師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

妄執という名の思念魄

2009年08月31日 | 天意の実践

以前、マイナスエネルギーの話で、ネガティブマインドのことを

掲載したが、今回の選挙で、わかりやすい話を師匠を通じて

神さまから伝えられた。

事の発端は、当選者のテレビ映像のことを師匠が話し始めた

ことから。

前々から、直接会うことなく、ひとの思考を拾う(感じる)能力が

あるために、見たり、聞いたりしても、しなくてもわかることが

師匠にはある。

これは、人間のことばで言えば、情報ということだが、師匠が

感じるものは、神さまやガイドから伝えられるネットワークから

の情報なので、言語に載せるのは完全ではないが、以前よりは

わかりやすくなった。

そして、今回の当選者の中の何人かの映像を観ていて、

「なぜ、このひとは、当選したのだろうか。他の当選する人と

あまりに違う。」

と、考えていたら、神さまから降ってきたそうだ。

神さまからの話によると、そう感じた人は、すでに、人間としては

死に瀕しているのだが、ありとあらゆる、支援者と呼ばれる人たち

の念で、動かされていて、生きているように見えるのだそうだ。

また、このような、念を発するー動かすひとたちをまとめる

(引き寄せる。感覚的には餌とか、罠ートラップに近い。)

のには、この場合も、とても有効なのだそうだ。

そういえば、前々から、テレビに出たり本を出したりして大勢を

引き寄せる人間のことはサポーターと呼び、

直接、人とかかわる存在とは区別していたが、

このように役割が大きく違うのだ。

思念魄は、ひとの念によりできているのだが、ここまで、物凄い

マイナスエネルギーによるネガティブマインドが、実体化する

ことを教えてくれた。

妄執という言葉があるが、これは思念魄そのものではないか。

師匠から伝えられる話には、時折、あまり自分には関係ないと

感じるような事柄もあるが、今回のように、自分でも体感できた

というか、本質を理解できた話はがあると、

これから起こることへの現実味がますます帯びてくる。

師匠のネット友達のHさんは師匠と同じく使命があって、

この世界へおりてきたひとりだ。

そして、師匠同様に、世間に出てはいけない存在なのだ

という。

世間に出てはいけない理由は、もうおわかりだろう。

このように、真の能力者とは、世間とは無縁なのだ。

私が縁あって出会った能力者の人たちは、すばらしい能力で

たくさんのひとを助けているが、その誰もが、知る人ぞ知る

という存在で、マスコミの目に触れることなく、今も誰かの

ために存在している。

そして、Hさんも言っていたそうだが、多くの目に触れるように

なりかかると、そうならないように、高次の存在から守られるのだ。

熊本の能力者のスーパーのМ社長もそうだ。

Hさんを通じて知り合ったTさんも、Tさんがお参りに行っている

神社の有名な宮司さんよりも能力がはるかに高い。

最近、訪ねてくれたAさんも然り。

(一般的に霊能者と呼ばれている支援者的存在と区別するために

ここでは、能力者と呼んでいるが、その霊力は桁外れにすごい

ということは付け加えておく。そして、どなたも謙虚だ。)

これから起こることは、どのようなことでも、

今の時代に必要なことだ

と認識することも、これからを生きる智慧だと言える。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

                      師匠の祈りのことばより

感謝

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これからの時代を生きる実践者の智慧 2

2009年08月29日 | 天意の実践

今まであなたたちは、常に原因があり、結果があると教えられ、

何か事あるごとに、その原因は自分にあり、結果に対して

いろいろな理由を考え、そんな原因にならない自分でいようと

生きてきた。

けれども、そうやってきて、あなたたちは何を得ただろうか。

なにより、そう、思うことで、自分を偽り、傷つけ、自分を

見捨てて来てはいないか。

なにか事が起きたら、次に自分はなにをするか。

なにをすることが自分にとって有効なのかを考えなさい。

自分を責めたり、他人を責めたりせず、次にすることをなさい。

もう、そんなに時間はない。

くよくよしたりするのはやめて、もっと、今在る自分を考えなさい。

今必要なことに、専念しなさい。

あなたは、あなたのいる場所へ帰りなさい。

まちがったことはなにひとつない。

あなたはあなたでいるその場所を愛している。

無駄なものはなに一つなく

そのすべてを愛している。

わたしたちのそうで在るように

あなたもまた愛している。

トラブルが起こったり、予期せぬことがあると、

つい、なにか、わるかったことばかりを考えてしまう。

あれこれ考え、誰かのことや、物事を否定してしまう。

もう、そんなことはやめにしよう。

そして、それ以上に、物事を区別したり分けるにはやめよう。

おこるできごとには区別はいらない。

ただ、在っただけなのだ。

そう、考えよう。

それだけで、あなたはあなたを守れるのだ。

      

ありがとうございました。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように

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二元論を越えて、その先へ

2009年08月20日 | 天意の実践

手塚作品の実写による映画『MW』の感想は、別館に書いたが、

こちらでは、スピリチュアルな視点からの話を。

善と悪と、世界を二つに分けることで、闘いが始まってしまう。

それは、決して生きやすい世界とは言えない。

なぜなら、ひとは

どんな人でも、自分を守るように生きているからだ。

ただ、

小さな自分を守るか、

大きな自分を守るのかで、

それは大きく変わる。

同じことばも、小さな自分を表すのか、大きな自分を表すのか

まったく違うものとなる。

だから、ことばは難しくなっている。

誰もが、自分は正しいと、大きな声で叫べば、この世界は

どうなるのだろう。

誰もが、自分の正しさを求め続けていれば、この世界は

どこへ行ってしまうのか。

あなたは、ほんとうは どこへ行きたいのだろう。

今に在る生き方から、問うてみるといい

あなたがここへきたのは、どうしてなのか

あなたがここで立ち止まっているのは、どうしてなのか

選ばれたあなたと

選ぶあなたがいる

なにを選んでもわたしたちは、かまわない

なにを選んでも、あなたは、あなたでいる

わたしたちとの関係を絶つよう選んでも、あなたの何かが、

わたしたちの中にいることに変わりはない

どこまで行こうとも、あなたはわたしたちから離れることはない

あなたのなにかが、ひきよせられる

あなたの本質はひきよせる

波のように引いてもやがて、満ちる

引いても満ちる

わたしたちは常に在るのだ

闇の中にいるのは、幻想

暗いと思うのは、幻

まぶしすぎて、目を閉じているだけなのだ

眠りから醒めれば、あなたは気がつくだろう

光だけが在るこの世界を

            

ありがとうございました。

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これからの時代を生きる 実践者の智慧

2009年08月18日 | 天意の実践

『師匠のふつーの日常』に少し書いたが、師匠も、私もかつては

色々な講演を聞きに行ったり、占いに風水、ひとからの紹介に

店頭で平積みされる本たちの、あらゆる「成功法則」とよばれるもの

のやり方に挑戦したりしたが、どれもうまくいったものはなかった。

今は神さまとのご縁をいただいたことで、神さまから、

うまくいくこと以上に大切なことを教えていただいた

と思う。

神さまの存在を知ってから、師匠とともに体験したことの数々は、

人間の理屈では、とても解明できない事象ばかり。

それを目の当たりにして、つくづく人間の、地球人の小ささを感じた。

そして、過去の生きた自分を知ったり、霊能者と呼ばれるひとたち

に未来を見てもらっても、わかりえない、大切なこと。

誰でもが到達できる、本当はどの本も言おうとしていた魂の真実。

それは、

こころをからっぽにすることの方がはるかに、格段に感じ得る

ことが多い

ということだ。

木々にふれ、花々にこころを寄せ、空行く鳥に、海や河に群れ泳ぐ魚

たちを見入り、自分を、自分の卑小さを、自分の存在を忘れる体感の

方が、はるかに尊い体感だ。

自然もまた、、神の存在と同じ。畏れ敬う存在。

もちろん、これも今までいろいろなことをやってみて体験したからこそ、

わかりえたのだし、感じられて、ここまで来れたのだと思う。

体験したからこそ、シンプルなこころの在り様に気がつくことが

できたのだ。

だから、やったことに無駄なものはひとつもない。

こころが空っぽになり、落ち着いたおだやかさを手に入れると、

不思議と呼吸は深く、ゆっくりとした時間がからだに訪れる。

上がるでもなく、下がるでもなく、平安の中に自分を置くことができる。

瞑想などとカタチや方法に囚われず、魂の声を聞いていれば、

それはやってくる。

当たり前なことなのだが、普通に丁寧にカラダを取り扱おう。

自分を大事にする実践こそが、 『宇宙の法則』であり、

その法則に添った生き方なのだ。

実践者としての生き方こそ、神の思し召しに添うものなのだ。

今までも、これからも、お伝えできる方たちへ届けていく。

届けられたひとたちがまた、誰かへ、この贈り物(ギフト)を

届けるだろう。

これも、私たち実践者の生き方のなかのひとつだ。

      

追記

加筆、修正しました。

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『今、在る』とは、意味が存在しなくなること

2009年08月16日 | 天意の実践

毎日をたんたんと過ごしていたら、あっという間にお盆が終わった。

以前にも増して、『しなければ』という事象を、無意識にこなす日々を

おくっている。

呼吸するように、瞑想するが如く日々を過ごす。

ことばにすれば、言葉の限界や、自分の狭い世界観につかまって

しまう。

そうではなくて、そういうことも在るのだと、起こることを認める。

その時、受け入れることができない自分がいても、それは、それで

構わない。

今は、受け入れられないのだなと、その程度の認識が自分なのだと

思う。

師匠が、お盆に備える花を買っていた。

「いつもより早いけれども、それが(都合)いいのだ。」

と言って、抱えて帰って行った。

次の日、依頼の電話を受けて、今日の予定にいれたことを師匠に

告げると、

「知ってる。早朝に、電話連絡をもらっていたから、大丈夫。」

と答えた。

別次元では、すでに今日の依頼が師匠に伝わっていたのだ。

打ち合わせを済ませて、師匠は、お墓の掃除の予定を早めて

いつもより一日早く終わらせた。

毎年同じ日にお墓の掃除に行くために、その日に買い物をしていた

のが、今年は、あらかじめ用意がされていた。

前日までに買い物を済ませ、予定より早くしても慌てることなく

終わられていた。

「物事に意味がなくなる。」

なんとなくではなく、それがよいから行うのだ。

それこそが、今という瞬間、瞬間を生きるということだ。

こうやって文字にすると、このことの奥深さが伝わりにくいが、

ニュアンスなり、神さまの思し召しについてなりを、感じられれば

幸いである。

なぜ、師匠のまわりで花の香りがしたり、檜の香りがするのか

の理屈など、人間の頭では理解できない。

ましてや、対面で鑑定をした人にも、そのようなことが

おこるシステムなんて、誰も真似できないだろう。

そういうことが、おこるのだ。

これはすべて、神さまの思し召しなのだから、

畏れ多いことと認識して、この香る今、を感じよう。

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