師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

生きている不思議 生かされている不思議

2016年10月28日 | 天意の実践

車の運転をしていると、ヒヤッとすることがあった。
何故過去形かというと、前ほど気にしなくなったからだ。
生きていると感情を揺さぶられることが起こる。
今、気づくとその一つ一つに感情が反応しなくなった。
結果は何も起きなかったのだから、反応することは一つもないのだ。
『大丈夫』は『境地』なのだ。

日々、生きていることと言う現象に終わりはついてくる。
いつかは終わる。
だが、それはその時ではなかった。
生きている現象から死んでいる現象へは三次元からの離脱に過ぎない。
そこへ至る道筋は覚えておくこともない。
そのいつかまでを生かされているからだ。
生かされているから生きている。
この不思議のなんと有難いことか。
我々はこれらを体感するために、ここにいる。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『今』に生きる自分 『今』に生きていない自分

2016年10月25日 | 天意の実践

『今』に生きるとはどういうことか。

わかりやすく言えば、『思考』のこと。
現代を生きていると人は常に何かを考えている。
始終だ。
『今』おきていることだけでなく、『過去』に思いを馳せ、悔み、
『未来』に思いを寄せ不安になる。
そうやって始終『今の自分』を揺らがせる。

『思考』は時に『意思』を曲げさせる。
「こうしよう。」から時にはエゴが入り、思わぬ方向へー否
それも『思考』からなのだが回り道へ、迷い道へとあなたを連れ去る。
それも毎日の訓練の結果だ。

ひとつひとつを丁寧に扱う。
自分を丁寧に扱う。
これも訓練。
自分を忘れるほど『過去』や『未来』を思うではなく、
自分自身の今していること一つ一つを丁寧に行う。
一瞬一瞬、過ぎていく時間を愛おしいほどに扱い、愛おしい自分であれば、
あなたのすべては周囲をも巻き込み、愛おしい『今』を生きる世界に変わる。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生を受け入れる 死を受け入れる

2016年10月17日 | 天意の実践

『今』に生きることに目覚めると自分自身の『生』を感じられるようになります。
『今』だけに集中する。
過去に起きた出来事に煩わされず、未来というまだおきてもいないことに一喜一憂しない。

誰もが、自分の『今』に集中していれば、他者に対しても他者の『今』に介入することは
なくなります。

『今』とは『魂』の在り様。魂のままの自分を生きる。

このように魂ー神に帰還すると三次元世界はまったく違うように感じます。
最初は戸惑いを感じることもあるでしょう。
いままでの自分ではない感覚。
そうではなく、今までの自分こそが本来の自分ではなかっただけのこと。
人の目線で生きてきたのが、魂ー神の目線になったのです。

魂は不滅であることを理解し体感できると『生』も『死』も差はないことに
気がつきます。むしろ、
『生きている』状態にも『死んでいる』状態にも気づけます。
どちらも『変身ーメタモルフォーゼ』
フォームが変わるだけのこと。
芋虫が蛹にそしてやがて蝶になることを、自然は当たり前として存在しています。
人もまた同じ。形を変え変化しながらそれもまた『今』に在るのです。
そうして別れからも学びや気づきを受け入れて、自分もまた『変身』し続けます。

在るがままに
自然に
受け入れられるだけの強さを私たちは持ち合わせているのです。
どのフィルターレベルであっても、その仕様は同じなのです。
    
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は生きたいようにしか生きられないし、行きたい方へしか行かないのも自分

2016年10月13日 | 天意の実践

おかげさまで、守られていることを実感、体感しています。
ありがたいことです。

自分が認識し、過去を手放しつつも過去の自分に囚われていると、
それを引き受けてくれる人が現れますし、実際、現れました。
執着を手放し、それ自体は自分ではないことを体験し、さらに
自分自身へと近づいている。それは引き受けてくれる人も同じ。
知らず知らずに導かれていたり、意志を感じて進んでいたりも同じ。
自分と言う存在は、自分が生きたいようにしか生きられない。
起用、不器用の話ではなく、そういう仕様になっている。
そして、選択する道も行きたい方向にしか行かないのも自分。
方向音痴のように道を間違える自分と嘆くより、その瞬間を生きた自分。
ただ、それだけ。それが『今』に在る生き方。過去も未来も自分ではない。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き方が返事 答え 

2016年10月12日 | 天意の実践

なにができて、なにができないか

なんでもできるということは、なんでもできる?

画家みたいにすっごい絵が描けて、
楽器をなんでもプロ級に演奏できる。
なんてこと、
本気で思ってないですよね。
あたえられている時間だけは制限があって、(波動レベルの境界を越えればそれも可能ですが)
それ以上にここへ来る前。生まれてくる前に決めた設計図に準じています。

だから、自分が決めたこと。決めていることを黙々とこなす。
自分で決めたことだから、
自分が楽しいからしているだけだから、
誰かの承認なんて本当はいらないはず。
もっとも、チームで決めていたことなら別です。
この人とこんなことをするに沿って、相手もそれを決めているから、
必要なタイミングでそれは起きるのです。
あなたが楽しいならそれがあなたのしたいこと。
あなたでいる魂は楽しいに他ならない。
あなたが『楽しい』でいれば、仲間にも出会える。
あなたの在りようがあなた自身。
そう。
あなたは答えでもあるのです。
    

 

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする