師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

完全なるもの

2009年10月31日 | 天意の実践

いただいたご依頼を応えるのと同時に、降神は続いている。

それぞれが、断片的ではあるが、そのものズバリを伝えていただく。

いただいた詞の本質を感じることこそが、瞑想にも、日々の中にも

活かされていることを、体感する。

突然、降神状態の師匠がつぶやいた。

『完全ではないのだ。』

の詞は、そのあとに続く依頼に呼応していた。

誰を表わし、誰に、誰の何を伝えようとしているのかは、この本質を

感じられると、おのずと浮かびあがる。

説明をすると、その純度が曇る。

これを感じていただきたい。

今へとつながる。未来へと通じるこの詞を。

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整えまでの時間 学ぶこころ 認識という旅

2009年10月26日 | 天意の実践

師匠と、話をしていて、短期間で願いが叶うひと。

長年の悩みが、あっという間に解決するひと。

数年をかけて、願望が叶うひと。

どこが、どう違うのだろうなどと、考えてしまわないだろうか。

         

時間もまた、ひと、それぞれ。体感はすべてが同じではない。

今、この瞬間を同じ空間で過ごしていても、それまでのそれぞれの

積み重ねてきた時間は、同じではない。

それぞれに宿る魂ー意識が、違うのだ。

まだまだ、小さな修業を積み重ねている魂ー意識。

大きなことを成し遂げ、さらに高見をめざす魂ー意識。

大きなことを成し遂げ、そのことを少しでも伝えようと、

改めて、高見から、やってきた魂ー意識。

このように、過ごし、おこなってきたことが、それぞれに違うのだ。

だから、自分の時間を自分で使っていることを知っていれば、

なにも問題はない。

誰とも、比べず、あなたは、あなたの歩みで歩いて行くのだ。

              

ありがとうございました。

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智慧 知識 実践するこころ

2009年10月23日 | 天意の実践

ずいぶん昔にご縁をいただいた依頼者から、数年を経て近況報告を

いただいた。掲載後にメールがあり、少し、加筆もしてみた。

何度かの対面カウンセリングと、電話やメールでその都度、質問に

答え、説明をしていたのだが、いざ、選択となると、

本人が、どれも選ばずに、ずるずると状況を変えることなく、

やり過ごしていたことが、ここに来て、一気に吹き出し、結局、自分が

一番したくない状況。病気となって、病院に入院することで、やっと、

自分に決着をつけて、家を出て、家族と離れ、新しい自分を整える

作業に入ることになったのだ。

師匠は神さまから伝えられるように、どちらを選ぶのも自由だと言う。

本人が決めなければ、物事は、流れるだけで本人にとっては、

選ばない頑固な自分でいることを、実際は選んでいるのだと。

この方も、今は、おだやかな生活を取り戻しつつあり、新たな生活を

模索中なのだとか。

この間、心理カウンセラーからの意見は、すべて師匠が告げたこと

ばかりで、そのどれをとっても、自分は今まで、やってこなかったと、

思ったそうだ。

師匠「そういえば、思いだした。学校で一応、心理学は習ったんだ。

    最近テレビに出てる、久保田おばあちゃんの話も、習っていた

    よなあって、思ってたんだ。

    でも、それが、もてはやされるってことは、習ったことを実践して

    いる教育者が、いないってことなんかな。」

私 「資格を取ることはあっても、実践していない、ってことですか。」

師匠「そういうこと。応用できることは、いっぱいある。あと、芝居で、

   鬱のことや心理分析も、勉強をしていたこともあった。

   実際、気がつかないで、話していることがあるなあ、って思った。

   結局、以前、神さまがおっしゃったように、するか、しないかは

   大きく違うってことだ。

   知識や智慧はやってみて、わかる。気がつく。感じる。学ぶ。

   反省する。

   いろいろあるんだ。行動を起こす前に、あれこれ考え込まずに、

   とりあえず、やってみる。実践が大事ということだ。

   やってみて、自分についての発見がある。自分を知る作業が

   どんなに楽しくて大事なことか、これから、彼女も体験が

   できるといいなあ。とっても、とっても楽しいことを。

   話をしていて、よく聞かれることに、私が悪いのか?

   と、聞かれるけれど、良い、悪いでなく、それで、ちゃんと、

   機能しているかと、聞きたい。目的合って、行動していた

   はずなのに、目的から、はずれていることが多い。

   こころをからっぽにして、新しい風を入れて、歩いて行くと

   楽しいことがきっと、見つかる。」

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天の意(識)に乗る 意乗る

2009年10月20日 | 天意の実践

では、祈りとは何か

の問いとして教えられたのが、タイトルの天の意(識)に乗ること

なのだそうだ。

愛とは天ーあ 意(識)ーい  天の意識なのだ。

これは、繰り返し、繰り返し、伝えられ、伝えていることだ。

ひとは、己の力で生きるものだと教えられるが、或る領域に来ると

それは生かされていることの領域へとたどりつく。

自分だけで成り立っていると思っていた世界は、

実は、自分を生かし、自分は他者に助けられている世界の住人

のひとりなのだ

と気がつくのだ。

そして、或る体験をしたものは、大いなる存在を知り、体感し

畏れ多いという、新たな領域の体感へとつづく。

そうして、日々、感謝する。

毎日の行動に感謝する。

そうなのだ。今在る。自分がおかれたこと。おかれた場所で

日々を感謝して過ごし、あたえられたことをちゃんとする

ことこそ、『意に乗る』ことなのだ。

なにも、特別なことは一つもない。

先日も、潔斎中にある方への神託が降ってきたとかで、

師匠はお伝えをさせていただいた。

「何もおこらないことが、いいことなのですね。」

と、伝えられた方は言ったそうだ。

日々を平穏無事に過ごせる。

二極化が始まった中で、神さまとつながっている

つながっていられることに、感謝。

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神を知るもの

2009年10月17日 | 天意の実践

2005年10月15日から設定開始した当ブログは、もともと、

神さまからのご指示により、師匠がおもしろがって始めたものだ。

(師匠の判断基準は楽しいか、楽しくないか。

面白いか、面白くないか。(苦笑))

そして、数年。神さまとの会話は、今日も続いている。

神降ろしや病気治しは、師匠の祖母さんがしていたことだが、

それを継承したかのように、実際には会ったこともない、その祖母さん

の業を新たに師匠は行っているのだ。

ひとを作るのは環境だと言っていた教育者がいたが、とても、大事な

ことだ。

祖母さんが、やっていたから、当たり前のように、周囲から受け入れ

られたのだ。

最近は、いろいろな講習や講演会、講座などで、スピリチュアル的な

要素を持つまたは、必要とすることを簡単に習うことができるが、

本質的なことは、学びから生まれるのだと、つくづく思う。

私自身もタロット占いや姓名鑑定は、一定レベルまでは習得したが、

それ以上のことは、体感でしか学べない。

それは入口にすぎない。

本質はもっと、奥にある。まさに奥義という言葉、そのままに。

おかげさまで、ご縁をいただいた、М社長や、S先生などが、

体現されていることから、私たちは学ぶことができた。

本質に近づく。だからこそ、神秘体験の意義は途方もなく

大きいと。

いつも、神さまが傍にいることを実感でき、本質を学ぶ

機会が豊富にある今は、なんと、有難いことだろう。

神とともに在ることを、当たり前過ぎて、深く感じ入ることなく

過ごしていたが、感謝することで、そのことの意義を深く

また、感じ入ることができた。

そう、神秘体験など、したくてできることではない。

意味あって、起こるべくして、起こる。

そのことを謙虚に受け止めよう。

神託を告げるものの一人として、謙虚に日々を過ごそうと思う。

そして、いつもこのブログを読んでくださるみなさん。

本当にありがとうございます。

ご縁をくださったみなさんにも、感謝しています。

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