あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

山名大教会史 第1章 第4節伸びゆく理の芽

2020年06月22日 06時50分35秒 | 旧山名大教会史

引き続き、山名初代 諸井国三郎先生の話であるが、読んでいただいてどのように感じられただろうか。

私が第3節で不思議と感じる点をいくつか挙げておきたい。

吉本八十次氏が番頭のウソに付き合わされて諸井家に入る事柄もさることながら、①2カ月ほどしてから彼がおたすけを始める事、そしてその様子を見ていた国三郎夫婦が、吉本八十次氏がいなくなった後に、②娘の身上に対して夫婦で相談して親神様に願う事などである。

①吉本八十次氏が諸井家に入ってから、農作業をしているのだから、多少のけがはあったと思われるが、多少のけがではなく、二日二晩苦しむ身上に対して神様に願っているのである。そして、先に神様の話をするのではなく、本人の代わりにお詫びをして、御守護を頂いた後に神様の話をしている点である。

その後、不思議な助けを求める人が出来て、雇い主の諸井国三郎夫妻も、その話を聞きながら、おたすけの手助けをしているのである。

②そして、吉本八十次氏がおぢばに帰ってから、奥さんの熱心な態度で、夫婦そろっての心定めをする点である。先の橋本伊平先生の名古屋での布教について、夫婦の様子が書かれてあったが、夫婦の心定め、それも奥さんの定めがどれだけ大切であるかという事を感じるのである。

③助けて戴いたお礼に、明治16年におぢばへ向かうのであるが、おぢばで直接、教祖からお話を承り、力比べをされた後の、心に残るお言葉「道について来ても足場になるなよ。足場というものは、普請が出来上がれば取り払うてしまう。何でも国の柱となれ。」がとても気になった。

普請をするためには、足場も必要なのである。そのために寄せられる人もある。と悟る事も出来ると思う。その中で、諸井国三郎先生は足場になる人ではないが、そうなる可能性もあると言われているように感じた。これが、親神様の人間を見られる見方と思う。

④吉本八十次氏とは、この時に会うのが最後で、いくら探しても消息が分からないという事も不思議である。

以上が、先の第3節での私の感想である。

 

では、次の第4節を添付しておく。どうぞ読んでみてください。

第5節は、次にします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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山名大教会史より 山名初代会長の伏せ込みについて、、、第3節 山名の元一日

2020年06月21日 21時33分20秒 | 旧山名大教会史

愛知大教会史第1巻 1-2章- 4・5節 橋本伊平、山名分教会へ引き揚げ・教祖5年祭 

の 最後に、「橋本伊平先生は山名初代会長の命にそのまま従う信仰をもっておられたので、そのままに引き上げられたが、信仰の浅い名古屋の人々の中には、それが理解できない人も多かった事と思われる。」と書いた。

そうした時に、名古屋で信仰に入った人は、この明治23年の時点で1~2年である。そしてこの次の年には、愛知大教会の役員となり、部内教会の会長となっていく。そして、橋本伊平先生は、明治20年に入信して3年目となる。

それに対して、山名初代の諸井国三郎先生は、明治16年に入信して、教祖の元へ何度も帰り、幾多の苦労を乗り越え、そして人を導いてのこの時である。

そこで、山名初代がどれだけの苦労、お仕込みを頂いて神一条の心で通るようになったかを、山名大教会史から見てみたい。

山名大教会史は昭和7年に発刊されたものと、昭和63年に発刊されたものがあるが、読みやすさから、昭和63年のものから、第1章 第3節山名の元一日、第4節伸びゆく理の芽、第5節相次ぐ講元のおぢばがえり、を掲載しておく。

第4節、第5節は次にします。

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