きょうのNHK新日曜美術館で、大地の芸術祭を取り上げていました。
おもしろそう~!
ビーズでできた野の花とか、魚沼米で作った世界地図、棚田に働く標識、壁に座れる家、池に浮かび立つ徳利、電線を歩く犬猫、古い温泉街の路地に作った、地中海風(?)の足湯、刺繍になったミラノから東京までの旅行メモなどなど。
テレビで紹介された中で一番、いいな~と思ったのは、「脱皮する家」。新潟中越地震で廃屋になった家を、日大芸術学部の有志が、彫刻刀で彫りつくした作品です。壁も床も柱も、玄関に置いてある下駄も、みんな彫ってあって、不思議な感じでした。
廃校になった小学校を使った作品は、卒業生のお年寄りが集まって来て、座っていることが幻想的に見えました。
それにしても、つくづく思うのは、きれいなものはどこにでもある、ということ。美は遍在する。それに気づいて具現化するのが芸術家、顕在していないと気づかないのが私(=凡人)なのかも。
芸術祭を、身近なものとして楽しんでいる、妻有(つまり=十日町一帯の古名)のおばちゃん達の笑顔がとってもよかったです。ちょっくら見に帰ってみようかな~という気になります。
再放送は今晩8時から、NHK総合チャンネルにて。
おもしろそう~!
ビーズでできた野の花とか、魚沼米で作った世界地図、棚田に働く標識、壁に座れる家、池に浮かび立つ徳利、電線を歩く犬猫、古い温泉街の路地に作った、地中海風(?)の足湯、刺繍になったミラノから東京までの旅行メモなどなど。
テレビで紹介された中で一番、いいな~と思ったのは、「脱皮する家」。新潟中越地震で廃屋になった家を、日大芸術学部の有志が、彫刻刀で彫りつくした作品です。壁も床も柱も、玄関に置いてある下駄も、みんな彫ってあって、不思議な感じでした。
廃校になった小学校を使った作品は、卒業生のお年寄りが集まって来て、座っていることが幻想的に見えました。
それにしても、つくづく思うのは、きれいなものはどこにでもある、ということ。美は遍在する。それに気づいて具現化するのが芸術家、顕在していないと気づかないのが私(=凡人)なのかも。
芸術祭を、身近なものとして楽しんでいる、妻有(つまり=十日町一帯の古名)のおばちゃん達の笑顔がとってもよかったです。ちょっくら見に帰ってみようかな~という気になります。
再放送は今晩8時から、NHK総合チャンネルにて。
感想はまた後日。
ところで「妻有」で「つまり」と読むんですね。日本語、特に地名はやはり面白いと思います。
説明だけでも面白そうな様子が伝わってきます。
小難しいことを考えず、感じたことを素直に表現する。
都会の垢にまみれた芸術家?には真似できないかも。
>芸術祭を、身近なものとして楽しんでいる、妻有(つまり=十日町一帯の古名)のおばちゃん達の笑顔がとってもよかったです。
地元の人が楽しめるというのは1番大事ですよね。
笑顔で受け入れられること、できそうでなかなか
できないでしょう。この芸術祭は、造り手と鑑賞
する側の垣根がない感じがいいです。
>廃校になった小学校を使った作品は、卒業生のお年寄りが集まって来て、座っていることが幻想的に見えました
映画のワンシーンのようですね。
ほんとにこれをヒントに映画作れそう。
この芸術祭、ずっと続けていってほしいですね。
> ところで「妻有」で「つまり」と読むんですね。日本語、特に地名はやはり面白いと思います。
豪雪地帯で、冬はそこから先へは行けないので、「どんづまり」の「つまり」だと聞いたことがあります。交通が遮断されたせいか、方言などに古い日本語が残っていて興味深いです。
> 地元の人が楽しめるというのは1番大事ですよね。
ボランティアなのかアルバイトなのか、地元の人も作業に参加していました。発案はアーチストですが、「作ってみると、私たちの作品だって気がする」と、参加した人も言っていました。物を作るのは、理屈抜きに楽しいですもんね。
> 小難しいことを考えず、感じたことを素直に表現する。
> 都会の垢にまみれた芸術家?には真似できないかも。
この芸術祭の基本理念は、「人間は自然に内包される」。田舎だからこそできるアートもあるんですね~。地元の人は最初開催に反対していたらしいけど、3回目の今回は、かなり積極的になってきたようです。
廃校に来たおじいちゃん、おばあちゃんは、自分たちが知らない間に、作品の一部となっていたわけです。ストーンズの巨大ビルのバルコニーの観客みたいに。
安全地帯にいながらネットで他者を暗に否定するようなお嬢さん(お坊ちゃん?)では、ない。人生の無駄な時間を浪費してしまいました。いじょう
わざわざ他人を不快な気分にさせるために書き込みをしているなら、不快です。私の不快感を表すためにしばらくさらします。