では、意に在る神から見れば、意に乗らずに在るべく姿を
曲げる人の創造力は、あたえられている力とは言え、
それは、あらたな驚嘆だ。だが、それも織り込み済みで、
それも含めてひとなる存在と言える。
魂を宿らせるウツワのカラダは、ある種のセイフティロックで、
守られ、脆弱さをカバーできるが、その耐用年数にも限界を
設けている。
森羅万象。存在するすべては、生々流転の末に全体としては、
計り知れないほどの成長を遂げていく。
その、旅の途中にすぎないひとという存在になにを思うか。
ひとであれば、どう感ずるかを、それぞれの存在が感じ、定義し、
それぞれで動かすことこそが、全体の個として、存在意義
であり、醍醐味。この世界のダイナミックさなのかもしれない。
苦しむことで、智慧を求められる。
その向こうへと進む推進力へと変えられる力は、イノチの本来
宿している源よりの光そのもの。
それが、神へとつながる連綿たるイノチの連鎖だ。
ひとは、もっと、期待していい。
神へとつながってる、個足る自分に。
存在は、個でも、あたえられている力は、十分に足りている。
足りて余りある力を信じる。それができる存在であるからこそ、
神は、ひとに期待しない。
もう、おわかりだろう。
それは、それだからだ。
そうなるようにこの世界はできており、信頼に足るものであるからだ。
我が母なる星、アークトゥルスのガイドマスターの長
リューシーヒェンからの声を受け取った。
あらたへの旅は、すでに始まっている。