師匠の不思議な日常

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創造の限界 創造の限界を越える

2009年06月26日 | 天意の実践

少し前に、ピアニストの辻井伸行さんが難関のコンクールで一位を

獲得した記事が、新聞やテレビで取り上げられていた。

この辻井さんが、小眼球による全盲と聞いて、師匠に聞いてみると、

やはり、師匠と同じだった。(師匠の右目は正常。)

では、どうやって鍵盤や楽譜を?

師匠「うーん。たいていのピアニストは、暗譜しているし、鍵盤も手が

    覚えていると、思うよ。」

私 「楽譜は?」

師匠「見えていても、聞いて覚えた方が早いってひともいるからね。

    それに、私程度のちょっと習ったくらいでも、アマチュアバンドを

    していた時、楽譜がない楽曲は何度も聞いて覚えたり、採譜を

    したりしてたから、音感とセンスと、それと根性があれば(笑)、

    できるもんだよ。

    逆に、目に頼って半分をカバーする方が、私には苦しい。

    あとは、本人が、何を感じ、創造するか。

    例えば、色彩感があふれている楽曲。荘厳なメロディー。

    ポップだったり、土俗的だったり、軽やかに跳んでいたり。

    それを感じられるかどうか、ってことだね。」

結局、どう感じるかは、自分次第だということだ。

そして、自分なりのやり方を創造していけば、なんとかなるものだ。

方法もそれぞれのやり方で、熱意を持って行うか。

そうだ、高尚な自分でいることに、熱意を持って取り組むこと。

やりたいことには自然と、力が入る。

この思いさえあれば、たいていのことは、なんとかなる。

このなんとかなることを体感していけば、次のレベルがはじまる。

新たな世界だ。

一所懸命は、故・政木先生のの言葉だが、これも、体感の賜物だ。

魂の導きに感謝。

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