師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

自然からの声ーメタセコイア

2009年05月30日 | 天意の実践

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ずいぶん前のことだが、いつものように(笑)、師匠が

宇佐八幡の境内で消えた。

私がトイレに行っている間、車に行っているとばかり思っていたら、

いなかった。

そのうち帰ってくるだろうと、師匠と別れた十字路に立っていると、

思わぬ方向から、師匠が帰ってきた。

師匠「あの木に、(指差す)声かけられた。」

見ると、後方に三本の立派な木がある。

私 「なんて言う木ですか?」

師匠「・・・・・・。メタセコイア・・・多分・・・・・・。」

私 「そんな名前の木があるんですか?(聞いたことないが)」

師匠「もしくは、イチイ・・・なんだっけ・・・・・・???」

その後、けっこう近所でも、この木を見る。学校などにある。

けれども、名前は半信半疑なワタシ。

結局、調べたら、メタセコイアという名前だった。

また、変わった名前だ。学名なのか。

師匠「うーん。どっかで聞いたようなって思っていたら、あったんだ。

   研究室に通っていた時、研究室の教授が古生物学の教授で、

   生きた化石のメタセコイアの研究をしていたって、話していた。

   でも、実物は見たことなかったし、当時、私が研究していたのは 

   同じ生きた化石でも、カブトガニの方を研究していたんだもん。」

って、師匠は、短大卒だから、研究論文なんてなかったでしょーに。

私 「生きた化石?」

師匠「うん。メタセコイアさんのことを調べなおしたら、

   300万年前に日本に生息していたけれど、100万年前から

   姿を消したんで、そのように学会で発表されたそうだ。

   その時についた名前がメタセコイア。

   けれども、その後、中国でこの木が生息したいることがわかった

   んだ。このあたりは二宮教授から聞いてた話と一緒だった。

   で、戦後、日本に贈られて、最初に皇居へ植えられ、その後、

   学校とかでも教育材料として、植えられたんだそうだ。だから、

   学校に多く見るわけさ。

   メタセコイアさんは戦後復興のシンボルとして、昭和天皇が本も

   出されているようだよ。」

私 「戦後に植えられて、あの大きさ。ってことは成長が早い。」

師匠「はやい、はやい。(笑)」

師匠「でもね、これを聞くと人間の文明なんて、ちっぽけだと

    思わないか?

   今という時代は、転換期なんだよな。

   生き方から、選択する物自体が、大きく変わってきている。

   考え方から価値観が大きく変化している。

   けれども、その時間。タイムスパン、タイムスケールの小さいこと

   ったらないよね。経済で習った経済変換の波の周期だって、

   この比じゃあない。

   自然の周期はもっと大きいと思う。植物さんの時間なんて、

   すごいなあと感じるよ。ひとはこの自然の周期の一端でしか

   ないんだな。」

そして、自然から学ぶ謙虚さも大事だ。

師匠「メタセコイアの発見って、ある意味、文化的だと思わないか?

    正確には地球の文化であったり、自然文化。植物文化な感じ。

    魂は永遠で、その宿るカタチは姿を変えながら、魂の旅は

    続いている。」

  

写真は10号線沿いに植えられているメタセコイア。 

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追記

知らないで、なぜメタセコイアの名前

が出てきたのか。

師匠が言うには 植物さんが

「そう言われている。」

と言ったのだとか。

聞こえたもうひとつの名前。

イチイなんとかは、

イチイスギ。これは和名のひとつ。

別名アケボノスギ(和訳)だそうだ。

(メタは変わった、という意味。

変わったセコイアということ)

アメリカではセコイアの木はクリスマスツリーとして育てられ

ている。巨大なセコイアの木の写真を見たことがあるひとも

いるだろう。

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パークプレイスにも、メタセコイアが植えられている。

こちらはライトアップの時のコードが巻きつけられているため、

あの美しい三角錐がない。それで気がつかなかった。

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孤独でいること 孤独になること

2009年05月29日 | 天意の実践

さて、苦しみのひとつに『孤独』がある。

「誰も、自分をわかっていない。」「自分以外は、ばかばかりだ。」

と、公言をはばからないひとがいる。

こういうひとは、実にわかりにくい。というか、理解されない。

相手に理解されたいのか、して欲しくないのかが、自分でも

ほんとうは、わかっていないのだ。だから、孤独になる。

ひとが離れていく。そして、言うのだ

「誰も自分をわかってくれない。」と。

「周りの人間は、あたまが悪いから、自分をわからないのだ。」

などなど。

けれども、この場合、

自分ばかりがしゃべって、しかも、はなっから、わかってくれないと

決めてかかっているから、世界は、わかってくれないのだ。

世界はほんとうによくできている。

わかってくれないと思っているから、

わかってくれない、という現実をおこす。

この世界の法則・真理とはそういうものだ。

ということは、このひとこそ、自分自身をわかっていないのだ。

だから、自分のことを、もてあましている。

孤独の本質すら、理解し得ない。

そして、孤独の先へも、まだ、たどりつけていない。

古今東西の宗教家、スピリチュアルカウンセラーなど精神世界の

本を読んでいると、

さとりをひらくために辛い修行は必要なのか、

を、一時期考えていたが、

今は、さとりをひらくために辛い修行は必要ないと、言える。

今の時代、辛い思いをなかなか昇華できないのだ。

昇華できるのは、それに相応しいフィルターレベルでいるからだ。

魂のフィルターレベルに応じて、思考した結果、それに相応しい

贈り物が届けられる。

まず、自分たちが自分の体に起こしたムーブメントの処理から

始めよう。

自分の周囲にある、ネガティブな諸々をかたづけよう。

自分のこころに潜む、ネガティブポイントを癒し、赦そう。

痛みに執着せず、痛みとともに過去を捨てよう。

そうやって、自分の曇った、目詰まりしたフィルターの掃除を

しよう。

本当に、こころから苦しみと「さようなら」したいのなら、

こころから、苦しみに「さようなら」を告げよう。

あなたは、あなたの苦しみを理解するひとはいないと

思っているかもしれないが、

あなたの発しているネガティブな思いは、周囲を汚染し続けている。

周囲にネガティブな思いを巻き、別なネガティブな思いを引き寄せ

あなたの周りにネガティブラインを構成しているから、常にあなたは

自分が作り上げたネガティブな構築物の只中にいて、さらに、増殖

し続けている。

もし、あなたがそうではない、こんな自分は、本当の自分でない、

と言うのであれば、気がつこう。

誰もあなたを不幸にはできない。あなたを不幸にするのは

あなた自身なのだ。

そして、あなたの幸せに対立しているのも、あなたなのだ。

また、あなたがそうでなくても、あなたのまわりがそうなら、

少なからず、あなたもまた、気づかずにネガティブな思考に

同調しているのかもしれない。

その時は、そっと、光の祈りをささげよう。

光のほうをむこう。そうすれば、闇であるネガティブな霧は

晴れるだろう。

知っていて欲しい。孤独は決して悪いものではない。

善悪で孤独を見ないで欲しい。あなたに必要な孤独もまた、

時に必要なのだ。

ネガティブが蔓延している場所にいるなら、光のあなたは

自然と孤独になる。けれども、それはそういうものなのだ。

この世界で、光と闇は在る。けれども、もともと光で在る

存在ならば、いずれ、光に還るのだから。

誰もが光の存在なのだ。

このことを知っていて欲しい。

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あなたを苦しめるなら

2009年05月26日 | 天意の実践

苦しんでいるひとを目の当たりにしたとき、なんとかしてあげたいと

思う時がある。

けれども、その『なんとか』を苦しんでいるひとが、本当に

望んでいるのだろうか。

望んでいるものを、自分は届けられているだろうか。

ただ、話を聞くだけでいいときがあり、

励ましの言葉を望んでいるときがあり、

ときに、ひとりでいることを望んでいることもある。

ならば、ときに聞いてみてはどうだろう。

なにがあなたを苦しめているのかを。

答えはそのひとの中にしかない。

問題や苦しみは、そのひとの中にしか

存在していない。

だから、それを解くには、そのひとでしかできない。

そのひとの中の、本当のそのひとでしか、解決はない。

ただ、黙って何もしないことが、そのひとを救うこともあるのだ。

師匠との直会で、

なにをしても相手を怒らせてしまう。自分がいることで、

相手が苦しむ、と言ったひとがいた。

「ならば、去ればいい。側にいないことが相手の望みならば、

と、あなたが伝えれば、それだけでいいのではないのか。」

近くにいなくても、繋がっている。あなたと私もそうではないのか?

何もしないことで、救われるひとがいることを知っていれば

それでいい。

あなたのことが好きだと、愛しているとだけ、伝えればいいのだ。

遠くにいても、近くにいるときがあったり、

近くにいても遠くに感じることがある。

でも、いつも、あなたのことを思ってることは、変わらない。

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城原神社

2009年05月25日 | 神社紀行

久しぶりの神社紀行。

今回は、テレビで紹介されいた城原(きばる)神社。

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中学時代に久住に住んでいた師匠には、なじみの神社。

この神社の前を通って、高校へバス通学をしていたのだとか。

当時より、道もよくなって、久住町から、竹田の道の駅までは、

あっという間だ。

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景行天皇の九州巡行の足跡が残るこの地。皇徳を称えて作られたらしい。

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りっぱな銀杏の樹と欅の樹。そして、

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まだ若い銀杏の樹。

神柱の気配はないが、この木々により、地が保たれている。

神社の裏には、新しい道が通っているため、風の道ができている。

荒廃が進まないよう、これからも木々がこの地を守っていくのだろう。

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夜明けの時分

2009年05月21日 | 天意の実践

師匠がゴミ出しの時は、朝の5時頃に持っていくそうだ。

一番かと思いきや、既に誰か彼か出しに来ていて、朝の挨拶を交わしている風景があり、

散歩やウォーキングをしている老人たちがいて、元気がよい。

団地の住民も、年寄り家庭が増えたからなのだろうか。

主要道路である国道10号線のすぐ側なので、道路側の窓では朝早くから

騒がしいのだとか。

それでも暁光色に明け始めて、空気が澄んでいる時刻。

この数年は暑くなるのが早かったが、今年はまだ涼しくて、日拝によい季節。

なのに残念だが、師匠の家からは日の出は望めないのだ。

それで、最近は瞑想に入ると聞く。

私も最近、4時頃に眼が覚める。

瞑想によい時刻。

ココロがざわめく時などは、早く寝て、アタマやココロを黙らせるのだ。

夜の思考よりは、朝の思考の方が建設的だと、なにかの本に書いてあった。

本当にそうだと思う。

そして、合理的かつ、感情をまじえない思考でいれば、

わずらわしいこともおこらない。

ニュースではインフルエンザを騒いでいるが、普段どおりに、過ごせばいい。

カラダを大事に扱い、健康的な食事を取り、

何より、

睡眠不足にならないようにしていよう。

おだやかなエネルギー。高いエネルギーで生きていこう。

そうすれば事象はまるでスローモーションで起きているように、感じるだろう。

物事は流れるように運ばれ、思いどおりのものが届けられるのだ。

あとは、師匠のように、笑って笑って一日を過ごしていこう。

    

    

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感謝  臣

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