙の原料になる。
枝が三又になっているから、こう名付けられているらしい。
少し、花がハチの巣っぽい。
~
きっとね、あなたがぶれずにいたからだよ。
ちゃあんと、おさまる時は、準備されているものなんだあねえ。
安心に自分置く。
置けるって、
ものすごくで、その実は、シンプルなんだね。
そして、この『安心』は魔法の力が込められていて、
周囲のひとに伝わるんだな。
だから、さらに広がるよ。楽しいね。
後は楽しんでね。
これは、祈りの前のこころ。
実践者の姿。この世界に在る、
すべての実践者への贈り物。