前回、1月1日に投稿してから、能登半島での大地震が起きた。
多くの人が亡くなり、行方不明となられた。
更には、羽田空港での事故、救援に向かうはずの人々が亡くなった。
まことに痛ましく、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げたい。
私の友人たちも被害に遭った。
しかし、皆大難は小難にとお守り頂き、避難生活をしているとのこと。
その連絡をもらった時は、ほっとして親神様にお礼を申した。
そして、知り合いの大教会長さんが、被災した教区長の代理として勤められるとの情報を得て、これまた無事に被災地への支援が出来るようにと心より願った。
命あっての物種。と言われるが本当にそうだと思う。
ただ、命が助かっても、心を落として嘆く人々もある。
この心の持ち方を、親神様は教祖を通して教えられた。
貧のどん底で、明日食べる物が無くても、「水を飲めば水の味がする。世の中には枕元に食べる物を山ほど積んでも、食べるに食べられずに苦しむ人がある。それを思えばわしらは結構や」と。
この逸話は、教祖が狐憑きや狸付きと周囲から言われて、夫様からも刃を向けられて「付き物ならば退け」と責められて、「この身さえ無くなれば、家族が責められる事もない」と井戸や池へ身を投げようとされたひながたの後の話である。
この身を投げようとされた時には、親神様から「短気を出すやない。短気を出すやない」との声が聞こえて、身を投げようとする足が前へ進まず、後戻りだけは出来たとの事である。
どんな中でも親神様が見守って下さり、導いて下さっているというひながたであり、それを越して、困窮して心配する家族を教え導く人になるという順序のひながたとも思える。
また、地震直後からボランティアの人々が現地へ入り、炊き出しをして下さったという情報も目にした。
知り合いの会長で、災害があれば率先してボランティアに出かけて、災救隊・行政以外で活動をしている人があり、被災・救援に対する知識を色々と聞かせてもらったところによると、
行政・自衛隊のみならず、これまでの災害の経験から、行政の足らない所を知り、早急に行動するボランティアの人たちがおられるのである。
そうした人々が、弱った人々の心を助けているという状況を、本当にありがたく思うばかりである。
前回、医療では考えられない不思議な親神様の働きの話を書いたが、今回もちょっと書いておきたい。
1月3日に、新しく教会長になられる方のお運びの願書の世話で、その教会へお邪魔した。
この新しく会長になられる方は、75才を越えた女性の方である。
なかなか後継者が定まらない中、この方が突然原因不明の身上となり、検査入院をされる事となった。
その入院中、諭達を読んでいる時に、これまでの事を振り返り、「教会長にならせて頂く」と心定めたところ、急に元気になり、原因不明のまま退院をして、お運びをする事になったのである。
これに合わせて、息子が追突事故に遭い、車は大破するものの、身は無難に守って頂き、車を保険ですべて買い替えれた事から、お母さんの運転手を務めるとの心定めをしてくれて、今日にいたっている。
年を取っていても、サポートしてくれる方があれば、務められる。
また、そのサポートをしようという人々の心を親神様は嬉しく受け取られて、その真をその人たちへと返して下さるのである。
また別の息子は、仕事の前に教会へ足を運び神様の用事をして、仕事へ出かけている。
これは、誰にどうしろと言われた事ではなく、起きて来た事からそれぞれが悟り定めてのことである。
おさしづに、「いわんいえんの理を聞き分けよ」と説かれている。
言ってやらせても、嫌々やるものもある。喜んでするものもある。
親神様の受け取りは、その行動と心であり、せっかく人を喜ばせる事をしても、嫌々やっていては、帳消しになってしまう可能性が高いのである。
人に頼まれて、人を喜ばせ、自分も喜んだならば、それは十二分の喜びとなるのは間違いないのである。
ところが、頼まれてもなかなかそのようにならない。
そのように思えない。こうした関係が親子の中にも多分にあるのである。
これが、いんねんで引き寄せられている。
だからこそ、いんねんを自覚して「いわんいえんの理を聞き分けよ」と言われるところだと思っている。
蛙の子は、蛙である。
どれだけトンビが鷹を生もうとしても、自分が鷹にならねば鷹を生むことは出来ないのである。
人は鏡と言われるが、自分の子供ほど自分の鏡は無い。
これは、教会などの関係でも同じ事が言える。
においがけ、おたすけに行ったとしても、自分の性分に、いんねんのある人でなければ、においは掛からず、おたすけにもならないのである。
そうして縁づいて出来た教会は、代が重なれば、よりそのいんねんは親子と同じものが現れると考えても良いはずである。
そうしたいんねん切り替えの話を、願書の世話と共にさせて頂く機会を頂いた。
世間での聖人と言われる人々は、個人が山などで修業をして偉くなり、人を助けるようになったと言われる。
そうした中に教祖は、夫婦で人助けをされて、家族で人助けの道を歩まれたのである。
「郷の仙人」という言葉はこうしたところからも言われたのだと思っている。
こうした点をもしっかりと思い返して、自分の役割を見つめ直す事も大切だと思う。
1月7日今日、家族でご本部のおせち会に出させて頂いた。
専門学校とアルバイトでほとんど休みのない3男が、免許を取って半年以上経って、初めて運転しておぢばがえりをした。
ひょんなことから、「高速を運転した事がない」との言葉からそれを知った。
おぢばがえりにはあまり意識が無く、なかなか起きれない3男だったが、「今日は運転してくれるんだろ」と言うと、慌てて起きたのが面白かった。
長男が横に乗って、色々と注意をしてくれて、無事におぢばに着いた。
親神様・教祖・祖霊様に、大難は小難にお導き頂いた事などの御礼を申し上げて、おせち会場へと足を運んだ。
12時20分の時点で、第1、第2食堂はいっぱいなので、テント会場へ廻るようにとアナウンスがあり、テント会場へ向かう。
とても気持ちの良い日差しを受けながら、30分ほど並んで待つ。
お節会場では、昨年とは異なり、おかわり自由でたくさんのお餅をよばれる。
これまでと出汁の味が変わった事が気になり、炊事本部の作る方が変わったのだろうと思った。
出口で神に包んだ生餅を頂いた。
本当に沢山のお餅が、各直属教会から御供されて皆に振舞われる。
どれだけ食べる物があっても、それを喜び、助け合う心がなければ陽気ぐらしは出来ない。
その喜ぶ心を作るためには、辛いと思われる事情がなければ気がつかないのである。
その辛い事情も、大難は小難にしてくれている事は、自分のいんねんを悟らねば分からない事でもある。
ところが、このいんねんが悟れると、喜びが多くなり、尽くすことが嬉しくなるのである。
これが「好循環」と言われるものだと私は思っている。
これらの事が世界中に広まれば、おのずと陽気ぐらしは出来るようになるのだが、人間は生まれ変わりをするたびに、前生の記憶は無くなって、白紙の状態で生まれ出るのである。
この白紙の状態で生まれ出る事を、良く思えるか、悪く思えるかも、それぞれの心にかかっているのであるが、教理を学び、おたすけをさせて頂くと、それがどれだけありがたいかと、今はつくづく思える。
復元33号の「稿本 教祖様御伝」も50頁を超えるあたりまで書き換えが進み、官憲へのご苦労の道中の話となって行くが、それまでの、人が誰も寄り付かず、教祖・親神様へのお礼の気持ちを捧げる人が現れるまでの、25年のひながたが、どれだけ私たち個人の日々の歩みに重要なひながたかと思うばかりである。
思うがままに。。