師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

わたしたちは体験する神である

2014年05月29日 | 天意の実践

初期の頃。ブログをはじめる以前。

紹介だけで、お客さまがよく来られていた頃のこと、

お店のホワイトボードに振ってきた言葉をそのまま綴っていました。

それが今は、便利なことに振ってきた言葉、メッセージを記録として、

こちらへ残しています。

先日、再び改めてその頃の

体験する神

のことばが。

すべては、神へと還る。誰もが、神を宿している。

天界の神も地界の神も、それを繋ぐ龍神界の神もすべて神。

次元レベルが高い、高次の存在。意識体レベルの存在も、

すべて神。

すべては神である。

否、区別や分類などは必要ないのだ。

では、ひととはー。

そう、ひとは『体験する神』なのだ。

すべてを知りえていたひとつから派生し、再構築する存在。

この次元レベルで、冒険の旅に出たひとつの存在が、あなた。

そして、わたし。

旅をしてはいても、やがては帰る。

あなたも、わたしも。

ひとつであったわたし。わたしたち。

これは思い出すための旅でもある。

自分とは、何者かを一度忘れ、そして、思い出す。

わたしたちは体験する神である。

 

 

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

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世界を癒す 自分を癒す浄化への道

2014年05月18日 | 神さま通信

物事は、ある臨界点を超えると凄まじい勢いで逆回転を

 はじめます

 変転はエネルギーの奔流です

 求めることへ注がれたエネルギーは行き場を求めるのですが、

 それは急に方向を変えていきます

 出来たものはまた、出来た前へと戻ります

 そして本質では出来た前と後とでは大きく違います

 それは、本質がレベルポイントを変えたからです

 レベルポイントは、それぞれの思い出した条項に因ります

 生きることの本質は、思いだすこと

 思い出すことでご自身の本来レベルへと近づけるのです

 この三次元にあって、さまざまな体験はあなたを夢心地で

 居させることもできます

 ですが、本質において今生で選んだことと大きく違い、

 違いがあなたをすり減らすのであれば、あなたの道は

 それではないのです

 変化を怖れながら、変化しているという矛盾

 それすらも、すべてはご自身が決めているのです

 ご自身の気を分けることはもうやめて、本質の声に

 耳を傾けるのです

 あなたのエネルギーを八方へ向けることはやめて、

 ただ、ただ、あなた自身が輝くことにのみ、

 こころをかけるのです。気を向けるのです

 すべては、本質のままに

 本来のあなたのままに

 

ありがとうございました。

花瞑想をして、浄化をこころがけています。

いままた、自分のあれこれと伸びた枝葉を

削ぎ落しています。

自分に対してシンプルに扱う。

深く、深く自分の奥底へと降りて行きます。

グラウディングとも違う、自己探索の降下にあります。

このところ降ってくるキーワードは

つらぬく

漂う

無欲

などとさまざまですが、すべてはひとつへと帰依します。

神在り

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そこここに

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神、在り

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あなたの日々が光に満ちたものでありますように

傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

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できない理由を考える・・・なんてことのアタマを使わない。

2014年05月14日 | 天意の実践

こころが素直でないと、よい閃きは感じられません。

し、なにより、気が付きません。

何にでも反論し、文句をいい、そしてその結果は善いものは

産まれません。

自分が決めている。

善いものを受け付けないように選んでいる。

アタマで考え、抵抗を試みているのです。

そうではなく、物事はハラで受け取る。

ハラがすわっている。つまり、ココロが落ち着いていることが

肝要。

穏やかなココロでいれば、善いことがすーっと入ってきますし、

善くないことは選択をしない。

ココロ癖はどちらへ向かうにも修業しています。

選択のトレーニングを自分に課している。

そうではなく、

善きこともそうでないことも受け入れる。

どちらも自分には在るのです。

どちらかにココロの振り幅を持たせるだけでなく、

ゆったりと観つめる。

ココロに吹いてくる荒れ狂うような感情も、奥底では、

とても静かな自分がいるのです。

 

    

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

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あるがままに 花暦ー唐種招霊 桐の花

2014年05月11日 | 花・華・お花。植物さんのお話

あいかわらず、ことはでは限定されるので、

ひたすら瞑想して、ぷっかあ(笑)です。

瞑想のおともには花の香りがー。

バナナの香りと言われる唐種招霊さんはこれからです。

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桐さんはもう終わりです。
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走行中、蜜柑さんたちの花の香りに誘われます。

随分遠くから話しかけられています。(笑)

 

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

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流れにまかせる

2014年05月09日 | お客さまの感想や報告から

あるがまま

受け入れる

ありのままでいる

究極のさとりはそんなところだろう。

実は、ことばすら存在しない。

変わりたいとどんなに本人が口にしても、変わらないひとは

変わらない。

実は、変わりたくない。

人間はそのようにできている。

そういう機能がついているのだ。

だから、外因から変わることはできる。

外因から内因へ。

または、外因を受け入れる。

先日、カウンセリングの時に私たちを見て、

「そういえば、最近、瓔珞を着けていませんでした。

これからは忘れずにつけます。」

と、おっしゃった方がいらした。

もともと、マを引き寄せやすいのでなにか方法はないですか

と、来られて話すうちに、シールドタイプの瓔珞を依頼されて

お作りし、神託を添えてお渡しをしていたのだ。

なにかの折りに着けずにいて、なんとなくそのままでいたら、

また、不安が強くなってきたのだ。

瓔珞は護るものと、神さまとの契約ーシルシのものがある。

どちらもカタチという外因により、目的を果たす。

目的が果たされれば、それらを用いることは無くなる。

たとえそれがシルシであっても、神との契約を終えた者、

終わらせた者にとっては、お役御免ということだ。

どちらにしても、自分が決めている。

ひとは、変化を好まない。

それは時に自分を苦しめる。本質は変わらないが、

本質でなければ、自らを苦しめる。

本質に気がつくためには変化も受け入れる。

我で動かすものではない。

流れにまかせる。

なんのためにかを忘れないために、御和幣は

教えられ、作られた。

変わることを忘れない。

変わらないことも忘れない。

すべては自分自身で在る

ただ、そのために。

 

ありがとうございました。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

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