師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

先を行くもの あとに続くもの

2013年01月30日 | 天意の実践

フィルターレベルの差で、わかりやすく言えば、

波動レベルが高いものは、当然、先を歩いていて、

物事を見通せるほどの高さも持ち合わせている。

高さがあるから、物事を俯瞰して観ており、細部にまで、

気を配ることができる。

未熟なものはレベルの差により、フィルターの目が粗いから、

気配りにも粗さが目立つ。

レベルの高いものが先へ先へとすすむことができるのは、

細部までも理解しているからであり歩みを止めるような、

怖れを抱くことはない。

先を怖れるものは、まだ目が粗いが故に見通すことができず、

恐怖を抱くからだ。

この世界を止める低い粗い波動のフィルターレベルは、未熟そのもの。

成熟し、先へと歩めるものは、勇気あるもの、勇者である。

そして、先人たちの勇気により、レベルに関係なく今の生活を享受

することができている。

いつか、あなたもまた、高いレベルへと到達する。

その時は、あなたもまた、勇者の仲間入りとなるのだ。

先ゆく人の教えを真似て守り、やがて新たなる創造でさらなる

発展形を成し、先人の教えを越えて行く。

これが、生きていく本当の意味でもあるのかもしれない。

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自分を見失わない 目的を見失わない

2013年01月27日 | 天意の実践

整えるとは、どういうことなのか
それは、この世界のありとあらゆる事象から、己を選別し、
自分であることなのだ
自分では、意識していないこともあるかもしれないが、
自分をチョイスし、コーディネートをしている、というわけだ
どういう自分か?
わかりやすく言えば、嗜好も思考も選択している自分
何を食べ、何を観て、どこに住み、誰といて、何かをしている
もしくは、何もしていない
それらすべてを自分は、選んでいる
だが、今の自分は自分が選んだわけではないと、思うかも
しれない
もし、そうであるなら、なぜそうなのかを考えてみることだ
どこの、なにが、あなたではないと、思うのか
わかりやすくいえば、結婚したいと思っているのに、相手がいない
とか、相手がそう思ってくれないとか、言うかもしれない
けれども、その相手と言うのも、自分はどう捉えているかなのだ
自分が、こういうひとでないと、いやだという、思いが強ければ、
意識はそこに集中して、いやな事象にばかり、眼が行っている
というわけだ
そんな風に、自分を創造している
自分を寛容に捉えて、もっと優しく扱うことも、大切なことなのだ
特に、整えにおいては
どうしても、感情に走るのであれば、それは、自分自身ですら、
コントロールができていないと、自分で認めている
肯定をしている
ならば、それで、よしと、あなたはできないだろう
あきらめないなら、感情をコントロールする術を身につけると
決めて、感情ではない部分で判断し選択するトレーニングを
積むことだ
こんな自分ではない、自分がありたい自分を創造するのだ
感情ではない部分で、神聖なあなたでいるためにも、
あなたで居る自由と権利のためにも、このトレーニングは
とても大事なのだ
今はまだ、創造してきた自分をたやすく受け入れてきたが、
整えることは、たやすくはないだろう
けれども、生きやすさで選ぶなら、あなたは完全なる自分を
受け入れる日は近くにまでもう、来ているのだ
あなたで居るために
あなたの目的とは、あなたなのだから


ありがとうございました。

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レベルの差こそあれ、それは、それ

2013年01月21日 | 天意の実践

この世界でおきていることをおもんばかることは、

とても大切なことなのだが、

自分のある場所。置かれていることの認識なくして、

この世界のことをあれこれと吟味することこそ、

畏れ敬うという視点を失っていることに気づかされる。

どのフィルターレベルにおいても、同じ空間を共有しているのが、

今に在ることなのだが、それはその領域体において何不自由なく

存在できることこそ、この世界の奇跡そのものなのだ。

そして互いを見いだし、そして感じ、己の在るべき姿を思い出させてくれる。

それがこの世界の奇跡。

レベルこそ違えども、互いにその存在を見つけ、

自分自身でいられるのだ。これが

『おかげさま』

という、

日本に在る思考。

互いの存在が補完しあってこそ、新たな道へも踏み出せる。

接続領域が広がったことにより、干渉波帯はどこにでもあり、

異なるレベル同士でも、容易に近づくことが可能な世界なのだ

だからといって、それぞれの存在に魅了されて、

己を見失ってはならない

自己の安定に努め、善く自分で在り続ければ、影響は最小限に

とどめられる


      

ありがとうございました、ガイドマスター。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に

感謝  天ト占と臣

 

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すなおという強さ

2013年01月08日 | 天意の実践

幸せでいる

今に在る

という生き方は、強さを併せ持っているのだが、

その強さの本質は

すなおであること

につきる。

強いということは、概ねそのバランスに起因するのだが、

たいていは、バランスすらこころもとなく、偏っていることを

強さと勘違いされている。

本質としての強さは、その内包している本質自体の

しなやかさに起因している

ゆるやかで、おおらか

変節することなく、流れゆくこと

それは、すなおであることにほかならない

あちこちにつまづき、ひっかかることをおそれることなく

あるものは、あるがままにすておく。まわりを見渡していても

変節するものはそのままに、

頑ななものは、頑ななままに

あるがままに、おく

受け入れずとも、それは、それ

そのままであることが自然と認める

自分と言う在る存在がそうでないと思えば、そうでなければ、

いいだけのこと

頑ななこころは、頑なな事象にのみ存在する

誰かのことであるなら、

それは、その誰かが決めているだけのこと

それは、あなたではないし、あなたの世界でもない

どの正しさが正しいなんて、誰にも決めることはできない

それがこの世界を歪めていて、あなたの世界をも歪めている

正しさに従わせることを強要し、世界は歪み続けている

どの自分で在るかは、あなた自身が決めている

あなたの世界の中だけのこと

それは、閉じた世界でのみ

開かれた世界ではすべてを内包し、ゆるやかに

おだやかに流れて行くだけなのだ

ありがとうございました。

編集中に降ってきた、ガイドマスターのことばを転載しました。

神のウツワとは『すなおであること』

そのことについて、改めて感じ入っています。

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あけましておめでとうございます

2013年01月01日 | お知らせ
  あたらしい歳神さまをお迎えして、おだやかな新年がはじまりました。
どなたさまにも、よきことが届けられますようご祈念いたします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年賀状やおめでとうメール、コメントをくださったみなさまの
変わらずのご厚情に感謝いたします。 

                      天卜占と臣
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