緊急事態宣言&If We Hold On Together 

2021年05月14日 21時52分13秒 | 医療、病気

 今日は暑かったです。

最高気温が28.3℃、最低気温が18.1℃でした。

朝は曇っていましたが、晴れました。

でも、明日は又雨のようです。

 
 今朝は1周しか歩けませんでしたが、ママ友ガーデンには行ってきました。

 

 

 

 

ウツギがだいぶ咲いて来ました。

 

 

このドッグローズとケヤキの風景が一番好きかも。

 

 

 

 

 

 

公園の外周を1周しました。

 

 

教会のお花

 

 

再び、公園に戻って帰りました。

 

我が家の「サムライ」

 

今朝の果物

テレビはBSを観ることが多いのですが、ふとチャンネルをNHKに変えると南杏子さんが出ていらっしゃいました。

ディア・ペイシェント、サイレント・ブレス、いのちの停車場等を書かれた医師であり作家でもいらっしゃるのですが、知っていれば最初から観たかったです。

何冊かご本も読みました。

チャンネルを変えた時、ちょうど訪問看護師さんが来られましたので、これ以上観ることが出来ませんでした。

 

 

 看護師さんは2回目のワクチンを昨日、打たれたそうです。

1回目は何ともなくて、2回目はちょっと腕が痛いかな程度だと言われていました。

いずれもお休みを取られないでお仕事をされています。

ちなみに55歳。

昨日来た友人のKちゃんのご主人も55歳。

全く何ともなかったそうです。

それに反して、午後4時から来て下さった訪問リハの方はまだ1回目ですが、痛くて調子が悪くなったと言われていました。

彼女はまだ若いです。

確か40代。

若いほど副作用が出るというのは本当

そう言えばアメリカの友人は73歳ですが、何ともなかったと言っていましたっけ。

娘夫婦はしんどかったと言っていましたし(30代)、分かれ目は55歳あたりと今のところ勝手に考えています。

 

 

 看護師さんがいらしている時に、速報が流れました。

 

そして、夜のニュース。

Recently, the number of people infected with COVID-19 has been increasing steadily, so as a measure against the spread of the disease, a state of emergency has been declared in Okayama where I live . (From May 16th to May 31st)
最近、コロナの感染者がどんどん増えてきていましたので、今日、ついに岡山で「緊急事態宣言」が発令されました。(5月16日から5月31日まで)

 

 看護師さんが「岡山は田舎なのにどうしてこんなに増えたのかしらねえ」

年代別を見ると20代が連日最多です。

 

 ここのところ、母は今までのデイサービスや小多機でのお誕生日の写真入り色紙を何枚も(10枚くらい?)いろいろな方に見て頂いています。

看護師さんが新しい小多機はお誕生日に何もしてくれないことを知られて、色紙にスタッフの皆さんの寄せ書きを書いてもらって下さることになりました。

写真は私が撮ったなかなか素敵な写真があり、それを真ん中に貼ることになりました。

それに96歳のロウソクのケーキなども切って貼って下さるみたいです。

ドクターや看護師さんやリハの方やソーシャルワーカーのYさん等母に関わって下さっている方に頼んで下さるそうです

これはなかなか素敵

 

 今日は作ったケーキとコーヒーをお出ししたのですが、看護師さんは食べられましたが、この後、緊急事態宣言が出たということでラインで「出されても食べないように(マスクを外さないように)」と連絡が来たそうで、リハの方は持って帰られました。

でも、リハの方は母がケーキを一人で食べる前にハッピーバースデーの歌を歌って下さいました。

母はまた嬉しそうに手を叩いていました

 

 

 今日は正式に前の小多機のケアマネさんから「上に相談しましたが、やはりお受けすることが出来ないと言うことになりました」とご連絡がありました。

もしOKでも、ショートステイを使うことが無理ですので、残念ですがこちらとのご縁はこれで完全に切れてしまいました。

 

 

 

 

ダイアナ・ロス If We Hold On Together 

日本語訳

 

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】


(5月14日)

《免疫力をアップする3つのスイッチ》

1、皮膚に氣持ちのいいことをすること
2、笑うこと
3、小さなことにも感謝すること

――――――――――
吉丸房江(健康道場・コスモポート主宰)

免疫力を高めるためには、
三つのスイッチがあります。

一つ目のスイッチは、
皮膚に氣持ちのいいことをすることです。

私たちはお腹がいっぱいになった時、
「ああ、食べすぎた」と胃のあたりをさすります。
本能的に皮膚が内臓につながっていることを
知っているのです。
皮膚に刺激を与えると内臓は活発に動き出します。

氣持ちのいい肌着をつけることも大事です。
材質もさることながら、乾燥機で乾かしたものと
太陽のもとで乾かしたものとでは全然違います。
また、太陽の生命エネルギーを
たっぷり吸い込んだお布団で寝れば、
ちょっと具合が悪くてもすぐに治ってしまいます。


二つ目のスイッチは笑うこと。

人間が笑った時、体内では十三本の神経が触れ合って、
免疫力を高めるホルモンをつくって分泌しています。
逆に怒ったりうらんだりすると
、四十七本の神経が互いに激しく突き刺し合います。
これぞまさに四十七士の討ち入り!
「このうらみ晴らさずにはおれようか」と、
自分の神経が自分の神経を突き刺して、
結局自分の体を傷つけることになるのです。


三つ目のスイッチは感謝すること。

それも「おおげさに」です。
どんな物事にも順序があるように、
元氣になるのも一足飛びにはいきません。
まずは小さなことにも感謝をしましょう。
そうすると喜びが湧いてきます。
喜びが湧いてくると、元氣になります。
だからまずはおおげさに感謝することから始めましょう。

こんなに辛つらい人生を歩んで、
一体何に感謝をすればいいでしょうか? 
そんな人もいるかもしれませんね。
しかし「すっ」と一息が吸えたら、
それはもう感謝すべきことです。
その一息が吸えずに人は死んでいくのですから……。

宇宙には法則があります。
それは自分が投じたものが返ってくるということです。
あるいは波動といってもいいかもしれません。
すべてが波動であり、
それに合わないことは起こらないのです。


喜べば喜びが、喜びながら喜びごとを集めて喜びにくる。
悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみごとを集めて悲しみにくる。
感謝して喜びながら生きていれば、
喜びが雪だるまのように大きくなっていって、
きっとみんな元氣になれるでしょう。

『1日1話、読めば心が熱くなる
 365人の仕事の教科書』

 

 

 

 


★致知出版社の「ご縁メール」 


(5月14日)

燕の姿が教える生き方

今年も燕が軒先に巣をつくり、初夏の訪れを感じる頃となりました。
燕の姿を見ながら、以前聞いた話を思い出しました。

その話とは・・・

燕は冬になると南の国へ帰っていきますが、
帰る時、日本で生まれた子燕を連れていきます。

その移動距離は、3,000~5,000キロともいわれ、
殆どが海の上になるそうです。

大海を渡るために、子燕に大海原を渡る力をつけておかないと、
途中で海に落ちて死んでしまいます。
親燕は日本にいる間に、子燕が大海原を越える力をつけるために必死です。
親燕は背負ってでも飛びたいでしょうが、背負っては飛ぶことができません。
子燕は自分で飛ぶしかないのです。
 
これは人間も同じことが言えると思います。
親は子どもが世間の荒波に飲み込まれないように、
力をつけ、幸せな人生を歩んでもらいたい・・・誰もが願う思いです。

世間の荒波を乗り越えるため、心の力をつけるにはどうすればいいか・・・

そのためには、歴史や人の生き方を学ぶ「人間学」が大事だと、
多くの方が言われています。

生きていくうえで、どうしても避けられない予期せぬ出来事、
それらを乗り越えてきた今、
そしてこれから先、乗り越えていくためにも
一人ひとりの人間力がより求められる時代になっています。

どうぞ再び『致知』を手にしていただき、
生きていく力にしていただければ、この上もございません。

 

 

 

 

★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング


(5月14日)


人生をもっと価値あるものにするような何かを、他の人々の人生の中に作り出すことをあなた自身の楽しみとしなさい。
Make self interested in something that will make in the lives of some individual, or individuals, that that makes life more worth while.
(2096-1)

 

 

 

 

★バラ十字会  メールマガジン(毎週金曜日)

 

こんにちは。バラ十字会の本庄です。


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画像が掲載されたブログで読むことができます(下記のリンクをクリックしてください)。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M793631&c=3304&d=ed84

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東京板橋は、すっかりと初夏の気配になりました。

バラの一番花も終わり、アネモネやシャクナゲが咲いています。


いかがお過ごしでしょうか。



札幌で当会のインストラクターを務めている私の友人が、懐かしい小説についての文章を寄せてくれたので、ご紹介します。

▽ ▽ ▽

文芸作品を神秘学的に読み解く(27)

『坊っちゃん』 夏目漱石

森和久



「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」の書き出しで知られる夏目漱石の代表作です。

明治39年に書かれたので、ざっと115年前の作品です。


物語は全11章から成り、第1章は坊っちゃんの少年時代から東京で物理学校を卒業する23歳まで。第2章以降は坊っちゃんの赴任先でのこと。

第11章の終わりに東京に戻ってからのことが触れられています。


坊っちゃんが自身で書いたという一人称の体裁になっています。

そのため表面に現れて記されている事と表面には表されない坊っちゃんの心情を読み取るという深みもあります。


たとえば「親譲りの無鉄砲」ですが、両親共に無鉄砲な事に言及はされておらず、坊っちゃん自身の思い込みなのかもしれません。



坊っちゃんの仕出かす悪戯(いたずら)は度を超していて、もう立派な犯罪と言えるほどです。

でもこれは一種の「試し行動」で、自分を見てほしいという親の気を引こうとするものでしょう。


父親はかわいがってくれないし、母親は兄ばかりをひいきにしていました。

また兄は、弟の坊っちゃんに意地悪なことばかりしていました。


そんな中、清(きよ)だけが坊っちゃんの心根を理解し、無上の愛を貫きます。



そういう清の言動に坊っちゃんも初めの頃は戸惑い迷惑がります。


「この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解のとき(注:ここでは徳川幕府の崩壊のこと)に零落して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。」


清の事をこう紹介しています。



しかし年月と共に清が自分の心の支えになっていることを感じ始め、その思いは募(つの)ります。

ところが母親の死後6年、父親も卒中で死去します。清は暇を出され甥のところに身を寄せます。


「あなたがおうちを持って、奥さまをお貰いになるまでは、仕方がないから、甥の厄介になりましょう」と清は坊っちゃんに言います


土地家屋は売られ、20歳の坊っちゃんはたった1人で生きていくことになり、旧制中学を卒業し、23歳の7月、物理学校を卒業します。



その9月、数学教師としての職が決まり、四国に旅立つ日、清は坊っちゃんの元を訪れ、いろいろ世話を焼いてくれます。


「来る途中小間物屋で買って来た歯磨と楊子と手拭をズックの革鞄に入れてくれた。そんな物は入らないと云ってもなかなか承知しない。」


二人の様子がありありと目に浮かびます。



駅のプラットホームでの別れの時、清は坊っちゃんの顔をじっと見て、『もうお別れになるかも知れません。随分ご機嫌よう』と小さな声で言います。


この別れの3日前に坊っちゃんは旅立ちの挨拶をしに清の家を尋ねます。

清は北向きの三畳間に風邪を引いて寝ていました。

これは清の死が近いことを暗示させます。


田舎へ赴任することを伝えられると清は、「非常に失望した容子で、胡麻塩の鬢の乱れをしきりに撫で」ます。


そこで坊っちゃんは、「来年の夏休みにはきっと帰る」と慰めますが、清は「妙な顔をしている。」のです。

清は自分の命が来年の夏までは続かないのを知っていたからでしょう。



汽車の別れのシーンで清は、「目に涙が一杯たまってい」ました。

でも、「おれは泣かなかった。しかしもう少しで泣くところであった。」と坊っちゃんは自分の清に対する心情を堪えきれずに書き留めています。


汽車が動き出し、「もう大丈夫だろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。


坊っちゃんの気持ちがまざまざと描かれています。

もう立っているはずがないと自分に言い聞かせながら、期待を込めて振り向くと清はちゃんと立っていました。

決して清は坊っちゃんの期待を裏切らないのです。


その時、坊っちゃんには清が大変小さく見えました。

坊っちゃんの不安の表れです。

清に対しても、自分の先行きに対しても。



「野蛮な所だ。」、「人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思った」、「気の利かぬ田舎ものだ。」云々。


赴任地に着いたときの坊っちゃんの印象と心地はこのようなものでした。

もうハナから喧嘩腰で、この地に馴染もうという気はさらさら無いようです。


最初から対立姿勢で嫌なことだけを見ていたのではうまく行くはずもありません。

ダメだダメだと拒絶の意識を持つことで自分の下意識は却ってその事を増幅させてしまいます。


案の定、坊っちゃんは2ヵ月ほどで東京にそそくさと逃げ帰ることになります。



物語の大半はこの四国の地(松山と同定されているようですが。)を舞台にしていますが、坊っちゃんの心は常に清のことでいっぱいです。

清からの手紙がなかなか届かないとやきもきし、来たら来たで、読みにくいから意味が読み取れないと何度も読み返しています。


また事ある毎に清のことを思い出し、気に掛けます。

さらには、「どう考えても清といっしょでなくっちあ駄目だ。もしあの学校に長くでも居る模様なら、東京から召び寄せてやろう。」とまで考えます。



赴任地で大暴れしたのち坊っちゃんは、その年の10月末に「この不浄な地を離れ」ます。

物語の最後に、「清の事を話すのを忘れていた。」と坊っちゃんは書き添えます。

決して忘れていたはずはないのに。


坊っちゃんは東京へ戻るとどこへも寄らずまっすぐに清の元へ「飛び込」みます。

清は泣いて喜び、坊っちゃんは、「おれもあまり嬉しかったから、もう田舎へは行かない、東京で清とうちを持つんだ」と伝えます。



小さな家でも一緒に暮らし、清は満足したようですが、翌年2月、肺炎に罹り死んでしまいます。


死ぬ前日、「後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っております」と懇願されます。


来生のことを今生で語るということは、その時の想いの強さを表しているわけで、清の心緒が伝わります。

この物語の最後はこう綴られます、「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」



この物語は坊っちゃんと清の愛の物語です。

言うなれば古代ギリシア語で言うところの〈アガペー (αγαπη)〉です。

〈尊び愛す〉という新約聖書におけるイエスの思想に通じる愛です


家族の愛を知らず無軌道に人生を送ってしまいそうな坊っちゃんを清はその溢れんばかりの愛で優しく包んであげました。

それに坊っちゃんも気付くことが出来、受け入れました。



タイトルの『坊っちゃん』(原表記は『坊つちやん』)は、清が坊っちゃんを呼ぶときの名で、このタイトルになるべくして名付けられたと言えるでしょう。


確かに、同僚教師の教頭・赤シャツと画学教師・野だ(いこ)が「勇み肌の坊っちゃんだから愛嬌がありますよ」と揶揄(やゆ)して呼称するシーンもありますが、これは同じ呼び名でも込められた気持ちで全く違うことになるのを作者はあえて示すために入れ込んだのでしょう。


表面的な事ばかりを見ていると物事の本質を読み取れないことになってしまいます。

言葉狩りなんかもそうですね。



一度、声に出して「坊っちゃん」と呼び掛けてみてください。

清の心が伝わってくるようです。

△ △ △

ふたたび本庄です。


読んでいて、夏目漱石の歯切れのよい文体を、懐かしく思い出しました。



私ごとですが、昔、電車の中でよく読書をしていました。

人生の無常を感じさせる話には要注意です。

人前で涙がこらえきれなくなると恥ずかしい思いをします。



下記は森さんの前回の文章です。こちらも涙腺に注意が必要です。

記事:『青春小説』

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M793632&c=3304&d=ed84



では、今日はこのあたりで。

また、お付き合いください(^^)/~


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(新型コロナウイルスの感染状況によって、開催は変更されることがあります。)

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■編集後記

公園にアネモネとバラが咲いています。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M793634&c=3304&d=ed84

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コメント (4)
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